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5話「毎日ご飯」

 悪い人には見えない。けれど、あの少年の衰弱した姿がどうしても頭から離れない。

 こんな森の中にある屋敷であんな状態の子を一人にするなんて。

 視線が自然と、男の内実を測るように細まる。私は無言のまま、じりじりと問い詰めるような視圧を彼にぶつけ続けた。


(もしかして……)


 若い。

 それだけで決めつけるつもりはない。けれど若さという免罪符に甘えて、守るべきものから目を逸らしてしまう脆さを私は前世で嫌というほど見てきた。

 責任をはぐらかすような、事情という響きがどうしても頭の隅で引っかかり、あらぬ疑念が頭をよぎる。私の口調は自分でも制御しきれないトゲを帯びていく。

 

 体の細さ、顔色の悪さ。まるで生気が感じられなかったあの少年の姿が鮮明に脳裏に蘇る。

 グレンが慌てて探しに行こうとしたのだって、あの子に逃げられたら自分の都合が悪くなるから、なんて理由はいくらでも思いつく。

 まだ彼のことを私は何も知らない。ならば、私はその真意を正しく見極めなければならない。

 助けると決めたのだ。もし彼が害をなす存在だというのなら、あの子をここへ運んできた者として、私はその行く末に責任を持たなきゃ。

 

「体調の悪い子を放置して、賭博か何かに耽っていたわけじゃないですよね? 『どうせ寝てるしバレないだろ。一回勝ったら帰るし』って」

「違ぇよ! 急用で出かけてたんだ。一人にしたくてしたわけじゃねぇ」

「『ちょっと目を離しただけなのに! 私が、あのとき側にさえいれば……!』って、泣きながら釈明する親のテンプレみたいですね」

「お前……子供のくせに、なんで嫌に具体的なんだよ」


 あれほど堂々としていた男の肩が心なしか縮こまって見える。

 グレンは思わずといった風に顔を引きつらせ、椅子の上でわずかに身を引いた。

 その反応は図星を突かれたというより、目の前の子供から飛び出した異様な内容にただ気圧されているようだった。


「本当だったら、俺がいない間の世話は他のやつが見てるはずだったんだよ……」

「はずだった? どういうことですか?」

「色々事情があるんだよ」

「出た。これだから大人は。答えたくない質問に直面すると、答えているふりをして本質からずれた解答しかしないんだから。不都合な部分を突かれないように肝心な答えをぼかして、そうやっていつも本質をうやむやに濁す」

「…………お前、本当に子供か?」


 グレンは心底、得体の知れないものを見るような顔をして、がしがしと乱暴に頭をかいた。

 

「まぁ、とにかく。お前……フローリアのおかげであいつも助かった。ありがとう」

 

 少し気恥ずかしそうに、けれど真っ直ぐに私を見て頭を下げる。

 その姿を目の当たりにして、私は内心で毒気を抜かれた。この人が一概に悪人だとはやはり思えない。もちろん責任の所在は追及されるべきだろうけれど、すべてをこの一人のせいにするのも何か違う気がした。

 

(嘘つくような人にも見えないしな)


 相手は子供なんだから、いくらでも言葉巧みに丸め込めるはずだ。それをせず、不器用に言葉を濁してまで馬鹿正直に非を認めるなんて。

 そんな策を弄する思考すら持てないほどの阿呆なのか、あるいは救いようのない馬鹿正直な人なのか。おそらくはそのどちらかだろう。


 屈強な大人が自分より遥かに小さなちんちくりんへ何度も素直に謝意を示す。その飾り気のない姿に私は少しだけ拍子抜けしてしまった。

 

「もういいですって。というか、その誠実さを少しはあの子の管理体制にも分けてあげてください」


 私はジト目のまま、改めて男を正面から見据えた。

 

「普通に考えて、あんな衰弱した子を森に放置するのは危険すぎます。命に替えはないんですよ」

「ごもっとも」

 

 迷いのない、潔い肯定だった。

 揚げ足を取るわけでも、不快感を露わにするわけでもない。子供の真っ当な指摘を一人の人間としての正論だと真っ向から受け止める。

 その誠実な響きに私の胸に渦巻いていたトゲだらけの疑念がストンと腑に落ちるような感覚で消えていった。

 どうやら目の前の男は、私が想像したようなテンプレダメ親というわけではなさそうだ。


「だが俺からも言わせてもらうが、お前もあんな森の中で無理しすぎるな。助けようとしてお前に何かあったら、それこそ元も子もねぇだろ」

「……ごもっともです」


 今度は私の方が言葉に詰まり、視線を泳がせた。

 

 あの時の私はあれが最善だと思っていた。けれど見知らぬ森を子供の身空で無闇に歩き回ること自体、無鉄砲の極みだったと今なら冷静に理解できる。

 もっとも理解したところで「じゃあどうすれば良かったのか」という正解は、今の私にはまだ出せないのだけれど。

「知識が欲しい」なんて大口を叩いているくせに、いざという時に何も良策が浮かばないのでは、持っているだけの記憶など宝の持ち腐れだ。

 私はがっくりと肩を落とした。やはり前世の遺産だけでは足りない。もっと幅広く知識を仕入れるべきだと、私は痛切に反省した。


 そんな私の急な落ち込みをどう受け取ったのか、グレンは不器用な手つきで優しく頭を撫でてきた。


「まぁ今回はその無茶に俺たちが救われたのも事実だがな」


 大きな掌から伝わる確かな温もりに心地よい沈黙が流れた、その時。

 ぐううう。

 静まり返った室内に情けないほど立派な腹の虫が鳴り響いた。

 

