第5話 暴走する遺産
視界が真っ赤に染まっていた。
警報音だけが、鼓膜を劈くように鳴り響いている。
重力制御を解除した空間で、瓦礫と粉塵が浮遊し、そして叩きつけられる。
その混沌の中心で、狂った笑い声を上げていた将軍の姿が、光に呑まれた。
「おお……見ろ! これが神の光だ! 我は神に選ばれ……」
断末魔はなかった。
彼が掲げていた偽造キーである黒い結晶が砕け散り、溢れ出した制御不能な魔力の奔流が、彼自身を内側から焼き尽くしたのだ。
ただの炭化して崩れ落ちる肉塊となり、床に散らばった。
自業自得だ。
けれど、彼が引いた引き金は、もう戻らない。
『警告。世界浄化プロトコル、進行中。地表対象エリアへの魔力照射まで、あと二十分』
無機質なシステム音声が、世界の終わりをカウントダウンしていた。
中央の巨大な水晶柱が黒く変色し、そこからどす黒い波動が放たれている。
もはや制御装置ではない。
あれは、ただの災厄の発生源だ。
「エリカ! 下がるぞ!」
カイルが私の腰を抱き寄せ、飛来する瓦礫を剣で弾き飛ばした。
「こいつはもう止められない! 崩落が始まる!」
「待って! まだ……まだ手はあるはず!」
私はカイルの腕の中で藻掻き、ホログラムのコンソールにしがみついた。
指先を走らせる。
管理者権限での強制停止コマンド。
緊急冷却システムの起動。
エネルギー排出弁の開放。
『エラー。応答なし』
『エラー。権限が凍結されています』
『エラー』
拒絶される。
かつて私が作り上げたシステムが、今の私を異物として排除しようとしている。
汚染された魔力が回路を埋め尽くし、正常な信号を受け付けないのだ。
「くっ……!」
私は壁面の巨大モニターを見上げた。
そこには、地上の様子が映し出されていた。
地獄だった。
帝都の空はインクを流したように黒く染まり、雷のような紫電が降り注いでいる。
街路の魔導機器が次々と爆発し、逃げ惑う人々を巻き込む。
さらに悪いことに、地下からの魔力漏洩に刺激されたのか、周辺の森から魔獣たちが溢れ出し、城壁を乗り越えて雪崩れ込んでいた。
「ひどい……」
セシリアがモニターを見つめ、膝から崩れ落ちていた。
「これが、私たちが誇った繁栄の代償なのか? 民を守るはずの力が、民を殺すというのか」
彼女の絶望が伝わってくる。
鉄と雪の国。
カイルの故郷。
それが今、地図から消えようとしている。
「エリカ、逃げるぞ」
カイルが強く私の肩を掴んだ。
その金色の瞳は、モニターの惨状など映していなかった。
ただ私だけを見ていた。
「ここも危ない。車に戻って、帝都を離れるんだ。高度を上げれば、爆発の影響は避けられる」
「何を言ってるの? 見なさい、あの惨状を! 私たちが逃げたら、この国は終わりよ!」
「知ったことか!」
カイルが叫んだ。
初めて聞く、余裕のない怒鳴り声だった。
「国なんてどうでもいい! 世界なんて知ったことか! 俺にはお前がいればいいんだ! お前を失うくらいなら、こんな国、何度だって滅べばいい!」
彼の本音だった。
かつて国に裏切られ、捨てられ、それでも這い上がってきた男。
彼にとっての世界とは、帝国の領土でも、王家の権威でもない。
私という存在、ただ一点のみ。
胸が締め付けられた。
嬉しい。
涙が出るほど愛されていると分かる。
でも、だからこそ。
私は彼の手を、そっと握り返した。
「……駄目よ、カイル様」
「エリカ?」
「貴方はそう言うけれど、私は知っているわ。貴方がどれほどこの国を愛していたか。あの雪景色を、あの不器用な人々を、心のどこかで憎みきれずにいたことを」
商業都市へ向かう空の上で、彼が見せた苦い顔。
帝都の汚染を見て痛めた心。
彼は優しい人だ。
自分を捨てた国でさえ、完全に切り捨てることはできない。
もし今、私たちが逃げれば。
彼は一生、この光景を背負って生きることになる。
私を守ったという事実と引き換えに、故郷を見殺しにした罪悪感に苛まれ続ける。
そんな顔をした彼を、私は見たくない。
「私は欲張りな商売人なんです」
私は涙を拭い、彼を見上げて笑った。
「貴方の命も、貴方の心も、貴方の故郷も。全部守らないと気が済まないの。……損切りなんてさせないわ」
「エリカ……」
カイルが言葉を詰まらせた。
私の瞳に宿る決意を見て取ったのだろう。
彼は悔しげに顔を歪め、そして深々と息を吐いた。
「……勝てないな、お前には」
彼は剣を握り直した。
