第56話 選択肢のない男
監視されている。水島はこの二日三日でそう思うことが多くなった。それは直感以上の何か、確実にその感覚が肌を通して感じられるだけに水島のこのところの苛立ちは限界に近づいていた。
今日も高い部屋代で圧迫された生活費の節約のためにエアコンを使わないために勉強のために豊川市の中央図書館に水島はいた。ようやく住民登録も済ませて利用のパスを手に入れた彼だが明らかに視線のようなものを感じていた。
視線だけではない。明らかに自分の力に何かが反応しているのが感じられた。このなんとも言えない違和感が訪れる瞬間が一日に一度や二度ではないという事実が水島の神経をさらにすり減らしていた。
初めてその感覚を感じたのは二日前、その感覚は突然彼を襲った。頭の奥をくすぐるような微かでいてそれでいて確実な感触が水島の脳裏に突き刺さった。最初は歩いていて驚いて立ち止まるほどだった。通り過ぎたパトロールカー。運転席にも助手席の警察官にも力は感じない。それでも明らかに自分の中の力、脳はそのパトロールカーそのものに何かを感じていた。
それからは何度となく同じ感覚に襲われることがあった。昨日は夜中に三度目が覚めた。脳に残る確かな接触の感覚が残った。
『誰も知らないはず……俺はただの一般市民。そうとしか見えないはずだ……外でその感覚に襲われた時は必ず近くをパトカーが走っていた。これは偶然なのか?それとも警察は新たな捜査方法でも開発したのか?そんなニュースは聞いていないぞ。まあ、そんなことを警察がニュースで流すわけが無いか……ただ、これまでとは警察の動きは明らかに変わっている。人の動きじゃない。それ以外の何かが変わっている……警察の上層部で人事異動があって法術に関してより詳しい人間が陣頭指揮を担当することになったのか?それなら理解できるが……ただ、それならばしばらく大人しくしているのが無難だな。幸い、勉強のための時間を確保する必要が今の俺にはある。だから事件を起こさなければ俺は無関係な一市民だ。残念だったな。すべては遅すぎたんだよ』
結局は昨日の不眠が祟って睡魔に襲われ続けて勉強どころではないが、そんな強がりを思い込むことで何とか勉強に集中しようとした。それでも日常に変化を付けること自体が何かに負けたような気がした。水島は休憩室の周りの無神経な高校生達の場違いな声に苦虫を噛み潰しながらそのまま奥の自習室へ向かった。社会人失格の烙印を押された自分が彼等を注意することなどできない。
そう思いつつ周囲に法術師を探している自分がいた。苛立ちはいつものように紛らわせばいい。だがそうだろうか?水島は自問する自分と向き合った。
『警察が動きを変えてきた今、あまり力は使うべきじゃないな。あれはあくまで俺の娯楽だ。娯楽で危ない橋を渡る必要は無い。俺には今すべきことがある。そちらに集中するべきなんだ』
先日の能力の暴走と死を知って少しばかり臆病になっている自分を思い出して苦笑いが自然と湧き出てきた。
ここ数日のパトロールカーの巡回ルートがおかしい事は水島も気づいていた。明らかに何かを掴んでいる。水島はそう確信するとその確信は恐怖に変わった。
「警察は何を掴んだのか……まさか俺の能力のことを?あのアメリカ軍の少年も俺の能力に気付いたのは偶然じゃないか。だったらそんなことは有り得ない。東和とアメリカには国交が無い。あの核を平気で使うアメリカ軍が戦争が何より嫌いな国交が無い東和と協力するなんて言うことは考えられない。だったら、これは単なる偶然……だが、明らかに警察のパトカーから妙な気配がするのは事実なんだ。その事実がある以上俺の娯楽はしばらくは中断するべきなんだろうな」
ただ水島はそんな独り言を言うことだけで自分を慰めることにしていた。
「おじさん、何をぼんやりしているのかな?」
突然背中から声をかけられる。そこには見慣れた少年の姿と初めて見る年端も行かない金髪の長い髪をなびかせる女性の姿があった。
「君……なんで俺がここにいると分かった?常に監視しているのか?アメリカは法術に関心を持っているのだから当然か……しかし、いきなり声をかけるのは失礼なことだぞ。教わらなかったのか?」
自分の言葉が震えているのが分かった。少年は地球のアジア系に見えるが少女の方はどう見ても地球の白人のように見えるが、遼州人の血を引いていることはその雰囲気で分かった。女性の金色の長い髪とそれに似合う黒いオーバーコート。暖房の効いた室内だと言うのに汗一つかかず黙ったまま自分を見つめていた。
「ごめんね、遼州人は気が小さいというけど本当だね。もっとフランクに僕に接してくれた方が僕としては気が楽なんだけどな。じゃあ、そんなおじさんにその監視役を紹介するよ。僕の姉役のキャシーだよ」
少年は彼より5歳ほど年上の少女を水島に紹介した。
「初めまして……」
少女が思ったよりも若いことが声を聞いて分かった。仕方なく水島も軽く頭を下げた。
「キャシーも僕等と同類だから。当然、おじさん程度がどうこうできる相手じゃない。そのくらいの自覚は有るよね?」
気軽にそういう少年だが、その顔を見た瞬間に頭の中に違和感を感じて水島はよろめいた。
「……彼女は……」
水島が感じたのは少年とは違う法術の『匂い』だった。その『匂い』はあえて言うと自分のそれにあまりに似ていた。