「……すみません。昨日からずっと歩き通しだったので、その、お腹、空いちゃって」


 真っ赤になって俯く私を見て、グレンが堪えきれずに吹き出した。


「ふはっ! なら飯にすっか! お前らがいつ起きてもいいように飯の用意はしてんだ」


 ーーーー 


 「ッおいしー! これ、もの凄くおいしいです!」


 ここに辿り着くまでの道中、あまりの足取りの危うさにグレンがしびれを切らしてひょいと私を抱え上げようとして、それを全力で拒否するというひと悶着を経て、筋肉痛でよたよたと歩きながらようやくありついた温かい食事が今はじんわりと五臓六腑に染み渡っていく。

 

 テーブルに並ぶのは野菜が瑞々しいサラダに、湯気を立てる具沢山のスープ、そして香ばしく焼き上げられた肉料理。籠にどっさりと盛られたパンの芳醇な香りに、もう誰にも私の手は止められそうにない。

 口いっぱいに頬張った幸せを噛みしめながら、私は視線を泳がせて周囲をこっそりと見渡す。

 高い天井と磨き上げられた頑丈な木のテーブル。華美な装飾はないものの静謐な空間はこの屋敷の歴史を静かに物語っていた。


「おーおー。嬉しそうに食うな。そういう反応久しぶりだわ」

 

 片手にほのかに苦みを帯びた香ばしい香りを立ち昇らせるカップを持ち、向かいの席にどっしりと腰を下ろしたグレンに私は首を傾げる。


「グレンさんは食べないんですか?」

「もう済ませた。だから俺はこれだ」


 グレンはカップを軽く持ち上げ、中身を一口啜った。喉仏が静かに上下する。


「あいつは俺が作っても、これっぽっちも反応しねぇからなぁ」

 

 頬杖をついて、グレンはどこか吐き捨てるように悪態をついた。

 私はもぐもぐと動かしていた口を一度止め、目を丸くしたままそれを喉の奥へと押し込んだ。ごくり、という嚥下の音が静かな室内に響く。

 

「え、もしかしてこれ全部、グレンさんが用意したんですか?」

「あぁ。ここには基本、俺とあいつしかいないからな」

 

 さらりと言ってのけた言葉に私は持っていたスープの入ったカップを両手に持って固まった。

 あの逞しい腕がこれほど繊細で優しい味を生み出したというのか。天は二物を与えずと言うけれど、彼には見事な筋肉と胃袋を掴む才能の二つが備わっているらしい。

 

 前世の私は朝がとにかく苦手で、一分一秒でも長く眠ることに心血を注いでいた。朝食といえば、食パンをかじるか卵かけごはんを急いでかき込むといった手軽なものばかり。だからこそ朝からこんなにきちんとした料理が並んでいる光景は、前世で思い描いていた理想そのものだった。


 手に持っていた陶器の器をテーブルに置き、私は改めて目の前に並ぶ料理を見つめ直した。

 ただ空腹を満たすためではない。誰かが自分のためでもないのに、火を使い包丁を握ってくれたのだ。グレンはさも当たり前のことのように言っているけれど、それは前世の私にとってどれだけ望んでも決して手の届かなかった贅沢だった。


 推し活と仕事の忙しなさに追われ、自分の体を労わることすら忘れていたかつての記憶が温かな湯気の向こう側に淡く透けて見える。

 誰かに作ってもらう料理がこれほどまでに胸の奥を熱くさせるなんて。

 

 私は込み上げてくる得も言われぬ感情を飲み込むように、再びスープを手に取った。

 今度は先ほどよりもずっと大切に、その一口を口へと運び、ゆっくりと喉に流し込んだ。

 

(……温かいな)


 胸の奥からこみ上げてくる熱を感じながら、私はまた一口、料理を運ぶ。

 こんなに美味しいものをあの子は日常的に食べているのか。


「たくさんあるから遠慮せずに食えよ」

「え! いいんですか!」

「あぁ。好きなだけ食ってけ」

「ありがとうございます! 毎日食べに来ます!」

「あぁ、……あ? いや、そこまでは言ってねぇよ」

「大丈夫です! 一日には、朝と昼と夜がありますよ! 私はどの時間でも大歓迎です!」

「いや、遠慮すんなとは言ったけど気にはしろよ。お前の中で何がどうなって大丈夫になったんだよ。……ったく、最近のガキってのは皆こんな感じなのか? ガキなんてあいつとしか関わらないからわかんねぇわ」

 

 グレンは眉間に皺を寄せ、ぼそぼそと独り言を零した。

 私はそんな彼の困惑をどこ吹く風で見守りながら、瑞々しいサラダをむしゃむしゃと頬張る。

 

 シャキシャキと心地よい音を立てる野菜の新鮮さが、今は何よりも愛おしい。

 呆れたように吐き出された彼のぼやきさえ、今は美味しい食事に添えられた賑やかなBGMのように感じられた。

 

(……なんて良い光景。屈強な男が料理上手で、ぶっきらぼうながらも温かさを感じる。これぞ『ギャップ萌え』の王道。いい属性を持ってらっしゃるわ……)

 

 広々としたテーブルにちょっとした集会場かと思えるほど広い室内。

 窓から差し込む清々しい陽光を浴びながら、極上の属性を摂取する朝。

 画面越しではない、本物の輝きがそこにはある。

 さっきまで虐待だなんだと疑っていた自分を全力でぶん殴りたくなるという一点を除けば、なんて素敵な一日の始まりなんだろう。

 前世の不規則な生活では考えられなかった始まりを、胸の内で止まらない感動に浸していた矢先のことだった。

 

「そいつが子供(ガキ)なだけだろう」

 

 針を刺すような冷ややかな声が室内に響いた。

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