第38話 壁の見えない町
慣れない事をすれば誰でも疲れるものだった。誠の今の疲れの原因が体力の疲労によるものでなく、会ったことも無い人に次から次に会うという仕事内容によるものだということは自分でも分かっていた。
「これで何件目か……確かに事前に回らなければならない数はこのようなものでないことは分かっているんだが。戸別訪問と言うものは疲れるものなんだな」
戦うために作られた存在である『ラスト・バタリオン』のカウラには作り笑顔で戸別訪問と言うこの捜査方法は苦行以外の何物でもなかった。彼女もまた誠と同じくこれほど知らない人に連続して会い続けるという仕事を経験したことが無いので、気疲れしているのは間違いなかった。
「カウラさん……こんなもので疲れたなんて言うんですか?まだ始めたばかりじゃないですか。それに僕達はまだ当たりを引いていませんよ。当たりを引くまで根気よく続けるのが戸別訪問です。大学の友人で今は健康器具のセールスの仕事に就いている奴がそう言ってました」
誠はそう言って慰めてみるが、いつもの運転席に乗り込むカウラの顔は疲れていた。
初日。すぐに動き出したカウラ、誠、ラーナの三人の訪問は続いた。とりあえず防犯の呼びかけのポスターを手に十五件のマンションを回ったが、捜査よりも戦闘のために作られた人造人間であるカウラの忍耐力はすでに限界を迎えていた。
「午前中はこんなもんすかねえ。まあお昼は過ぎましたけど、戸別訪問をするときはこんな感じっすよ。ここからお昼。いかがっすか?」
後部座席で腕組みをしているラーナは静かにそう言うと幼くも見えるようなおかっぱの髪を掻き上げた。
「午前中のつもりで回って、たった十五件でこの時間か……と言うかもう昼食時間か……」
カウラの声がかすれるのも無理は無かった。すでに午前中どころか午後三時を過ぎようとしている。住宅街の食べ物屋は多くが準備中になっている時間帯である。
「個別訪問がこんなに疲れるものだとは……ラーナ。これを年中やるのが警察の仕事なのか?私には武装警察官は務まるが民間警察官はとても務まりそうにないな。先ほどから気疲れして仕方がない」
そう言いながらカウラは『スカイラインGTR』を動かす。狭い路地を縫うようにして車は進んだ。
「まあ……こういう日頃の地道な積み重ねが大事っすからねえ。それと市民と向かい合う時はいつも笑顔。ベルガー大尉はまだイマイチっすね。そんな堅い表情だと相手も緊張して心を開いてくれないっすよ。第一、ベルガー大尉はその髪の色と顔立ちで東和人じゃないってすぐに分かっちゃって警戒されるんですから。その点私は遼帝国人ですけど、見た目は東和人とほとんど変わらないっすからね。私にアドバンテージがあるのは事実っすけど。でもベルガー大尉も逆にそのことをきっかけに話題を広げて相手の心を開くようなスキルを身につければ私よりも有利かもしれないっすね」
ラーナの慣れた口調にカウラはため息しか出なかった。
「はあ……そのようなスキルが私に身につくまでこの戸別訪問が続くようならそうしよう」
ラーナに駄目だしされて少しばかりカウラは肩を落としながら狭い道を進んだ。両脇に続く家並みはすべて平屋だった。二十年前の第二次遼州大戦の時の特需以前の貧しさを感じるような家々が続いた。
「でも……もしかしたら僕達が回った家の中にすでに犯人の家もあるんじゃないですか?」
思わず誠はそう言っていた。その言葉にラーナは不機嫌になるだろうと振り向いた。だが誠をまっすぐに見つめるその顔には別にいつもの落ち着いた物腰のラーナの親切そうな表情が写っている。
「神前部長。それで良いんすよ。それで十分私達の目的は達成されていると言えるんっすよ」
笑顔でラーナはそう返した。
「え?良いのか?それでは犯人を特定できないではないのか?」
