第9話 再契約と反撃
夢を見ているのだろうか。
天井のハッチが開いた瞬間、夜風と共に飛び込んできた銀色の影。
それは重力を無視したようにふわりと着地し、私の目の前に立った。
薄暗い非常灯の赤色灯の下でも、その金色の瞳だけは鮮やかに輝いていた。
「……遅くなった」
カイルが短く言った。
息一つ切らしていない。
地下工房からここまで、帝国軍や私兵団の包囲を突破してきたはずなのに、まるで近所のコンビニに行ってきたかのような気軽さだ。
「……遅すぎます」
私は震える声で憎まれ口を叩いた。
「残業代は出しませんよ。それに、無断欠勤のペナルティも請求します」
「ああ、いくらでも払う。体でな」
カイルはニッと笑うと、私の腕を掴んだ。
乱暴に引き寄せられる。
彼の体温が伝わってくる。
そして、次の瞬間、膨大な熱量が私の体を駆け抜けた。
「っ……!?」
魔力だ。
彼の腕輪から、私の体を経由して、背後のコンソールパネルへと魔力が奔流となって流れ込んでいく。
本来なら専用ケーブルを使うべき工程だが、彼は直接接触による強制供給を行っているのだ。
乱暴で、規格外で、彼らしいやり方。
『動力炉、再起動。出力、百二十パーセント。エネルギー充填完了』
システム音声が歓喜の歌のように響いた。
消えかけていた車内の照明が一斉に点灯し、冷え切っていた空調が再び唸りを上げる。
モニターが次々と復旧し、周囲の敵影を鮮明に映し出した。
「充電完了だ。……エリカ、俺を使え」
カイルが私の目を見つめた。
そこにはもう、迷いも隠し事もない。
ただ真っ直ぐな信頼だけがあった。
「お前が指示して、俺が斬る。それが俺たちの契約だろう?」
「……違います」
私は首を横に振った。
カイルが一瞬、不安そうに眉を寄せる。
「指示するのではありません。共に戦うんです。貴方は私の道具じゃない。私の背中を預ける、唯一のパートナーですから」
私は右手を差し出した。
かつて、雇用契約を結んだ時と同じように。
けれど、その意味はもう違う。
「再契約です、カイル様。条件は対等。報酬は……これからの未来全部」
カイルは目を見開き、そして破顔した。
今まで見た中で、一番晴れやかな笑顔だった。
「謹んでお受けする、俺の女王様」
彼は私の手を力強く握り返した。
その瞬間、車全体が黄金色の光に包まれた。
カイルの闘気と、私の魔道具が共鳴している。
最強の盾と、最強の矛が揃ったのだ。
「行きますよ! ヴァインに教育的指導の時間です!」
私はコンソールのレバーを叩き込んだ。
『スイートホーム号』が咆哮を上げる。
シールド展開。
魔導砲、全門開放。
反撃の狼煙だ。
◇
「な、なんだあの光は!?」
モニター越しに、ヴァインの狼狽した声が聞こえる。
無理もない。
死にかけの獲物だと思って近づいた戦車隊が、突然の閃光に怯んでいるのだから。
「カイル様、三時の方向! 自爆特攻が来ます!」
「任せろ!」
カイルがハッチから身を乗り出し、剣を一閃させた。
黄金の斬撃が夜を切り裂く。
突っ込んできた魔導戦車が、触れることもなく両断され、爆発四散した。
「次は正面! 一斉射撃!」
私は照準を合わせ、トリガーを引く。
車体に搭載された四門の魔導キャノンが火を噴いた。
青白いレーザーが闇を薙ぎ払い、密集していた戦車隊をまとめてスクラップに変える。
「馬鹿な……! エネルギー切れのはずだ! どこからそんな魔力が!」
「永久機関ですよ!」
私はマイクに向かって叫んだ。
「愛という名のね!」
「ぶっ……」
隣でカイルが噴き出した。
「おい、今のセリフは恥ずかしいぞ」
「うるさいです! 勢いですよ、勢い!」
顔が熱くなるのを感じながら、私は次々と指示を飛ばした。
恥ずかしさは火力に変換するに限る。
戦況は一変した。
カイルという無尽蔵のバッテリーと、戦場全体を俯瞰する私の目。
そして、彼自身の圧倒的な武力。
ヴァインの私兵団など、敵ではなかった。
