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【第3章完結!】国を捨て、悪役令嬢は優雅な旅に出る  作者: 月雅
第3章

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第9話 ゼロからの出発



「……足が痛いです」


私は街道の真ん中で立ち止まり、恨めしげに空を見上げた。

帝都を出発して半日。

空は憎らしいほど晴れ渡り、太陽が容赦なく体力を奪っていく。

背負っているバックパックのベルトが肩に食い込み、履き慣れない革のブーツが爪先を締め付ける。


「休憩にするか?」


前を歩いていたカイルが振り返った。

彼は私の倍以上の荷物を軽々と背負い、息一つ切らしていない。

さすがは元竜騎士。

体力お化けだ。


「いえ、まだ歩けます。次の街まであと何キロですか?」

「地図だと三十キロくらいだな。順調にいけば明日の夕方には着く」


「三十キロ……」

私は眩暈を覚えた。

『スイートホーム号』なら、エアコンの効いた車内で冷たいジュースを飲みながら、三十分で到着する距離だ。

改めて、失ったものの大きさを痛感する。


「やっぱり、馬車を買うべきだったかしら」

「皇帝陛下は最高級の魔導馬車を用意すると言っていたぞ。断ったのはお前だ」

「だって、あんな派手な紋章が入った馬車じゃ、目立って商売になりませんから」


私は強がって歩き出した。

帝都での事後処理は、思いのほかスムーズだった。

セシリア皇女の尽力により、私たちは「国賓級の協力者」として扱われ、莫大な報奨金の手形を受け取った。

その額は、新しい車を一から開発してもお釣りが来るほどだ。


けれど、私は祝宴への招待も、用意された移動手段もすべて断った。

なぜか、そうしたかったのだ。

ゼロになったのなら、ゼロから始めたかった。

自分の足で地面を踏みしめ、自分の力で進む感覚を取り戻したかったのかもしれない。


「……虫もいますし」

ブンブンと飛び回る羽虫を手で払う。

「日差しも強いですし、汗で服がベタつきます」


「文句が多いな、元公爵令嬢」

カイルが苦笑しながら、腰の水筒を差し出してきた。

「ほら、飲め。帝都の湧き水だ。冷たくて美味いぞ」


「……いただきます」

受け取って一口飲む。

ぬるくなっていたが、乾いた喉には甘露のように染み渡った。

「ふぅ……生き返りました」


「だろ? 不便だが、悪くない」

カイルが私の手を取り、歩き出した。

ゴツゴツとした掌の感触。

車の中では、こんなふうに手を繋いで歩くことなんてなかった。

運転席と助手席。

近いようで、少し遠い距離。


「……そうですね。悪くありません」


私は彼の手を握り返した。

足は痛い。

荷物は重い。

でも、この手の温かさだけは、どんな高級なシートヒーターよりも心地よかった。



日が暮れる頃、私たちは街道を外れた森の中にある開けた場所で野営することにした。

ここからが本番だ。

今までスイッチ一つで快適な寝床が用意されていた私にとって、テント設営は未知の領域である。


「えっと、このポールをここに通して……あれ? 長さが足りない?」

「エリカ、それは屋根用じゃない。入り口用だ」

「じゃあこっちは? ……うわっ、倒れます!」


バサッ。

組み立てかけのテントが崩落し、私の上に覆い被さる。

布の中でもがいていると、カイルの笑い声が聞こえた。


「笑わないでください! 説明書が不親切なんです!」

「いや、悪い。……貸してみろ」


カイルが手際よくポールを組み直していく。

さすが軍人、野営はお手の物かと思いきや。


「……あれ? この紐はどこに結ぶんだ?」

「カイル様? まさか貴方も……」

「い、いや、軍用テントとは勝手が違うな。最近のアウトドア用品は複雑すぎる」


結局、二人であーだこーだと言い合いながら、なんとかテントが形になるまで一時間もかかってしまった。

完成したテントは少し傾いていたけれど、それが妙におかしくて、私たちは顔を見合わせて笑った。


夕食は、干し肉と硬いパン、そして粉末のスープ。

カイルが集めてきた薪で焚き火をおこし、小さな鍋でお湯を沸かす。

『スイートホーム号』のシステムキッチンで作るフルコースとは比べ物にならないほど質素な食事だ。


「……どうぞ」

マグカップに入れたスープを渡す。

「ああ。いただきます」


カイルが一口啜り、ほうと息を吐いた。

「美味いな」

「ただのインスタントですよ」

「外で食う飯は、何でも美味いんだよ。特にお前と一緒ならな」


サラリと言う。

焚き火の明かりに照らされた彼の横顔は、穏やかで、とても魅力的だった。

ドキリとして、私はスープを飲み込んで誤魔化した。


パチパチと薪が爆ぜる音だけが響く。

頭上には満天の星。

結界のない、ありのままの夜空だ。


「……エリカ」

不意に、カイルが名を呼んだ。

「はい」

「車を失わせて、すまなかった」


彼はまだ気にしていたのか。

私は首を横に振った。

「気にしないでください。言ったでしょう? あれは投資です。それに、図面は私の頭の中にありますから、その気になればまた作れます」


「そうじゃない」

カイルは真剣な眼差しで私を見た。

「俺が言いたいのは……俺には今、お前に与えられる家も、城も、車もないってことだ」


彼は自分の剣を置き、私の方へ向き直った。

「俺にあるのは、この体一つと、お前を守るという誓いだけだ。……それでも、いいか?」


「何が、ですか?」

分かっていたけれど、聞いてしまった。


カイルは懐から何かを取り出した。

それは指輪ではなかった。

ネックレスだ。

革紐に通された、小さな銀色のリング。

よく見ると、それは魔導部品のナットのようにも見える。


「帝都の市場で見つけた。……お前が昔、試作品で作ったっていう『絶対に緩まないナット』だそうだ」

「……あ」


思い出がある。

まだ私が駆け出しの魔道具師だった頃、資金繰りに困って露店で売り払った失敗作の一つだ。

まさか、こんなところで再会するなんて。


「指輪を買おうと思ったんだが、俺には宝石の良し悪しは分からん。でも、これなら分かる。お前が作ったものだからな」

カイルは照れくさそうに笑った。

「絶対に緩まない。……俺たちの絆みたいにな」


彼はネックレスを私の首にかけてくれた。

胸元で、冷たい金属が私の体温を吸って温まっていく。

どんな宝石よりも、私らしい贈り物だ。


「エリカ・フォン・クロイツ」

カイルが私の両手を包み込んだ。

「家はないが、俺が一生、お前の帰る場所になる。……結婚してくれ。今度は契約書なしで」


契約ではない。

雇用主と従業員でもない。

ただの男と女として。

家族として。


私は涙が滲むのを堪え、精一杯の笑顔を作った。

意地悪な言い方をしようと思ったけれど、言葉にならなかった。

ただ、溢れてくる想いが、唇を動かした。


「……条件があります」

「なんだ? 何でも言え」

「私の足が痛くなくなるまで、お姫様抱っこで運んでください」


カイルはきょとんとして、そして破顔した。

「了解だ。……地の果てまで運んでやる」


彼は私を軽々と抱き上げた。

視線が高くなる。

彼の顔が近い。

焚き火の匂いと、彼の匂い。


「契約成立ですね」

「ああ。永久契約だ」


唇が重なる。

森の静寂の中で、二つの影が一つになった。

寒くない。

家なんてなくても、ここが世界で一番温かい場所だ。


私たちは新しい旅を始めた。

何もないけれど、すべてがある旅を。


次話、最終話。青空の下、私たちはどこまでも歩いていく。


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