第22話 赤色灯の豊川署
「あら電話?皆さん、ちょっと待ってくださいね」
そう言うと茜は周りを気にするようにして立ち上がりそのまま店の奥のトイレへと消えていった。その立ち上がる姿はラムのボトルをほぼ半分くらいは一人で開けた割には少しも乱れたところも無くあまりに突然で自然だった。あれだけ飲んでくだを巻いていた茜が一瞬で酔いを醒まして見せたのかと呆れて誠達は顔を見合わせた。
「どうした……事件か?って彼氏の一人も居ねえアイツに電話が入るってことは間違いなく事件だわな」
そんな中でかなめは一番に正気を取り戻していた。そして手にしたショットグラスに満たしたラムをあおった。
「まあ法術特捜の本局付きの捜査官はほとんどは見習いばかりで使えるのはいまだに茜警部一人だからな。代わりがいないのはつらいんだ。この絡み酒も滅多に酔うことすら許されない激務に耐えている茜警部の普段溜めているストレス解消の機会だと諦めて許してやれ。それよりも問題はどんな事件に関してどこが茜警部に連絡されてきたかだ。もしこの付近で起きた事件なら我々が今から動員される可能性もある。その覚悟はしておくべきだな。」
これまで車を運転するということで烏龍茶だけを飲んでいた素面のカウラの言葉に誠もうなずいた。同盟司法局と東和警察の関係は決して良好とは言えない。三年前に設立されたばかりのよそ者の司法局の面々がうろちょろしていることを同業者である東和警察がいい顔をするはずが無いというのはどの業界でも同じことだった。だがこれまで東和警察もこと『法術』に関しては法術特捜など司法局旗下の組織に一日の長があることを認めていた。
法術に関して遅れをとっていた東和警察も、ここ半年で各都道府県警に署員の法術適性検査を行って適性のあるものに片っ端から召集をかけて独自の法術犯罪対応部隊や捜査担当課などを設立していた。さらに先月には通常の警察官採用試験の他に法術適性者のみを対象にして他の警察官に比べて大幅に広い受験基準を設定した一般からの法術専門捜査官の応募を全国的に行うことにまで踏み切っていた。
結果として東和警察には法術師の数だけは増えることになった。しかし、何も知らない素人が法術師であると言うことだけで警察官になっただけで人数が増えただけで別にその間に法術犯罪のノウハウについて何か東和警察が手に入れたと言う話は誠が聞く限りは無い。その質より量を自慢に捜査は任せろと言わんばかりの東都警察の上層部が、法術師を同盟司法局に出向させてくれることなど夢のまた夢の話だった。
誠自身も『近藤事件』直前の自分程度のスキルしかないプライドばかり高い東都警察や千要県警の警察官が自分の補助につくことになったと嵯峨やランに言われたところでどうすればいいのか分からないし、正直邪魔としか言えなかった。
捜査と法術の運用には慣れているが人の足りない司法局。頭数は多いが捜査方法に関してはずぶの素人もいいところでその素質そのものが疑問視される程度の法術師しか擁していない東和警察。お互いの足の引っ張り合いは司法局の一員である誠から見てもあまりに無様だった。
「でも茜ちゃんだからいいのよね。私なんかあんなに飲んだら倒れちゃうわよ。本当に事件となるとさっきまでどうでもいいことでかなめちゃんと絡んでいた時は別人の通常勤務状態に切り替わる。嵯峨親子の肝臓はどういう構造になっているのかしら?」
戦闘用人造人間で薬物への耐性強化のために肝臓はやたら強く設計されているはずのアメリアから見てもあの茜の飲み方は異常だった。 確かにあのペースの飲み方ならカウラなら五分で意識がなくなっているだろうし、誠ならもって十分。比較的持ちそうなアメリアでも15分が限界だと誠は先ほどの一瞬でどう見ても素面にしか見えない口調に戻った茜の表情を思い出しながらそう思った。
「ありゃあ特別な血族だからな。叔父貴も酒はいくらでも飲みやがる。まあ、アレは不死人だから当然と言えば当然か。アイツの肝臓は常人よりもアルコール分解速度が速い上に、それで傷ついた肝臓組織が傷つくそばから再生するんだから。だから叔父貴は一年中でもアルコール度数96のスピリタスを水のように飲んでもたぶん平気な顔をしてるぞ。まあ、ランの姐御も同類だが、姐御はビールと言う弱点があるということは前に知ったからな。でもなんでランの姐御は日本酒5升飲んでも平気な顔をしているのにビールの大瓶一本飲んだだけで次の日二日酔いで動けなくなるんだ?やっぱりあれは『人外魔法少女』だ。この世の物理法則が姐御には一切通用しねえ」