カウラはようやく大通りに出る入り口の信号で車を止めながら驚いたように静かにつぶやいた。ラーナは再び後部座席で正面を向くと教え諭すような口調で話を始めた。
「もしアタシ等が警戒しているって分かればそれだけで犯罪に対する抑止力になるんすから。確かに犯人逮捕も大事っす。でもこうして未然に犯罪を防ぐことも任務の一つっすから。二人とも犯人逮捕自体を目的にこれまで動いて来たみたいっすね?でも法術は『近藤事件』以前も東和共和国にも遼帝国にも有ったんすよ?それが『近藤事件』で法術の存在が公表されて法術を使える人間があたかも法術を使っていいと思うようになったから生まれたのが『法術犯罪』なんすから。だから犯人に『法術犯罪は立派な犯罪です』と自覚してもらって、それ以降その人が法術を使わなくなれば法術犯罪は未然に予防できる。そちらの方がよっぽど効率的な法術犯罪対策だというのが茜警部の見立てですから」
ラーナはいかにも警察官らしい警戒感を解くような笑顔を向けた。いつも茜の助手として付いて回っていると言う印象しかない誠には、そんなラーナの穏やかな表情が非常に新鮮に見えた。カウラもうなずきながら大通りに車を走らせた。
「それは分かった。確かに貴様の言うことは完全に正論であることは私にも理解できる。じゃあ西園寺とアメリアはちゃんとやってるのか?人当たりの良いアメリアはともかく西園寺は……」
カウラは作り笑顔とは無縁の存在であるかなめの事を思い出してそう言った。
その時、カウラの車に置かれたダッシュボードに置かれたカウラの携帯端末の画面が突然点灯した。
『おいおい、特殊部隊上がりを馬鹿にすんじゃねえぞ!特殊工作員の主任務は情報の収集だ。こんなのはアタシの独壇場なんだよ!アメリアなんて、行く先々で出てきた住人と長々と雑談するばかりで役に立たねえ!人から話を聞き出すには、相手の興味に合わせるのが一番!相手によっては下ネタもその一つだ。かといってアメリアのはコアすぎてそんな奴でも相手が引いてやがる。こんな役立たずの奴の御守りを押し付けられたアタシの気持ちも分かれ!』
車の固定端末のスピーカーから響くのはかなめの声だった。彼女の脳には常に通信端末が接続されている。そんな彼女にとってこの車の会話を盗聴することなど手数にも入らないことなのは誠も知っていた。
「なんだ聞いていたのか……悪趣味だな」
カウラは不満そうにそうつぶやいた。
『陰口を言おうとしていた奴に言われたくねえよ!それよりオメエの方が心配だ。銃撃戦しか能の無い『ラスト・バタリオン』には情報収集能力なんて期待するだけ無駄だからな!』
そう言うとしばらく雑音が響いた。そしてすぐに車のコントロールパネルの画面に映像が映った。そこではかなめとアメリアが並んで寿司を食っている場面が映し出された。多分端末の一つをカメラのつもりでテーブルの端にでも置いているらしい。
場所は回転ずし屋で二人の前をレーンに乗った皿が次々とまわっていた。
「そちらも今昼飯か。それに寿司か……回転寿司とは考えたな。確かに今の時間になってしまうと個人の食べ物屋は休業時間だからな。その点回転寿司は常に開いてるから時間を気にする必要が無い」
ちらちらと前方と画面の両方に気を配りながらカウラはそう言った。
『まあしかたねえだろ?今の時間は開いている店が限られるんだから』
満面の笑みで金ならあるかなめは一皿800円の大トロを頬張っていた。それを見ながら時々画面を見つめつつ、浪費癖で金欠のアメリアは一皿100円のかっぱ巻きを続けて口に運んでいた。
「そうだな。カルビナ、寿司でいいか?」
カウラはかなめ達に触発されたようにそう言った。
「回転寿司はなんやかんや言いながらお腹いっぱい食べると1,000円超えるんで、できれば安いところが良いんすけど……給料の大半を国に仕送りしているもので……」
