第24話 悪くない力
水島徹はようやく部屋にたどり着いてコタツにもぐりこむと大きくため息をついた。そして自分が何をしたのかようやく分かってきて沸いてくる笑顔を止めることができなくなっていた。
「法術師……悪くないな。今日初めてそう思った……悪くない。悪くないな。力がある?だったら使わない方がどうかしている」
久しぶりに浮かんだ自分の笑顔になんだか楽しくなってくるのが分かった。
半年前。水島は会社を突然解雇された。理由は半月前に社で就業規則上の『安全管理義務』を理由にほとんど強制的に受けさせられた法術適性検査で法術適性があったからだった。組合に入っていた同僚達はその解雇を不服として労働基準監督署を通じての団体交渉に入ったが、組合というものにアレルギーを持っていた彼は一人でその解雇通知を黙って受け取ると退職しても半年は寮に住む権利があるということと割り増しの退職金の支給という条件で満足した。そのときは少しばかり高い退職金にすっかり得をした気分でうきうきしていたことを今でも思い出すことが出来た。
しかし、退職手続きを終えてから急に区民会館に呼び出されて行われた検査の後で様相は変わり始めた。実際後で聞いてみれば自分の反応は他の法術師の反応とは違うということだった。なんでも空間に介入して時間軸や状態を変性させる能力や思考を読み取ったりする能力があるという話だが、彼にはそんな能力があるわけではない。その結果が社に伝わると退職金の半額の返納請求書と見たことも無い書類とそれに押された自分の実印を目にすることになった。書類の内容は寮からの一週間以内の退去に同意しているので荷物をまとめて出て行けという内容だった。
その手のひらを反すような会社の態度に水島は怒りは特に無かった。それ以前に自分が法術適性を持って生まれてしまったという自責の念が自分を支配していた。それでもあまりの自分の追い詰められた状況を理解してただ頭の中が白くなったのを今でも覚えている。退職をほとんど当たり前だと言う調子で告げた上司もさすがにこの決定にはばつが悪かったらしく、彼の友人が経営している湾岸地区のアパートに三ヶ月だけ住まわせてくれると言う約束を取り付けて寮の入居期限の翌日に急いでそこに移った。
最終出勤日に渡された離職票を見てそれについていた職業安定所での各種失業保険を受給するための手続き書類に目を通しても水島は職業安定所に行く気にはならず、有料職業紹介の会社に何度か連絡を入れたが法術師は対象にしていないと言う理由ですべて門前払いを受けた。そもそも民間企業が法術師などと言う危険極まりなく自社の利益にならない人物の職業紹介など端からするつもりはないことなどは分かっていた話だった。
水島の手元には就職してからこれまでの貯金と減ったとはいえ手元に残った退職金もそれなりの額がある。町工場を経営していた父の残した遺産もある程度あり数年は食うに困らないのは分かっていた。
焦る気持ちと諦めかけた気持ちを切り替えようと、工事現場の騒音が響くアパートの一室で水島は学生時代の教科書を引っ張り出して法律の勉強を始めることにした。
一般企業の勤め人の身分などまったくあてにならないと判断しての再就職を諦めた判断は正解だったと水島は思っていた。
実際、その後もネットや人材業界の友人に仕事を貰おうと電話をかけてようやく今の自分の現状が見えてきた。
法術師の存在を歓迎しているのはこの東和共和国では軍と警察くらいのものだった。どちらも年齢制限で彼が応募できるわけも無かった。それ以前にルート営業一筋の彼が犯罪者相手に渡り合うことなど端から無理だったし、軍の過酷な訓練の日々に耐える根性など自分には無縁なものだと知りすぎていた。
そもそも水島は戦う男ではなかった。ただのサラリーマン。そしてこれからもただの市民として生きていくことが当然だと思っていた。