かなめの言葉にさすがのアメリアも同意するようにうなずいた。
トイレから出てきた茜の表情はほとんどしらふといっていい状態だった。済ました表情で着物の襟もとを整えると静かに椅子の後ろに置いていたきんちゃく袋を持ち上げて手際よく帰り支度を始める。
「すみませんけど豊川警察署までのタクシーを手配していただけません?ちょっとした事件です。いち早く情報を確認したいので」
そのあまりの変わりように再び呆れる誠達だが、茜の真剣なまなざしがすでにおちゃらけた言葉を吐けるような雰囲気を抹殺してしまっていた。
「普通のタクシーでいいんですか?できれば助手とかになってくれる人も乗れるような車のあてならありますよ?それならタダで用意できますけど……この時間ならタクシーを呼ぶのと同じくらいの時間で確保できますから」
アメリアがそう言うと後ろの椅子においてあった自分の黒いポーチに手を伸ばした。すぐに端末を取り出すと耳にあてがい相手が電話に出るのを待った。
「またパーラかよ……アメリアは困ったときはいつもアイツを便利な足代わりに使いやがる。確かにアイツは今頃夕食を終えてテレビでも見ながらのんびりしている時間だろうからな。それにアイツのマンションはここから近いから着替えて車で来ても下手にタクシーを呼ぶより早いのは確かだ。でもまあここまでアメリアに便利な道具扱いされるとさすがにかわいそうだな」
かなめが同情するのも当然だった。運用艦『ふさ』艦長のアメリアのお守り役の副長のパーラ・ラビロフ大尉。アメリアやカウラと同じ戦闘用人造人間の『ラスト・バタリオン』として生を受けた彼女の一番の不運は、司法局実働部隊設立時からアメリアといつでも行動を共にすることになったことだった。
趣味に関してはいくらパーラが忠告したり時には怒鳴りつけても構うことなく暴走する。自分の身勝手と『面白ければそれで良い』というはた迷惑な人生訓から問題を起こしても要領よく一人だけ切り抜ける。そして相手の迷惑や都合などまるで考えずに徹底的に人使いの荒いアメリアとの腐れ縁は隊員達の多くが同情するところだった。
「いいじゃないの。あの子の車だって島田君の今度用意してくれた車が車庫に眠ってるなんてかわいそうでしょ?島田君も言ってるじゃないの、車は走って何ぼだって。……ああ、パーラね!今どこ?……テレビを見てた?ちょうどいいわ。今すぐ着替えて月島屋まで来てちょうだい……嫌だ?これは上官命令!拒否したら敵前逃亡扱いよ!」
さも車をパーラの運転で借りることが当然というような顔でアメリアはパーラに現状を尋ねて非情な命令を下した。時間からしてもう普通の人なら眠りについている時間であるが、日頃から転職情報誌を手放さないパーラは大体転職情報でいつもいい条件の仕事が無いのを確認してからそのことに絶望して気分を変えるためにテレビを見るという日常を送っていた。アメリアが年中何かというとパーラを呼び出してこき使うので誠もパーラの夜の日常を暗記するようになっていた。誠達は何も知らないパーラがまた慌てて自分の『初代ランサーエボリューション』に走るのを想像して同情の笑みをこぼすことしか出来なかった。
電話でのアメリアのやり取りを見ながら茜は深呼吸してアルコールを抜こうとしていた。
もうすでに呼気のアルコール濃度はともかく意識と態度は何処までも事件に向かう警察官と変わっている茜に誠とカウラは驚きの表情を浮かべて見つめあった。
「行き先は豊川警察署?ああ……島田君がいたら逃げ出すわね。まあ同じくらいあそこにお世話になってるかえでさんとリンさんはまるでそんなこと気にしてなさそうだけど」
自分の水色の短く刈り込んだ髪をなでながらパーラは冗談を言う割には目は笑ってはいなかった。島田はこれまで何度とないバイクや自動車の窃盗容疑でここに連行された経験者である。そしてかえでとリンは公然猥褻行為の現行犯でもう何度豊川署に連行されたか誠もその正確な回数は覚えていなかった。
おそらく島田とかえでとリンが逮捕された正確な数を覚えているのはいつもこの三人を迎えに行くために呼び出されるランと甲武時代はかえでの後始末を担当していた家宰であるリンくらいのものだろう。
運転席から降りてアメリアをにらみつけているパーラは明らかに不機嫌そうに見えた。そんな他人のことでも口に出さなければ、疲れて帰ってきたところにいきなり呼び出されてこんなところまで車を走らされたことに怒りが爆発しそうなんだろう。明らかに人造人間と分かるその髪の色の持ち主の引きつった作り笑顔が誠にはどうにもそんな感情を押し殺したもののように見えた。
