第40話 雨の聞き込みと切断事件
二日目は冷たい雨だった。出勤時のかなめの悪態とアメリアの大げさな嘆きを苦笑いとともに聞いたことが懐かしく感じられた。すでに誠の勤務用の革靴の中は中敷までじっとりと冷たい雨に濡れてつま先の神経が悲鳴を上げていた。
それでも古びたアパートのさび付いた階段を上る誠とカウラとラーナの戸別訪問は続いていた。
「法術師なんざ知るか!あんな便利な力があるなら私も欲しいもんだね!私も遼州人だけど、法術適性は無かった!法術適性は遼州人なら皆あるんじゃないのかい!不公平じゃないのさそんなの!」
眠りを中断されたらしい下着姿で戸口まで来た若い女性が扉を思い切り閉めた音がアパートの踊り場に響いた。それでもラーナは困ったような顔で誠に目を向けた後そのまま隣の部屋へと向かった。
「失礼します!」
呼び鈴を押しながらラーナがインターフォンに向けて言った。
『何?』
声からして相手が酩酊していることはすぐに分かった。それでもラーナはインターフォン越しに作り笑いを崩すことは無かった。一方の誠とカウラはただひたすらラーナの忍耐強さに感心するばかりで半分もう帰りたいというような本音が見えるような表情を浮かべていた。
「警察の者ですが……ちょっとお話を聞かせていただければと思うんですけど……」
ラーナはいつもの営業用の笑顔でそう言った。
『警察?なんでうちに来るのかな?俺は何も悪いことはしてないよ。帰ってくれます?』
ドアを開けて現れた赤黒い顔をした住人の男の表情は冴えなかった。その目は笑顔で自分を見つめて来るラーナを見てもその濁った瞳で見つめるばかりでない一つ感情というものを表すことを拒絶しているように誠には見えた。
「近くで事件が多発しているので……少しお話を聞きたいんですけど……。いえ、決してお時間は取りません!最近気になることがあれば何かお知らせいただければと思っただけですので」
それでも食い下がろうとラーナは叫んだ。
「事件?そんなのあるの?知らないなあ……」
ドアを開けて出てきたのは50前後のがっちりとした体格の男は、ラーナの頭の先からつま先までじろじろと見つめるといかにも迷惑だという顔でそうつぶやいた。すっかり白髪に覆われた頭の下には皺とシミでまだらに染まった顔に赤く色づいた鼻がぶら下がっていた。
「いえ、どんな些細なことでも構わないので、気が付いたことがあれば教えていただければと」
どう見ても誠も好きにはなれそうにない横柄な男の態度にもラーナは笑顔を崩すことなく質問を続けた。
「些細なこと?それを調べるのが警察でしょ?その為に俺達は税金を払ってるわけだし」
無遠慮な男が親切そうな物腰のラーナの後ろで棒立ち状態の誠とカウラに目をやった。
「この辺でこの半月で放火事件が連続して起こってるんですが……その件に関して何か知っていることがあれば教えて欲しい」
ラーナの真似をしてカウラはそう尋ねてみた。
「知らないなあ……俺には関係ないし。それに放火事件なら確かにニュースで見ましたけどその時間は俺は大概会社で仕事をしてるからそもそもそんな現場にいること自体があり得ないな」
すぐに部屋を閉めようとする男だがその視線がカウラに集中するとその手は自然に力が抜けていった。
「あんたも警察の人?変な髪の色だね?外人?」
ラーナより大柄のエメラルドグリーンのポニーテールのカウラに不信感を感じているように男は言った。
「ええ、まあ」
カウラはあの菰田より露骨にいやらしい視線に驚きながら呆然と立ち尽くしていた。ラーナはそれを無視して手にしていたバッグからポスターを取り出した。
「一応、犯人は法術師らしいので、もしそう言った情報がありましたらよろしくお願いします」
ラーナからビラを受け取ると男は老眼らしくしばらく遠くにかざしてビラを眺めた。
「法術師なんて……知らないなあ……うちの会社でも法術適性検査を受けた人がいたけど全員法術師じゃ無いっていう結果だったし……そもそも法術師なんて実在するの?俺、会ったこと無いんだけど」
男の視線はカウラを見定めるようないやらしい目つきで見つめていた。
「じゃあ最近転居してきた人の心辺りはありますか?もしかしたらその方が事情を知っている可能性がありますので」
ラーナはなんとか情報を聞き出そうと食い下がった。だが男の関心はビラでもラーナでもなく明らかにこの男の視線を不愉快に思って貧乏ゆすりを始めたカウラにあった。
「あ、あんた!また若い女を連れ込もうとか考えているのかい!何度同じことをしたら気が済むんだよ!まったくどうしようもないね!」
部屋の奥から若い女の声が響いた。言葉の調子からこの男の妻らしいが、出てきたネグリジェ姿の女はどう見てもラーナより年下に見えた。ただしその濃い化粧はラーナと彼女がまるで別の世界に生きていると言う現実を示しているように見えた。
男は女の登場を見ると面倒ごとに関わるのはこれ以上御免だというようにカウラの肢体に未練を残すような視線を送った後、部屋の奥へと消えていった。
一方の男の妻と呼ぶには若すぎる女はラーナの顔を見るといかにも面倒ごとが大好きだというように笑顔でラーナに視線を送ってきた。
「本当にご苦労様ね。うちの人はあんな感じでしょ?ごめんね、驚かせちゃって。それよりさっきから話を聞いてたけど、そう言えば隣のアパートに引っ越してきた天然パーマの人。少し変だったわよ。あれはたぶん法術師よ。あの人と絶対に目を合わせない態度なんてまさに法術師。間違いないわ!」
