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【第3章完結!】国を捨て、悪役令嬢は優雅な旅に出る  作者: 月雅
第3章

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第5話 暴走する遺産



視界が真っ赤に染まっていた。


警報音だけが、鼓膜を劈くように鳴り響いている。

重力制御を解除した空間で、瓦礫と粉塵が浮遊し、そして叩きつけられる。

その混沌の中心で、狂った笑い声を上げていた将軍の姿が、光に呑まれた。


「おお……見ろ! これが神の光だ! 我は神に選ばれ……」


断末魔はなかった。

彼が掲げていた偽造キーである黒い結晶が砕け散り、溢れ出した制御不能な魔力の奔流が、彼自身を内側から焼き尽くしたのだ。

ただの炭化して崩れ落ちる肉塊となり、床に散らばった。


自業自得だ。

けれど、彼が引いた引き金は、もう戻らない。


『警告。世界浄化プロトコル、進行中。地表対象エリアへの魔力照射まで、あと二十分』


無機質なシステム音声が、世界の終わりをカウントダウンしていた。

中央の巨大な水晶柱が黒く変色し、そこからどす黒い波動が放たれている。

もはや制御装置ではない。

あれは、ただの災厄の発生源だ。


「エリカ! 下がるぞ!」


カイルが私の腰を抱き寄せ、飛来する瓦礫を剣で弾き飛ばした。

「こいつはもう止められない! 崩落が始まる!」


「待って! まだ……まだ手はあるはず!」


私はカイルの腕の中で藻掻き、ホログラムのコンソールにしがみついた。

指先を走らせる。

管理者権限での強制停止コマンド。

緊急冷却システムの起動。

エネルギー排出弁の開放。


『エラー。応答なし』

『エラー。権限が凍結されています』

『エラー』


拒絶される。

かつて私が作り上げたシステムが、今の私を異物として排除しようとしている。

汚染された魔力が回路を埋め尽くし、正常な信号を受け付けないのだ。


「くっ……!」


私は壁面の巨大モニターを見上げた。

そこには、地上の様子が映し出されていた。


地獄だった。

帝都の空はインクを流したように黒く染まり、雷のような紫電が降り注いでいる。

街路の魔導機器が次々と爆発し、逃げ惑う人々を巻き込む。

さらに悪いことに、地下からの魔力漏洩に刺激されたのか、周辺の森から魔獣たちが溢れ出し、城壁を乗り越えて雪崩れ込んでいた。


「ひどい……」

セシリアがモニターを見つめ、膝から崩れ落ちていた。

「これが、私たちが誇った繁栄の代償なのか? 民を守るはずの力が、民を殺すというのか」


彼女の絶望が伝わってくる。

鉄と雪の国。

カイルの故郷。

それが今、地図から消えようとしている。


「エリカ、逃げるぞ」


カイルが強く私の肩を掴んだ。

その金色の瞳は、モニターの惨状など映していなかった。

ただ私だけを見ていた。


「ここも危ない。車に戻って、帝都を離れるんだ。高度を上げれば、爆発の影響は避けられる」

「何を言ってるの? 見なさい、あの惨状を! 私たちが逃げたら、この国は終わりよ!」

「知ったことか!」


カイルが叫んだ。

初めて聞く、余裕のない怒鳴り声だった。


「国なんてどうでもいい! 世界なんて知ったことか! 俺にはお前がいればいいんだ! お前を失うくらいなら、こんな国、何度だって滅べばいい!」


彼の本音だった。

かつて国に裏切られ、捨てられ、それでも這い上がってきた男。

彼にとっての世界とは、帝国の領土でも、王家の権威でもない。

私という存在、ただ一点のみ。


胸が締め付けられた。

嬉しい。

涙が出るほど愛されていると分かる。

でも、だからこそ。


私は彼の手を、そっと握り返した。


「……駄目よ、カイル様」

「エリカ?」

「貴方はそう言うけれど、私は知っているわ。貴方がどれほどこの国を愛していたか。あの雪景色を、あの不器用な人々を、心のどこかで憎みきれずにいたことを」


商業都市へ向かう空の上で、彼が見せた苦い顔。

帝都の汚染を見て痛めた心。

彼は優しい人だ。

自分を捨てた国でさえ、完全に切り捨てることはできない。


もし今、私たちが逃げれば。

彼は一生、この光景を背負って生きることになる。

私を守ったという事実と引き換えに、故郷を見殺しにした罪悪感に苛まれ続ける。

そんな顔をした彼を、私は見たくない。


「私は欲張りな商売人なんです」

私は涙を拭い、彼を見上げて笑った。

「貴方の命も、貴方の心も、貴方の故郷も。全部守らないと気が済まないの。……損切りなんてさせないわ」


「エリカ……」

カイルが言葉を詰まらせた。

私の瞳に宿る決意を見て取ったのだろう。