いつもの控えめなラーナに戻る姿が滑稽で誠は思わず噴出した。
「じゃあ……この近くならハンバーガーの店があったろ?あそこなら今の時間でもやっているはずだ」
カウラは慣れた手つきで車のギアをシフトダウンするとそのまま横道に車を乗り入れた。
「チェーン店ですか?ハンバーガーチェーンでも出来れば安い店で……」
ラーナはうれしそうな顔でそう尋ねた。
「確かそうだよな」
カウラのいう通りなので誠はそう言ってうなずいた。
「ならそこで良いっすよ……神前部長もその方がいいっすよね?」
カウラは誠がうなずくのを見ると笑みを浮かべてアクセルを吹かした。年中アニメグッズの購入で金欠の誠にもその方が助かるのは事実だった。
「そう言えば……西園寺はラーナの意見に特に反論しなかったな。それとなにやらラーナの端末にアクセスしていたみたいだが……何か掴んだのか?」
そんなカウラの質問にウニを頬張りながらタレ目のかなめは大きくうなずいた。
『なあに、情報収集の基本は非正規部隊も警察も変わらねえってことを言われて思い出したからアタシは何も言わなかっただけだ。それに掴んだに決まってんだろ?アタシを誰だと思ってんだ?そんな作業でも並行してやっていなきゃなんでこんな奴と……』
800円のウニを頬張るかなめの隣で100円のかんぴょう巻きを食べていたアメリアが顔を上げた。
『かなめちゃんひどい!こんな奴なんて!』
アメリアの声だけが端末に響く。思わず誠も苦笑しながらラーナを見てみた。彼女はと言えば相変わらず自分の端末を叩いて作業を続けていた。
「で……結果は?」
カウラはそう言って画面には一切目をやらずハンドルを切った。
『焦るなっての。そんなに簡単に行くわけ無いだろ?とりあえずラーナのデータは正確だったってことはよく分かったよ』
かなめはウニの次は大トロの皿を取った。
「あんがとうございます」
ラーナはついでのように答えた。それが気に入らないと言うようにかなめはかっぱ巻きを口の放り込んだ。
『アタシも豊川の街をこうして回るのは初めてだが……まあ予想以上に複雑だわ、この国も』
かなめは貴族制国家で強固な身分制度が障害となって様々な社会問題が起きている『大正ロマンの国』甲武国の出身なので東和共和国の事情にはそれほど精通していなかった。
「実のところ本当の意味で東和が銀河でも屈指の経済大国になったのは先の大戦のあとの復興景気以降だからな。それを考えて見ればこういう地方都市の矛盾と言うものも見えてくる」
カウラは複雑な表情を浮かべてそう言うと静かにうなずいた。
『難しいこと言うじゃねえか。まあそんなことはどうでもいいとして……今回の事件。誰が犯人でもおかしくない気がしてきたよ。特に旧市街の新たに越してきたアパート住人と5年前の戦時国債償還をきっかけとして始まった好景気前から住んでいる旧住人との軋轢は酷いもんだ。それが今回の法術の存在の発表。その軋轢のある所に火に油を注いだようなもんだな』
そう言いながら再びかなめは回転するベルトから高そうな軍艦巻きを手に取った。
「以前は市民団体やら市役所の担当窓口やらが仲介に入ってなんとか騒ぎにはならないでいたらしいが……すでに何軒かの訴訟が起きてる。ほとんどが法術がらみだ。アタシ等が法術師を探して歩くと言い出すかも知れない以上、豊川署の連中が会議から締め出した理由は読めてきたよ』
かなめは難しそうな表情を浮かべてウニの軍艦巻きを平らげた。
「恐らく法術師をめぐるトラブルの話題が会議でも取りざたされるだろうからな。うちが法術師なんてものを世の中に発表する機会が無ければよかったと言うお決まりの愚痴も叩けなくなるだろう」