「おじさんと同類だよ……僕の能力すら勝手に使うことができる力がある。上には上が居るんだよ。おじさん……こんな僕みたいな子供に言われるのは不愉快かもしれないけど、世間はおじさんが見てきた世界より広いんだよ……まあこんなことを子供から言われるなんて気分が悪いかもしれないけどそれが現実なんだから仕方がないよね」
少年の笑みが残酷に広がる。水島はきつめの視線が特徴のキャシーと呼ばれた少女に目をやった。
「キャシーさんのことはいいとして。君の名前を僕は知らないんだけどな」
水島のおどおどした調子のつぶやきに少年は大げさに驚いてみせる。
「そうだっけ?僕は言ったような気がするけど」
少年はとぼけた口調でそう言った。
「そうだよ、一度も聞いたことがない」
しばらく考えた後、少年は思い出したように手を叩いた。
「そうだそうだ。確かに教えてなかったね。僕の名前はジョージ。ジョージ・クリタ」
「ジョージか……」
名前からしてアメリカ信託領ジャパンの出身者だと水島はあたりを付けた。
「何か文句があるの?」
わずかな思考の隙にも少年は平気で土足で上がり込んでくる。その態度が水島には気に入らなかった。
「いや……」
水島には少年の名前に違和感を覚えていた。以前、ニュースで少年と同じ顔をした人物を見たような気がしていたのがその原因だった。だがその見たという時期があまりに古く。それに比べて少年はどう見ても幼すぎた。
そんな少年を見つめている自分を少女は明らかに不機嫌そうな表情を浮かべつつ見つめていた。
「あなたは自分の力の意味と価値を理解されていないようなのでこれ以上の悪戯をされると困りますから。私が忠告をしに来ました」
少女が水島に向けてはなった最初の一言はたまりかねたようなものだった。
『忠告』。確かにそんなものがいつか来るのは予想がついていた気がした。そしてその言葉が意味する巨大な権力の影。思わず水島は手にしていたバッグを取り落とした。
ゴトリと落ちる布の音が響いた後、開けたバッグの中から転がり出た筆入れなどが床を転がりけたたましい軽い音が廊下に響いた。キャシーはまるで氷のように一瞬だけ笑みを浮かべると水島が取り落としたバッグからこぼれたノートと筆入れを取り上げた。
「僕の行動はすべてお見通しという訳か……弁解するだけ無駄か」
キャシーの登場で水島は自分が丸裸にされた事実を認識した。
『そうですわね』
突然頭の中に介入してきた思考に水島は驚いて手にしていた本を落とした。すぐ拾い上げながらもその目は口を閉じている少女に向かっていた。
『あなたは私から見てもあまりにおふざけが過ぎたんです。もうあなたにとっての分水嶺は過ぎました。あなたにはもう選択の余地は無いんです。分かりますか?あなたはすでに人を一人殺している。この国の法律では殺人の最大量刑は死刑です。そのことは法律を勉強なさっている以上ご存じですよね?』
キャシーの目は冷たく水島を見つめていた。初めてみる感情の死んだような少女の目に水島はただ呆然と座り込んだ。誰もが奇異の目で見るが立ち上がる気力は沸いてこなかった。
『演操系の法術は使用するタイミングによっては前回の様な悲劇につながります。きちっとした訓練とそれを行なえる組織。それが今のあなたには必要なんです。幸いあなたはその組織である合衆国と接点を持つことが出来た。ならばあなたはその幸運を手放すのは愚かなことだと理解すべきです』
キャシーは口も開かず視線を水島に定めたまま彼の脳裏に向けて語りかけてきた。
「米軍につけと言うのか?」
ようやく言葉を搾り出した水島を断罪するようにキャシーがうなずいた。だが水島は彼女が明らかに不自然な存在だと言うことに気づいていた。それは隣でガムを噛むクリタ少年にも言えた。
『実験動物にされる……ごめんだよそんなのは』
もう何を隠しても仕方がない。水島は諦めて米軍に付かない最大の理由を送った。
『何度も言っているではないですか。あなたには選択の余地は無い……もはやこの国も自分が遼州人であることに甘えて法術に理解を示そうとしない警察も態度を変えつつある。その事実は貴方もお分かりかと思いますよ?まあ考える時間は必要かもしれませんが』
それだけ脳に直接語りかけたキャシーは足早に図書館の外へと続く廊下を歩いていた。そのぶっきらぼうな態度に辟易したような表情を浮かべた後、クリタ少年はにんまりと笑ってそのまま少女の後に続いた。
気を締めていなければそのまましゃがみ込んでしまうところだった。水島は気を取り直して落ちたバッグにキャシーから渡されたノートなどを入れて一息ついた。誰も水島が恐怖に震えるような脅迫を受けていたことなど想像もできないと言う表情で人々は通り過ぎていった。
『米軍でモルモットになるか……東和で犯罪者になるか……警察の態度も変わってきた今……俺には他に選択肢はないのか……』
自分が後戻りできないところに来ていることにようやく水島は気づいていた。そしてアメリカ軍以外にも自分の存在が知られているのかもしれないと想像した。
『ただ、あの欲深い人種の地球人の国であるアメリカが、俺という有用な餌を、彼らが野蛮人扱いしている東和の警察に黙って渡すとは思えない。そうなれば米軍が監視してくれているなら安心だな。東和とアメリカには国交が無い。警察も米軍との接触は出来るだけ避けるはずだ。とりあえず考える時間はくれたわけだ。その間にどう言う要求をしてくるのか確認するのも悪くない』
そう思いなおして水島はそのまま荷物を手に、図書館の自習室に向けて歩き始めた。




