第3話 地下への誘い
「待て! 頼む、待ってくれ!」
悲痛な叫び声が、轟音の中に響いた。
激しい揺れに足を取られそうになりながら、私とカイルは足を止めた。
振り返ると、廊下の向こうからセシリア皇女が走ってくるのが見えた。
彼女の顔は蒼白で、いつもの凛とした余裕はどこにもない。
「セシリア殿下。……見送りなら結構ですよ。私たちは自力で帰れますから」
私は揺れる壁に手をつきながら、冷ややかに返した。
皇帝との交渉は決裂したのだ。
今は一刻も早く『スイートホーム号』に戻り、この危険な国から離脱するのが最善手だ。
「違う! 助けてくれ、エリカ!」
セシリアが私の目の前で、ガクリと膝をついた。
プライドの高い皇女が、床に手をついて懇願している。
「地下で……軍部の強硬派が暴走した。父上の制止も聞かず、遺跡の封印を無理やりこじ開けようとしている。この揺れはその余波だ!」
「強硬派?」
「遺跡の力を軍事転用しようと目論む連中だ。奴らは制御キーもないのに、魔力炉を直結させて……このままでは帝都が吹き飛ぶ!」
ドォォォォン!!
言葉を裏付けるように、さらに大きな爆発音が地下から響いた。
床のスリットから、赤黒い蒸気が噴き出す。
魔力汚染された蒸気だ。
吸い込めば肺が焼ける。
「カイル、結界を!」
「分かっている!」
カイルが即座に反応し、闘気による不可視の壁を展開した。
蒸気が弾かれ、私たちは難を逃れる。
けれど、城全体がきしむ音は止まらない。
「エリカ、逃げるぞ。ここはもう保たない」
カイルが私の肩を抱き寄せ、出口の方へと促した。
彼の判断は正しい。
これは他国の内紛だ。
巻き込まれる義理はない。
けれど。
私は足元の床を見つめた。
そこには、奇妙な幾何学模様が浮かび上がっていた。
魔力回路ではない。
もっと直線的で、無機質なライン。
既視感があった。
私の記憶の奥底にある、懐かしくて冷たい光景。
「……セシリア殿下。一つ確認させてください」
私はカイルの手をそっと制して、皇女を見下ろした。
「その強硬派とやらを止めるには、遺跡の中枢まで行く必要があるんですね?」
「あ、ああ。だが、システムを理解できる魔導師がいない。奴らは力ずくで……」
「つまり、専門家の知識が必要だと」
私の脳内で、そろばんを弾く音がした。
逃げるのは簡単だ。
でも、このまま帝都が吹き飛べば、私の「転生の秘密」を知る手がかりも消滅するかもしれない。
それに、恩を売るなら今が最高値だ。
「……分かりました。協力しましょう」
「エリカ!?」
カイルが驚愕の声を上げる。
「正気か? 皇帝は俺たちを殺そうとしたんだぞ。助ける必要なんてない!」
「カイル様。これは人助けではありません」
私はニッコリと笑った。
「ビジネスです。……セシリア殿下、コンサルティング契約を結びましょう。遺跡の調査およびトラブル解決、報酬は帝国の国家予算から相応額を請求させていただきます。もちろん、先ほどの皇帝陛下の無礼に対する慰謝料も含めて」
セシリアは呆気にとられた顔をしたが、すぐに力強く頷いた。
「……分かった。私の全権限において約束する。だから、頼む!」
「契約成立ですね。行きましょう、カイル様」
「はぁ……」
カイルが深いため息をついた。
「お前って奴は。……分かったよ。だが、絶対に俺のそばを離れるな。一メートルでも離れたら、担いででも連れ帰るからな」
「はいはい、頼りにしていますよ、私のナイト様」
私たちはセシリアの案内で、さらに奥深く、立ち入り禁止区画のエレベーターへと向かった。
◇
地下への道のりは、予想以上に深かった。
エレベーターはとっくに機能を停止しており、私たちは非常階段を徒歩で降りることになった。
地下五層。
地下十層。
降りるにつれて、周囲の空気が変わっていく。
湿った土の匂いが消え、代わりに乾燥した、滅菌室のような匂いが漂い始めた。
「……なんだ、ここは」
カイルが剣の柄に手をかけたまま、周囲を警戒している。
石造りだった壁は、いつの間にか滑らかな金属質の素材に変わっていた。
継ぎ目が見当たらない。
魔法で磨き上げたのではない。
高度な加工技術で作られた、人工的なパネルだ。
「古代の遺跡……というよりは」
私は壁に触れた。
冷たい。
そして、微かに振動している。
壁の内部を、光のラインが脈打つように走っている。
「工場、あるいは研究所ね」
私の知る「ファンタジー」の常識からはかけ離れた光景。
けれど、私にとっては痛いほど馴染みのある光景だった。
前世の記憶。
白い壁。
モニターの明かり。
キーボードを叩く音。
(まさか……)
心臓の鼓動が早くなる。
帝国の地下に眠る「オリジン」。
それは、かつて私がいた世界と繋がっているのか。
あるいは、私がこの世界に来るきっかけとなった「何か」なのか。
「止まれ」
カイルが鋭く言った。
階段の踊り場で、数人の兵士が倒れていた。
帝国軍の装備だ。
外傷はないが、白目を剥いて泡を吹いている。
「魔力中毒だ」
セシリアが苦渋の表情で確認する。
