第4話 オリジンの正体
頭の中で、ノイズが弾けた。
視界が二重に重なる。
目の前にあるのは、冷たい魔導石板と、水晶でできた巨大な柱。
けれど、私の脳裏には別の光景が焼き付いていた。
白い壁。
整然と並ぶデスク。
そして、コーヒーの香りと、徹夜明けの気怠さ。
「……プロジェクト・ノア。環境魔素制御システム、フェーズ3」
乾いた唇から、無意識に言葉がこぼれ落ちた。
それは、この世界の言語ではない。
遠い昔、私が死ぬまで口にしていた、前世の言葉だ。
「エリカ? 何を言っているんだ?」
カイルの声が、水の中にいるように遠く聞こえる。
私は彼に答える余裕もなかった。
足が勝手に動く。
中央のコンソール――巨大な青い石板の前へと歩み寄る。
表面に浮かぶ紋様は、この世界の魔術師が見れば解読不能な幾何学模様だろう。
だが、私には分かる。
これはコードだ。
私が書き、デバッグし、そして完成を見ることなく終わったはずの、システム制御言語。
「……嘘でしょう」
指先が石板に触れる。
冷たい感触と共に、膨大な情報が頭の中に流れ込んでくる。
エラーログ。
システム警告。
そして、最終稼働日時――数千年前。
ここは、古代遺跡なんかじゃない。
科学文明が魔法という未知のエネルギーを発見し、それを制御しようとして失敗した、かつての研究所の残骸だ。
そして私は、ここの責任者だった。
「なんで……こんなものが残っているの」
涙が滲んだ。
感動ではない。
恐怖と、徒労感だ。
私の死後、この施設はどうなったのか。
制御を失ったエネルギーが文明を滅ぼし、長い時を経て「魔法」として定着した世界。
それが今、私が生きるこの世界なのか。
「エリカ、しっかりしろ! 顔色が真っ青だぞ!」
肩を強く掴まれた。
ハッとして振り返ると、カイルが必死な形相で私を覗き込んでいた。
その温かい手だけが、私を現実に繋ぎ止めてくれる。
「……カイル、様」
「ああ、俺だ。ここにいる。変な言葉を喋り出して、どうしたんだ」
「……ごめんなさい。少し、悪い夢を見ていました」
私は深呼吸をして、意識を切り替えた。
感傷に浸っている場合ではない。
目の前のモニター――石板には、致命的なエラーが表示されている。
『魔素炉、臨界点突破。自壊シークエンス、待機中』。
皇帝が言っていた通りだ。
このシステムは限界を迎えている。
放置すれば、帝都ごと吹き飛ぶだけでは済まない。世界中を巻き込む大災害になる。
「セシリア殿下。この施設を止めないと、大変なことになります」
私は後ろに控えていた皇女に向かって告げた。
「止められるのか? 帝国の魔導師総出でも、起動すらできなかったのだぞ」
「出来ます。……私が、ここの鍵を持っていますから」
私は再び石板に向き直った。
両手をかざす。
魔力を流し込むのではない。
生体認証コードと、管理者パスワードを念じる。
『アクセス承認。権限レベル:管理者』
石板が赤から青へと色を変え、周囲の水晶柱が共鳴音を奏で始めた。
私がこの世界で「魔道具作成」のチート能力を持っていた理由。
それは、私がこの世界の基盤システムである「オリジン」の管理者権限を持ったまま転生していたからだ。
魔道具を作る時、無意識にこのシステムにアクセスし、物理法則を書き換えていたのだ。
指先を滑らせる。
複雑な立体魔法陣――いや、ホログラフィック・インターフェースを展開し、暴走しかけている回路を遮断していく。
高速で処理される文字列。
私の目には日本語のログとして見えているが、カイルたちには私が神がかった速度で魔法を操っているように見えているだろう。
「……すごい」
セシリアが息を呑む。
「これほどの術式構成、見たことがない。やはり貴女は、『異界の知恵』そのものだ」
けれど、カイルは違った。
彼は感嘆する代わりに、一歩後ずさった。
その顔には、怯えのような色が浮かんでいた。
「エリカ……」
彼が私を呼ぶ。
「お前は、誰だ?」
手が止まった。
振り返ると、カイルは寂しげに笑っていた。
「今、お前がすごく遠くに見えた。俺の知らない言葉で、俺の知らない理屈で、世界を動かしている。……俺の手が届かない場所に行ってしまったみたいだ」
胸が締め付けられた。
そうだ。
私は今、彼を置いてけぼりにしている。
前世の記憶という、彼とは共有できない孤独な部屋に閉じこもっている。
「違いま……」
「違わないさ」
カイルは首を横に振った。
「でも、構わない。お前が誰だろうと、どこの世界の住人だろうと、俺の妻であることに変わりはないんだろ?」
彼は迷いを振り払うように、剣の柄を握り直した。
「俺にはその石板のことは分からん。だが、お前を守ることならできる。……来るぞ、エリカ」
カイルの視線が、入り口のゲートに向けられた。
彼の野生の勘が、敵の接近を告げている。
直後。
ドォォンッ!
