第七話-3
結論から言おう、スイッチバックはしなかった。なぜこんなことになったのか? 原因は健人や小西は横浜方面から京急蒲田に入り、俺と凛は品川方面から京急蒲田に入ったからだ。つまり方向が逆なのである。
まず前提として、京急蒲田駅は横浜と品川の間にある駅だ。横浜方面から入る電車がスイッチバックするということは、京急羽田線の線路がそっちにあるということ。だから一度止まって引き返す必要がある。逆に品川方面から来ると、羽田線の方角が進行方向と一致するため、そのまま出て来れてしまうのだ。
「とりあえず、ここで見てたら分かるよ」
とか浅い知識で言ったのがしょーもなく恥ずかしい。穴があったら入りたい。そんな話を空港で合流した健人にすると、奴は盛大に笑いやがった。
「馬鹿じゃねえの」
と。まあ確かに少し考えてみれば分かることなのだ、変に慰められるよりはこっちの方がまだましかもしれない。もうどうしようもないので、せめて日記にだけは書いておくことにした。集合時間まではまだ少し余裕がある。スマートフォンを取り出しメモ帳を開いて弄っていると、外波山&宮本コンビが合流した。
「おはよー」
と挨拶が飛ぶのには一応返事をしておく。外波山は通路の隅で小さくなっている俺を見つけると、上から覗き見るような姿勢で声をかけてきた。
「何しとるん?」
「日記書いてる」
「早っ、今日まだ始まったばかりやぞ。律儀だなー」
「そんなんじゃねえよ」
よく誤解されるけど、本当にそんなのじゃない。
「じゃああれだ、青春の思い出メモみたいな」
「そんなきらきらした心境で日記書くような顔に見えるか?」
「ごめんそれ見えると言っても見えないと言っても地雷踏まない? 大丈夫?」
「良いよ別に、ただの参考資料だし」
外波山がよく分からんという顔で首を傾げているのをちらりと見て、軽く説明した。
「作家は経験したことしか書けない」という言葉がある。創作の世界にいたらどこかで必ず耳に入る言葉だ。それが嘲りであれ戒めであれ、まるきりの妄言というわけではない。実際そういう側面はあると思う。だからといってファンタジー作家は全員魔法が使えるとかいうわけではない。程度というか、これは感情面での傾向が強い。
小説は、描写が重要な創作媒体だ。ただ起きたことを羅列しただけではただの報告書だ。そこに登場人物たちがどんな感情を持っていたのか、どのような心境変化があったのか、それがあって初めて、小説というものは完成する。逆説的に言えば、それらを省いた小説は、薄い。
その感情の表現を描写として小説に取り入れる上で、経験の有無は大きな分岐点になる。作者が過去に類似する状況に追い込まれ、その記憶を基に書いた文章には、必然的に説得力が増しやすくなる。あるいは、経験者にしか分からない視点を取り入れることで、よりリアリティが増す効果もある。
だから俺は、日記を書く。面倒だと思うこともあるけど、経験というものは、いつどこで役に立つか分からない。記録を残しておけば、記憶を引き出しやすくなる。経験は極上の参考資料になる。俺が自分の創作論を述べるとすれば、日記の重要性について語るだろう。
「人生積み重ねた大人の方が名文が書けるのは自然なんだよなあ、人生の長さ分だけ、いろんな経験してるんだから。ま、つまりはそういうこと」
ちょうど書いておこうと思っていた日記も書き終わったので、変更を保存してメモ帳を閉じる。長々と語ったけど、これだけで小説が上手くなるはずはない。証拠は数字だ、投稿サイトのブックマークが二桁に上ったことなんてないのだから。
「なんつーか、すげえな、東宮って」
立ち上がると外波山に肩を叩かれた。こいつ結構良い奴かもしれない。
ちなみに前作の気まぐれ魔法店では、横浜から京急に乗ったのでスイッチバックしています。良ければ読み比べてみてください。
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