「ここから先は、濃度が高すぎて常人には耐えられない。防護服なしで作業を進めた結果がこれだ」
「馬鹿な連中ですね。安全管理もできないなんて」
私は懐から、携帯用の結界魔道具を取り出した。
スイッチを入れると、私たちの周囲に薄いドームが展開される。
これで高濃度魔力もシャットアウトできる。
「行きますよ。彼らは自業自得です」
私は倒れている兵士を一瞥もしなかった。
冷たいかもしれないが、同情している時間はない。
さらに下へ。
ついに最下層に到達した時、私たちの目の前に巨大な空間が広がった。
それは、地下都市と呼べる規模だった。
ドーム状の天井には、太陽を模したような人工照明が薄暗く灯っている。
中央には、塔のような巨大な建造物がそびえ立ち、そこから無数のパイプやケーブルが蛸の足のように伸びていた。
「あれが……オリジンの中枢だ」
セシリアが指差す。
塔の周囲には、武装した兵士たちが蟻のように群がっていた。
強硬派の部隊だ。
彼らは塔の基部に魔導ドリルを突き立て、強引に装甲を剥がそうとしている。
「やめろ! 貴様ら、何をしている!」
セシリアが叫んだ。
兵士たちがこちらに気づく。
その中から、一人の男が進み出てきた。
軍服に多くの勲章をつけた、厳つい巨漢だ。
「おや、皇女殿下ではありませんか。それに……指名手配犯もご一緒とは」
男はニヤリと笑った。
目は血走り、肌には黒い紋様が浮き出ている。
彼もまた、魔力に侵されているのだ。
「将軍、直ちに作業を中止しろ! これ以上刺激すれば、帝都が崩壊する!」
「崩壊? 何を仰る。これは新生の産声ですよ。このオリジンの力を完全に掌握すれば、帝国は世界を統べる神の国となるのです!」
狂気。
カイルが「下らねえ」と吐き捨て、剣を抜いた。
「話が通じる相手じゃなさそうだ。エリカ、下がっていろ」
「ええ。お願いします」
カイルが地を蹴った。
速い。
将軍が反応する前に、その間合いに踏み込んでいる。
「邪魔をするなァァッ!」
将軍が魔剣を振るうが、カイルはそれを紙一重でかわし、強烈な蹴りを叩き込んだ。
ドゴォッ!
将軍が دمを吹き飛ばされ、後方の配管に激突する。
「制圧完了だ」
カイルが剣を納めようとした、その時。
『警告。外部からの不正アクセスを検知。防衛システム、起動』
無機質な女性の声が、空間全体に響き渡った。
人間の声ではない。
合成音声だ。
塔の表面がスライドし、無数の銃口が現れる。
魔導砲ではない。
ガトリングガンだ。
この世界には存在しないはずの、物理兵器。
「なっ……!?」
ダダダダダダッ!!
銃声が轟き、弾丸の雨が降り注ぐ。
強硬派の兵士たちが次々となぎ倒されていく。
「エリカ、結界を強化しろ!」
カイルが私の前に飛び出し、剣で弾丸を弾く。
火花が散る。
けれど、数が多すぎる。
「奥へ! 中枢に入れば、止められるはずです!」
私は叫び、塔の入り口と思われるゲートへと走った。
「エリカ!」
カイルとセシリアも続く。
弾幕をかいくぐり、私たちは巨大な金属扉の前へ滑り込んだ。
そこには、操作盤のようなパネルがあった。
文字盤も、鍵穴もない。
あるのは、掌サイズのガラス面だけ。
「開かないぞ! どうするんだ!」
セシリアが扉を叩く。
私は震える手で、そのパネルに触れた。
分かっていた。
これが何なのか。
前世で、私が毎日触れていたものだ。
「……生体認証、確認」
私が呟くと同時に、パネルが緑色に発光した。
『ID認証。開発コード001。ようこそ、チーフエンジニア』
プシュゥゥゥ……。
重苦しい音と共に、絶対不開と思われた扉が、左右にスライドして開いていく。
中から溢れ出すのは、滅菌された冷気と、静寂。
セシリアが目を見開き、私を見た。
「な、なぜだ? なぜ貴女にこれが開けられる?」
カイルもまた、驚愕と不安の入り混じった瞳で私を見つめている。
「エリカ……お前は、一体……」
私は答えられなかった。
開いた扉の奥に広がる光景に、目を奪われていたからだ。
そこにあったのは、無数のカプセルと、中央に鎮座する巨大なメインコンピュータ。
そして、モニターに映し出された文字列は、まぎれもなく日本語だった。
『システム:オールグリーン。プロジェクト・ノア、再開待機中』
ここは遺跡なんかじゃない。
ここは、私の「家」だ。
遠い昔、私が死ぬまで過ごした、あの研究所そのものだ。
「……ただいま」
無意識に、言葉が漏れた。
その声は虚しく反響し、私を過去へと引きずり込んでいくようだった。
カイルの手が、私の肩を強く掴むまでは。
「エリカ!」
彼の声で、現実に引き戻される。
そうだ。
ここは私の家じゃない。
私の家は、空飛ぶ車と、隣にいるこの不器用な夫がいる場所だ。
「……行きますよ。ここが、すべての元凶です」
私は過去の亡霊を振り払うように、一歩を踏み出した。
扉が閉まり、私たちは閉ざされた箱庭へと飲み込まれていった。
次話、明かされる前世の記憶。私が作った「夢」の成れの果て。