納得したようにカウラはうなずいた。誠はすぐにラーナに目を向けた。誠もラーナも法術適正のある法術師である。恐らく同じように部屋を探したりアパートに暮らしたりすれば同じように差別や嫌がらせを受けることはすぐに想像が付いた。そしてそんな世の中にした法術の存在の顕現化を行なったのは他でもない『近藤事件』での誠の法術による敵巡洋艦の撃沈だった。
「西園寺。そこらへんは後で話す。とりあえず貴様たちは食事をしていろ。私達もこれから食事だ」
誠の動揺がカウラに見透かされていたようでかなめはすばやく話を変えると端末を消した。
「気にするな……と言っても無理か」
そう言うとカウラはハンバーガーショップの駐車場に車を入れた。誠もラーナもかなめの言葉はある程度予想していたもののその内容は想像するに十分だった。
自分達は力があるがゆえに力のない人間から嫌悪されている。その事実はこれまでの戸別訪問でも十分知っていたが、かなめの言葉がその事実に第三者的な裏付けを与えたのが止めだった。
黙り込む二人を無視してカウラはそのまま車をドライブスルーの場所に移動させる。
「カウラさんは食べていかないんですか?ドライブスルーって……まあ、どこかのホームセンターとかの駐車場で食べればいいんですよね」
訪ねてくる誠にカウラは疲れたような笑みを浮かべるだけだった。
「そう……だったな。カルビナはどうする」
駐車場にハンドルを切ろうとしたときに助手席のラーナが思わずカウラの左手を押さえた。
「アタシはどうも……お店で食べるのは慣れないんすよ」
ラーナは照れたようにそう言うと苦笑いを浮かべた。
「むしろ人の顔は見たくないか……」
ラーナの言葉を聞くとカウラは車を駐車場に入れずドライブスルーのゲートに向けてそのまま運転席の窓を開けた。
『いらっしゃいませ!ご注文をどうぞ』
明るい店員の女性の声が響く。ラーナはなぜかうつむいたまま自分の端末を呆然と眺めていた。
「全員Aセットでいいな……じゃあAセットを三つ。ドリンクはブレンドコーヒーで」
カウラは迷うことなくセットを決めて注文した。
『かしこまりました。Aセット三つ、お飲み物はブレンドですね』
明るい声だが、誠もなぜか相変わらず違和感を感じていた。
「法術の使える人と使えない人……新住民と旧住民……どちらも見ただけじゃ分からないのに……やはり壁は感じますね」
そうつぶやいた誠に情けないと言うような笑顔で答えるラーナの顔が誠には辛く感じられた。彼女は遼帝国出身で純血の遼州人だった。誠も名前こそ日本風だが遺伝子検査では地球人との混血はほとんど無いと判定されていた。
「人はそれぞれ違うものだと言うが……あれだけ違うとな」
カウラがそう言ったのは最後のアパートの男子大学生との会話を思い出したからだった。
『迷惑なんですよね……法術適正?そんなの受けなきゃいけない化け物に生まれたつもりはありませんよ』
無精髭が目立つ小太りの男子大学生はそう言うとラーナが差し出したチラシを受け取らずにドアを閉めた。まるで自分は関係なく、地球人の直系の人種だと言うことを特に証拠もなく信じている若者が増えていることは誠も知っていた。だがそれにしてもその死んだように誠達を見つめる目。自分の差別意識に露ほども疑問を感じていないその鈍感な感性に誠は衝撃を受けていた。
誠は、その言葉が自分だけでなく、しまった大学生の部屋の扉をじっと見つめていた隣のラーナにも突き刺さっていることに気づいていた。
「近くに運動公園があるな。そこで食べるか。ホームセンターの駐車場は食堂じゃない。運動公園の駐車場ならそんな良心の呵責を感じないで済む」
そう言いながらカウラは商品の受け取り口のある店の裏手へと車を進めた。誠もラーナもただ何もできずに黙ってカウラの言葉にうなずくだけだった。