「分かった。付き合う。だが、どうする? コマンドは通じないんだろう?」
「ええ。論理的なハッキングは無理です」
私は再びコンソールに向き合った。
冷静になれ。
技術者としての視点で、この状況を解析するんだ。
システムは暴走している。
魔力の供給過多による熱暴走だ。
止めるスイッチは壊れている。
ならば、どうするか。
「物理破壊は?」
セシリアが立ち上がり、銃を構えた。
「あの中枢コアを破壊すれば!」
「無駄です」
私は首を横に振った。
「あれは自己修復機能を持っています。中途半端に攻撃すれば、防衛本能で即座にカウンターが飛んできます。下手をすれば自爆を早めるだけ」
「なら、どうすれば……」
思考を加速させる。
エネルギーの奔流。
それを止めるには、ただ栓をするだけでは足りない。
溢れ出る水を押し返すには、それ以上の水圧が必要だ。
「……対消滅」
「対消滅?」
「プラスのエネルギーに対して、同等のマイナスのエネルギー、あるいは全く逆の位相を持つ高出力の魔力をぶつけるんです。そうすれば、エネルギー同士が相殺し合って、霧散する」
理論上は可能だ。
前世の知識にある物理法則と、この世界の魔法理論の応用。
だが、問題は「出力」だ。
国家全土を賄うほどの古代遺跡の魔力炉。
それに対抗できるほどのエネルギー源なんて、どこにある?
帝国の全魔導師を集めても足りない。
カイルの魔力は無尽蔵だが、彼は人間だ。
出力の瞬発力には限界があるし、無理をさせれば彼自身が壊れてしまう。
「……ある」
私の視線が、遥か上空、地上の方向へと向いた。
そこには、私の「家」がある。
『スイートホーム号』。
私が前世の記憶と、この世界の技術の粋を集めて作った最高傑作。
その心臓部にある動力炉は、この遺跡のシステムを参考に、独自に改良を重ねたものだ。
理論上、オリジンの魔力波長と完全に同期できる唯一の魔導炉。
そして、カイルという最強のバッテリーを直結させれば、一瞬だけオリジンに匹敵する、いや凌駕する出力を叩き出せる。
「エリカ? 何か思いついたのか?」
カイルが私の横顔を覗き込む。
私は拳を握りしめた。
爪が食い込む痛みが、現実を告げている。
それをやれば、どうなるか。
対消滅の中心点に突っ込むのだ。
車は助からない。
私の全財産。
私の快適な生活。
私の夢の結晶。
すべてが消し飛ぶ。
(嫌よ)
本音が叫んだ。
あんなに苦労して作ったのに。
あんなにお金をかけたのに。
まだローン(自分への借金)だって返し終わっていないのに。
でも。
モニターの中で、逃げ惑う子供を庇って倒れる兵士が見えた。
それを見つめるセシリアの絶望的な顔が見えた。
そして、私の隣で、覚悟を決めた顔をしているカイルがいる。
私は知っている。
家とは、箱のことではない。
帰るべき場所とは、壁と屋根のことではない。
「……カイル様」
「なんだ」
「私の車を、持ってきてください」
カイルが目を見開いた。
「車を? ここにか?」
「ええ。天井をぶち抜いてでも、最短距離で。……あれを、オリジンのコアに突っ込ませます」
「なっ……!?」
セシリアが驚愕の声を上げた。
「貴女の車を!? あれは貴女の……」
「私の全財産です」
私は遮って言った。
声が震えないように必死だった。
「でも、世界が滅んだらお金は使えませんからね。……必要経費です」
カイルは静かに私を見つめていた。
彼は気づいているはずだ。
私がどれだけあの車に執着していたか。
どれだけ大切にしていたか。
それを捨てるという決断の重さを。
「……分かった」
彼は余計なことは言わなかった。
ただ、強く私の肩を抱いた。
「連れてくる。待っていろ」
「お願いします。……それと」
私は彼の耳元で、小声で付け加えた。
「中に入っている高級ワインと予備の魔石、あと私の枕だけは回収してきてくださいね。絶対ですよ」
カイルは吹き出し、そして優しく笑った。
「了解だ。ケチな雇い主様」
彼は背を向け、瓦礫の山を駆け上がっていった。
その背中を見送りながら、私はコンソールの前で独り、最後の計算を始めた。
座標固定。
突入角度。
そして、脱出のタイミング。
絶対に成功させる。
私の「家」を失うのだ。
その代償に見合うだけの未来を手に入れなければ、大赤字だ。
涙を堪えて、私は叫ぶようにコマンドを打ち込んだ。
次話、究極の選択。さよなら、私のスイートホーム。