女はそう言いながらラーナからビラに目をやった。むせるような女の吐くタバコの臭いと法術師に関する女の偏見に満ちた考え方に思わず誠は顔をしかめた。
「隣の……どちらですか?大通り沿いか、裏通り沿いか」
ちょっとしたきっかけも逃すまいとラーナはそう言って話に割り込んだ。
「ああ、どっちにもいたわね、変なの。大通り沿いに来たのは三十前後でその年の割りにいつも私服で日中に行動しているし、裏通りのはもう一回り年上で見るからに堅気じゃないっていう感じ……たぶんどっちも法術師よ。あんなに怪しい人間が力を使えないわけが無いわ」
ネグリジェの女は男に比べてかなり協力的に話してくれたが、その偏見に満ちた法術師感に自分自身が法術師である誠は落ち込んでいた。
「なるほど」
ラーナが相槌を打つと女は気をよくして黙っている男の胸のポケットからタバコを取り出すと火をともした。
「どちらも夕方になると決まって出かけるのよ。私が店に出る時間のバスに、二人ともよく乗ってるわ。暇ならで良いんだけど……調べてくれないかしら?」
明らかにラーナを探偵か何かと勘違いしたような言葉に誠も苦笑いを浮かべる。
「ああ、参考になりました。もし分かったことがあったらお知らせしますね」
ラーナは慣れた調子で会話を終えると笑顔で黙ったまま突っ立っている誠を振り返った。
「よろしくね」
女は誠に色目を使うとそのまま扉を閉めた。ラーナはそれを確認すると会話の要点を端末に入力していった。
「カルビナはたいしたものだな。私だったらあの女の情報は得られなかった。あと、神前、気にするな。遼州人の全員が法術師をあんな目で見ている訳ではない。少なくとも私は違う」
カウラはそのまま階段を降りながら落ち込んだように俯く誠に向けてそうつぶやいていた。
「要は慣れっすよ。慣れれば誰にでもできることっす」
冷たい水溜りが並ぶ砂利道を飛び越えながら狭い空き地に止めたカウラの『スカイラインGTR』に三人は飛び込んだ。カウラは早速気分を変えようと運転席でエメラルドグリーンの髪をそろえなおしていた。
「まあ、東和での法術師への偏見なんてこんなもんすよ。それを聞き流すのも仕事っすから。それにこれで30件ほどにターゲットは絞れて来ましたね」
ラーナは淡々と会話の要点をまとめて歩きながら端末に入力していった。
「でもまだ全体の50パーセントくらいしかまわっていませんよ」
誠の言葉に納得したようにラーナうなずいた。
そして車に乗り込んで次の目的地に向かおうとカウラが駐車場から車を出そうとした瞬間に緊急用の端末が起動して事件の発生を告げた。
『豊川駅東口で傷害事件発生!各員現場に急行せよ!繰り返す……』
非常召集のアナウンスに一同の顔に緊張が走った。
「どうしますか……あの杉田とか言う刑事には現場に行くなと止められてますよね?」
誠の顔を見るとすぐにラーナは自分の端末を起動させる。すぐに近くの防犯用のカメラの映像が捉えられた。
画面の中では、人々が一瞬だけ動きを止めていた。次の瞬間、悲鳴が映像の向こうからこちらへ届いたような気がした。
そこには右肩を握り締めて転げまわる男性の姿が映っていた。よく見るとその隣にはちぎれたばかりの腕が転がっている。
「こんな手口は……」
これまでとは違う明らかに殺意を帯びた光景に誠の顔は曇った。
「空間を切断しての殺傷未遂事件。ついに起きましたね。法術を人に向ける犯罪が」
思わず誠はそうつぶやいていた。モニターの中、うめく男。その暴れまわるタイルの敷き詰められた地面に真っ赤な血が広がり始めた。
「決まりだな。行くぞ。杉田とか言うあの食えない刑事の言うことにすべて従う必要はない」
答えを待たずにカウラは車を発進させた。ラーナも淡々とダッシュボードからパトランプを出して窓を開いて屋根につけた。
「間違いなく法術関係なんですか?」
誠の水を差すような言葉。恐らくこの場にかなめがいたら殴りつけられていたことだろう。
「ともかく起きたばかりの傷害事件っすから調査はすべてに優先するっす。しかもモニターを見る限りあれだけきれいに腕を切り落とすのは素人にはちょっと無理っすよ……。ただ干渉空間を展開できる法術師なら可能っす。そう考えれば今回の事件との関係性も考えられるんすよ」
ラーナの説明に静かにうなずくとカウラはクラッチを踏んだ。
「そういう事だ」
ラーナもカウラも乗り気で車を目的の駅前に向けて走り出させていた。
『おい、そっちも現場に向かうのか?』
画面が開いてかなめの活気に満ちた表情が目に飛び込んできた。
「西園寺……貴様はこういう時は生き生きしているんだな」
かなめのやる気のある顔を一瞥してカウラは呆れたようにそう言った。
『余計なお世話だ。あの杉田のじいさんの鼻を明かせると思うとすっきりするもんだ』
かなめの言葉にこちらも妙に生き生きしているカウラは車を緊急速度で走らせて行った。
「事件が起きてくれるのを待つなんて……」
誠は自分達のふがいなさを恥じた。
「感心できないっすね。でも起きちゃったことは取り消せねえっすからね。現場で会いましょう」
自分に言い聞かせるようにつぶやくラーナ。誠もそんな言葉に大きくうなずいた。