彼は悔しげに顔を歪め、そして深々と息を吐いた。


「……勝てないな、お前には」

彼は剣を握り直した。

「分かった。付き合う。だが、どうする? コマンドは通じないんだろう?」


「ええ。論理的なハッキングは無理です」

私は再びコンソールに向き合った。

冷静になれ。

技術者としての視点で、この状況を解析するんだ。


システムは暴走している。

魔力の供給過多による熱暴走だ。

止めるスイッチは壊れている。

ならば、どうするか。


「物理破壊は?」

セシリアが立ち上がり、銃を構えた。

「あの中枢コアを破壊すれば!」


「無駄です」

私は首を横に振った。

「あれは自己修復機能を持っています。中途半端に攻撃すれば、防衛本能で即座にカウンターが飛んできます。下手をすれば自爆を早めるだけ」


「なら、どうすれば……」


思考を加速させる。

エネルギーの奔流。

それを止めるには、ただ栓をするだけでは足りない。

溢れ出る水を押し返すには、それ以上の水圧が必要だ。


「……対消滅」

「対消滅?」


「プラスのエネルギーに対して、同等のマイナスのエネルギー、あるいは全く逆の位相を持つ高出力の魔力をぶつけるんです。そうすれば、エネルギー同士が相殺し合って、霧散する」


理論上は可能だ。

前世の知識にある物理法則と、この世界の魔法理論の応用。

だが、問題は「出力」だ。

国家全土を賄うほどの古代遺跡の魔力炉。

それに対抗できるほどのエネルギー源なんて、どこにある?


帝国の全魔導師を集めても足りない。

カイルの魔力は無尽蔵だが、彼は人間だ。

出力の瞬発力には限界があるし、無理をさせれば彼自身が壊れてしまう。


「……ある」


私の視線が、遥か上空、地上の方向へと向いた。

そこには、私の「家」がある。

『スイートホーム号』。

私が前世の記憶と、この世界の技術の粋を集めて作った最高傑作。

その心臓部にある動力炉は、この遺跡のシステムを参考に、独自に改良を重ねたものだ。

理論上、オリジンの魔力波長と完全に同期できる唯一の魔導炉。


そして、カイルという最強のバッテリーを直結させれば、一瞬だけオリジンに匹敵する、いや凌駕する出力を叩き出せる。


「エリカ? 何か思いついたのか?」

カイルが私の横顔を覗き込む。


私は拳を握りしめた。

爪が食い込む痛みが、現実を告げている。

それをやれば、どうなるか。

対消滅の中心点に突っ込むのだ。

車は助からない。

私の全財産。

私の快適な生活。

私の夢の結晶。

すべてが消し飛ぶ。


(嫌よ)


本音が叫んだ。

あんなに苦労して作ったのに。

あんなにお金をかけたのに。

まだローン(自分への借金)だって返し終わっていないのに。


でも。


モニターの中で、逃げ惑う子供を庇って倒れる兵士が見えた。

それを見つめるセシリアの絶望的な顔が見えた。

そして、私の隣で、覚悟を決めた顔をしているカイルがいる。


私は知っている。

家とは、箱のことではない。

帰るべき場所とは、壁と屋根のことではない。


「……カイル様」

「なんだ」

「私の車を、持ってきてください」


カイルが目を見開いた。

「車を? ここにか?」

「ええ。天井をぶち抜いてでも、最短距離で。……あれを、オリジンのコアに突っ込ませます」


「なっ……!?」

セシリアが驚愕の声を上げた。

「貴女の車を!? あれは貴女の……」


「私の全財産です」

私は遮って言った。

声が震えないように必死だった。

「でも、世界が滅んだらお金は使えませんからね。……必要経費です」


カイルは静かに私を見つめていた。

彼は気づいているはずだ。

私がどれだけあの車に執着していたか。

どれだけ大切にしていたか。

それを捨てるという決断の重さを。


「……分かった」


彼は余計なことは言わなかった。

ただ、強く私の肩を抱いた。

「連れてくる。待っていろ」


「お願いします。……それと」

私は彼の耳元で、小声で付け加えた。

「中に入っている高級ワインと予備の魔石、あと私の枕だけは回収してきてくださいね。絶対ですよ」


カイルは吹き出し、そして優しく笑った。

「了解だ。ケチな雇い主様」


彼は背を向け、瓦礫の山を駆け上がっていった。

その背中を見送りながら、私はコンソールの前で独り、最後の計算を始めた。

座標固定。

突入角度。

そして、脱出のタイミング。


絶対に成功させる。

私の「家」を失うのだ。

その代償に見合うだけの未来を手に入れなければ、大赤字だ。

涙を堪えて、私は叫ぶようにコマンドを打ち込んだ。


次話、究極の選択。さよなら、私のスイートホーム。


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