そんな彼にも転機が来た。
いつものように彼は勉強の疲れを癒そうとコンビニに入りビールを買うとそのまま会計をしようとレジへ向かった。湾岸地区はあまり治安が良いとはいえない。事実その時どう見ても堅気には見えない若者が勢いよく扉を開けて入ってきた。その時だった。いつもならそんな自分では腕力では勝ち目のない若者と目を合わせることすらできずにレジで硬くなっている自分が何かを脳で感じた。
それはこれまでにない感覚だった。まるで何かが出来るような喜びが水島を支配したのをまだ覚えている。そして実際その場所で水島の『力』は目覚めた。
まさに脳で感じたという状態だった。いつものように秋になったばかりの蒸れた空気の中の昼過ぎのコンビニには工事現場の作業員が並んで雑誌を読む姿があった。釣りを受け取りながらその群れに目をやると紫色のニッカポッカの若い男に目が集まった。
『なんだ?』
水島はしばらくなんでその男から目が離せないのか理由が分からなかった。髭面で焼けた肌だがどちらかと言うとその日焼けは仕事でついたと言うよりもその荒れた茶色い髪が意味するようにマリンスポーツでも楽しんだ結果の日焼けのように見えた。
『なんで俺はアイツを見ているんだ?俺はアイツとは何の接点も無いはずだ。ただ、それでも俺はあの男に引きつけられている。その事実は消せない……きっと理由があるはずだ』
再び自分に尋ねてみた。理性では理解できないがその男が他の作業員達とは明らかに違う何かを持っている。自分の中の何かがそう答えている気がした。
『……嘘ばっかじゃねえか。パチンコは根気。一万二万で大当たり?無理無理!……』
突然自分の中で他人の声がした。水島は受け取った小銭を落としかけた。店員は慌ててそのコインを拾うと再び水島の手に乗せようとしている。だがそんなことは水島にはどうでもいいことだった。人の考えていることが手に取るようにわかる。その事実が水島を興奮させていた。
『それだけじゃないな……何かあるんじゃないか?君には……何か私にはそんな予感がするよ』
心でつぶやく。その瞬間男は驚いたように茶色い髪を振り乱し雑誌を手に左右を見回した。店員の不審そうな視線もその時の水島には気になるはずも無かった。
『気持ち悪りい……なんだ?声がしたけど……先輩かな?』
男の思いが読めたと分かった瞬間。水島の頭の中に何かが引っかかるのが分かった。
周りの男達と自分が心を読んでいる男との決定的な違いはその引っかかりだ。理由も無く水島はそう確信していた。そして心の中で叫んだ。
『はじけろ』
水島にとってはそれだけだったが、次の瞬間に起きた出来事は彼の予想を超えたものだった。
紫色のニッカポッカの男の髭が火で覆われた。何が起きたか分からないというように呆然としたあと、男はそのまま顔を抑えてのたうち回り始めた。明らかに何も火の無いところから火が回り転げまわる男の姿がそこにはあった。
助けを呼ぶ仲間、レジから飛び出していく店員。その様子を驚き呆れて見つめるだけの他の作業員。そんな中、水島はただ一部始終を薄ら笑いを浮かべながら眺めていた。
消火器を持ち出した店員が薬剤を男に噴射して何とか火は収まった。そしてその様子を見ていた客はそれぞれに手にしていた端末などで連絡を取り始めた。その混乱にまぎれて水島は店を後にした。
誰も自分の知らない力がこの騒動を引き起こしたことなど気づいていない。
『俺の力なのか?これが法術なのか?法術は使えない?きっちり使えてるじゃないか。こんなこと地球人には出来ないんだろ?だったら俺もまた法術師だ』
水島は心の中でそう思いながら店から出て歩き出した。気づくと自分の顔に会社を解雇されて以来の久しぶりの笑いがあることに気がついた。法術適正があるが何の能力も無い。そんな思い込みがその瞬間から変わっていくのを水島は感じていた。