そんなパーラの思いなど関係ないと言うように淡々と茜はその車の助手席に乗り込んだ。
それを確認するとカウラはいつものように愛車の『スカイラインGTR』に乗り込み、誠達も同乗した。
パーラの車である『初代ランサーエボリューション』には武装警察の車両らしく通信機がついていた。当然カウラの『スカイラインGTR』にも同じものがついている。
『これもお仕事。割り切ってもらわないといけないですわね』
パーラの車からの通信で茜がつぶやくのにアメリアが大きくうなずいた。しかしそんな茜のパーラや隊の日常を知らない一言のおかげで、誠達はこれが尋常ではない何かが起きているのではないかという事実に気づいた。
「お仕事……?私達が豊川警察署に向かうってことは例の他人の法術能力を使って悪さをする暇人が何かこの近辺でやらかしたとか?」
アメリアの問いに答えずに茜は黙り込んだ。そしてカウラがシートベルトを締めるのを確認するとパーラの車は動き出した。
「こちらも行くぞ」
カウラが言った相手がかなめなのは誠もすぐに分かった。いそいそとかなめがシートベルトを締めた。
「何をしたんですか?……いいえ、何が起きたんですか」
カウラの問いに一瞬の沈黙の後、茜は口を開いた。
『今度は空間制御系の操作ですわ。能力者は70代の女性。自転車で走っていたところで急に自転車が加速しているように感じられて下りようとしてみたら感覚がずれていて転倒してしまったという話ですのよ』
聞いてみればあまりに小さな事件だった。確かに千要県警にとっては『こんな程度』の事件なのだろう。誠が横を見ればかなめは明らかに事件の小ささに不満げな表情を浮かべている。しかしそれが法術を使ったものだと言うことで自分も法術師である誠の酔いはすでに醒めていた。
「なんだよ婆さんが転んで怪我でもしたのか?それでも事件かよ!アタシ等が飲み会を中断して出かけるほどの事件か?そんなの交番のお巡りさんがなんとかしろ!」
我慢できなかったと言うようにかなめがそうはき捨てるように口走った。一瞬その言葉にカウラはバックミラー越しにかなめをにらみつけた。
そんなカウラの恫喝にかなめは平然の嘲笑で答えた。カウラはそれを見てあきれ果てたと言うようにわざとらしいため息をつくとそれでも何の反応も無いかなめに呆れて前を向いてしまった。アメリアはそんな車内のごたごたに関係したくないというように警察署に続く大通りの車窓を眺めていた。
『一応法術の発動に許可が必要になったのは皆さんもご存知ですわよね。神前君!』
先ほどまではあれほど店では飲んでいたはずなのに茜の口調には酔いの兆候は少しも感じられなかった。
「はい!」
一方は司法局のエリート。誠は士官候補生崩れの新米下士官。呼ばれたら答えるしかなかった。
「法術の発動は市街地では自衛的措置以外は原則として全面禁止です。違反した場合には30万円以下の過料か6ヶ月以下の懲役が科せられます!」
誠も伊達に名門私立理系単科大学の最高峰の東都理科大学を出た訳ではない。この半年で基本的な法術関連の法的知識は得ることが出来ていた。
『……ということですわね。もし演操術系の法術師の介入が認められなかったら罪も無い哀れなお婆さんが無実の罪に服することになるわけだけど……。どうやらかなめさんはそんなことはご自分には関係ないとおっしゃりたいわけね?』
先ほどあれほど飲んでいたのが不思議に思えるくらい平然と茜はそう言った。
「……別に……アタシは……そんなことを言いたいわけじゃ」
かなめは口ごもった。車はいかにも計画道路らしい直線道路を進んでいた。市役所を越えればそこは警察署の中庭である。
警察署の前の道路が赤い非常灯で染め上げられているのを見て誠もようやくこれがかなめの言うような軽犯罪だとは千要県警は見ていないことが嫌でも分かった。
多数の捜査車両がいつでも出動できるような態勢で赤色回転灯を点灯させたままで待機しているのが分かる。豊川署のいつものこの時間なら無人なはずの正門の前には恐らく千要県警本部から派遣されてきたらしい機動隊が入り口を固めて、その三階建ての見慣れたビルは一瞬城砦のようにも見えないことは無かった。
これはかなめの言うような軽犯罪ではもはやなくなっている。そう思うと誠はカウラの運転で静かに豊川署の敷地に入る車の中でつばを飲み込みながら緊張に耐えていた。