重厚な金属扉が、外側からの爆撃で吹き飛んだ。
爆煙と共に踏み込んできたのは、武装した兵士たち。
そして、その中心に立つ、魔力に侵食された巨漢。
先ほどカイルに蹴り飛ばされたはずの将軍だ。
「見つけたぞ……オリジンの輝きを!」
将軍は狂気じみた笑みを浮かべていた。
その手には、不気味に脈打つ黒い結晶体が握られている。
偽造された制御キーだ。
あんなものを差し込めば、システムは即座に暴走する。
「貴様らごときに、神の力は渡さん! この力は、選ばれた我々強硬派のものだ!」
「将軍! まだ分からないのか! それは制御できない!」
セシリアが叫ぶが、狂信者の耳には届かない。
「排除しろ! 神座を汚す不届き者を!」
将軍の号令で、兵士たちが一斉に発砲した。
ガトリングガンの銃弾ではない。
魔導杖から放たれる、高密度の火球だ。
「カイル様!」
「任せろ!」
カイルが私の前に飛び出す。
剣が一閃。
飛来する火球を、不可視の衝撃波で切り裂いた。
爆炎が左右に散る。
「作業を続けろ、エリカ! こいつらは俺が食い止める!」
「でも、数が……!」
「俺を誰だと思ってる。お前の夫だぞ!」
カイルがニッと笑い、炎の中へ突っ込んでいく。
その背中は、さっき感じた距離感を吹き飛ばすほど、力強く、そして近かった。
私は唇を噛み締め、再び石板に向き直った。
迷っている暇はない。
彼が時間を稼いでくれている間に、このシステムを掌握し、完全に停止させる。
それが、過去の私への落とし前であり、今の私たちが生き残る唯一の道だ。
『緊急シャットダウン・シークエンス、起動』
指先を走らせる。
だが、システムは拒絶した。
『エラー。強制権限による割り込みを検知』
将軍だ。
彼が持っている黒い結晶が、汚染された魔力を流し込み、私の操作を阻害している。
システムの中で、正規のコードとウイルスのごとき汚染魔力がせめぎ合う。
「くっ……しつこい!」
私は叫んだ。
このままでは、シャットダウンが間に合わない。
将軍の魔力が中枢に到達すれば、オリジンは「防御機能」として自爆を選択するだろう。
「カイル様! あいつの持っている結晶を壊して!」
「注文が多いな!」
カイルが兵士を蹴散らしながら、将軍へと肉薄する。
だが、将軍の周囲には赤黒い障壁が展開されていた。
遺跡の防衛システムの一部を、無理やり悪用しているのだ。
「無駄だ! 神の加護は我にあり!」
将軍が結晶を高く掲げる。
塔全体が赤く明滅し、不吉な警報音が鳴り響く。
『警告。システム汚染率、臨界突破。世界浄化モードへ移行します』
無機質な声が告げた内容は、死刑宣告に等しかった。
世界浄化。
それはつまり、魔力の過剰供給による地表の焼き払い。
「……冗談じゃないわよ」
私はコンソールを叩いた。
私の作ったシステムが、私の大切な人たちを殺すなんて、絶対にさせない。
「カイル様、伏せて!」
私は最後の賭けに出た。
管理者権限をフル活用し、この部屋の重力制御を一時的に解除する。
すべてを浮かび上がらせ、混沌の中で勝機を掴むために。
次話、暴走するシステムと、世界を賭けた選択。