それからと言うもの同じように水島の心の中に『引っかかる』何かを持つものが山といることが分かってきた。街を歩けばそんな『引っかかり』、世に言う『法術』の使い方も分からずに力を持ち腐れさせている多数の人間に出会った。そして何度かその能力を使ってやるうちに、そんな自分の行為が自分に与えられた責務ではないかと思い始めていた。パイロキネシストがいれば近くのごみ置き場に火をつけてやった。空間干渉能力があれば近くの立ち木を切断して見せてやった。
『みんな色々できるんだぜ……俺達を見限った連中に一泡吹かせるくらい楽なもんだ。これまではこの力は隠されていた。確かにこんな力を政府が隠したがるのはもっともだな。こんな力が使い放題ならそれこそ社会が崩壊する。『近藤事件』……要するにその現実が隠しきれないところまで切迫したものになったという当然の帰結と言うわけか……終わりかけた世界を救う遼州人だけ与えられた『力』。なるほど遼州圏が地球圏から独立できたのも当然だな。この力が無い地球人がどんな兵器を持ってこようが俺達、遼州人に勝てるわけがない』
にやける頬を引き締めながら水島はいつも思っていた。
この世界は力の無いのと力のあるものがいるというのは不完全な認識だと彼は考え始めた。
そう思いながらコタツの中で、水島は自分の指先を見つめた。何も変わっていない。それなのに、もう以前の自分とは違う。
『力があっても使わなければ意味が無い』
そう言う訳で司法大学院の勉強の傍ら町を徘徊して彼等の力を使った。
初めはそれこそボヤ程度で十分だった。ちょっとした車のタイヤを割ることで納得できた。
この世界が法術師を生んだのならそれにふさわしい待遇が必要になるはずだ。能力の上に眠るものに何の権利も無い。そう思いながら日々散歩と責務遂行の日々を繰り返していた。
ただ最近は警察の目が気になり始めていたところだった。司法試験を目指すだけあって警察が単純に違法な能力者の現行犯での摘発だけをしているうちは安心できた。
正月前、たまたま合格祈願を兼ねて立ち寄った朝草寺でパイロキネシストの少女の能力を乗っ取った時、テレパシー能力のある暇そうな警邏隊員の思考を読み取ってみれば『東都警察法術機動隊』だの『司法局法術特捜』だのという単語が浮かんでいるのに気がついた。
例の法術と言う存在を知らしめた甲武星宙域での軍事衝突である『近藤事件』以降の法術の認知の広がり。それを考えると水島も法術の研究が自分の思う以上に進んできていることを実感していた。恐らくこのまま行けば自分の能力が特定されてきても不思議ではない。瞬間的な恐怖が水島を支配した。しかし、今のささやかな楽しみと化している通行人の『能力の解放と言うボランティア活動』は麻薬のように水島を虜にしていてもう止めることができなかった。
幸い水島は豊川市の明法大の司法大学院を受験し合格することができた。これで田舎の自分の力を知らない連中だけを相手にすれば良いとなると気が楽だった。
『さて、次は何をしようか』
豊川市に来て初めてのボランティア活動として老婆に自分が空間制御能力があると教える悪戯を済ませて、部屋の中で大の字に寝転び天井を見上げながら湧き出す笑顔に耐え続けた。
『そう言えば豊川といえば司法局実働部隊……あのすべてのきっかけとなった『近藤事件』を起こして法術を最初に使った空気の読めない馬鹿がいたな……連中に一泡吹かせるというのもまた悪くない……悪くないな』
そんなことを思い出すと近くに寄ってみたいというような酔狂な気分になる水島だった。
『きっといろんな力が眠っているんだろうな。待ってろよ。起こしてやる。俺の力はあの巡洋艦を撃沈した力さえ自由に操れるんだ。これ以上ないくらいはっきりとこの俺が無力な中年男ではないことを思い知らせてやる!』
笑いの堰は切れてそのまま水島は声を張り上げて部屋の中で笑い転げた。