自爆しようとする戦車は、近づく前にカイルが斬り落とす。
遠距離からの砲撃は、私のシールドが完璧に防ぐ。
一方的な蹂躙だった。
「ひぃっ……ば、化け物どもめ!」
ヴァインの悲鳴が聞こえる。
彼の自慢の兵器群は、またたく間に鉄屑の山へと変わっていった。
所詮は模造品だ。
魂の入っていない機械が、私たちの「家」に勝てるわけがない。
数分後。
森の中には、黒煙を上げる残骸だけが転がっていた。
ヴァインの反応は、レーダーから消えていた。
逃げたか。
あるいは、爆発に巻き込まれたか。
どちらにせよ、彼の野望はここで潰えた。
「……終わったか」
カイルがハッチから戻り、シートに深々と座り込んだ。
さすがに消耗したのか、肩で息をしている。
けれど、その表情は晴れやかだった。
「お疲れ様です。……怪我は?」
「かすり傷だ。それより、腹が減った」
「もう。帰ったら特大のハンバーグを作ってあげますから」
ほのぼのとした空気が戻ってきた。
これだ。
私が求めていたのは、この何気ない日常だ。
だが、まだ終わってはいなかった。
レーダーの端に、まだ多数の反応が残っている。
帝国軍だ。
「……どうするつもりかしら」
私はモニターを切り替えた。
戦場の外縁に展開していた帝国軍は、戦闘には介入せず、ただ事態を静観していたようだ。
その中心にある指揮車両の上に、赤い軍服の女性が立っている。
セシリア皇女だ。
彼女は腕組みをして、こちらの車を見つめていた。
敵対行動の兆候はない。
だが、油断はできない。
彼女の任務は、私とカイルを連れ帰ることなのだから。
「カイル様、準備を。まだひと悶着あるかもしれません」
「……いや、大丈夫だ」
カイルは首を横に振った。
「あいつは、無駄な戦いはしない。それに、俺たちの『答え』を見ただろうからな」
彼の言葉通りだった。
モニターの中で、セシリアがゆっくりと片手を上げた。
それは攻撃の合図ではなく、撤退の合図だった。
『……今回は、私の負けだ』
通信機から、セシリアの淡々とした声が届いた。
『ヴァインの違法兵器工場は壊滅。首謀者は逃亡したが、組織は解体された。私の任務の一つは達成された』
「もう一つの任務はどうするんですか? 重要参考人の確保は」
私が尋ねると、セシリアはふっと笑った気配を見せた。
『参考人? 何のことだ。ここには狂った商人と、それに巻き込まれた哀れな旅行者しかいなかった。……そう報告しておく』
それは、明確な見逃し宣言だった。
彼女は私たちが帝国に戻る意思がないことを悟り、そしてカイルの覚悟を認めたのだ。
無理に連れ帰っても、カイルの心はもう帝国にはない。
ならば、恩を売って貸しにしておく方が得策だと判断したのだろう。
合理的で、彼女らしい選択だ。
『カイル。……達者でな。次に会う時は、敵同士かもしれないぞ』
『ああ。その時は手加減しない』
『フン。生意気な』
通信が切れた。
帝国軍が隊列を組み直し、撤退を始める。
赤い背中が遠ざかっていく。
私は大きく息を吐き、シートの背もたれに体を預けた。
全身の力が抜けていく。
長かった。
本当に、長い夜だった。
「……エリカ」
カイルが私の手を握った。
「ありがとう。俺を信じてくれて」
「信じてなんかいませんよ」
私は強がって、彼の手を握り返した。
「貴方はまた勝手なことをするかもしれないし、一人で抱え込むかもしれない。だから、私がずっと監視してあげます。一生かけてね」
「ハハッ、それは怖いな」
カイルが笑い、私もつられて笑った。
車内に、温かい空気が満ちていく。
外はまだ暗いけれど、東の空が白み始めていた。
夜明けが来る。
私たちは生き残った。
そして、前よりもずっと強く結ばれた。
これからは、もう迷わない。
どんな敵が来ても、二人なら、いやこの車を含めた「三人」なら、どこへだって行ける。
「さて、行きましょうか」
私はエンジンを吹かした。
ヴァインの行方は気になるが、深追いはしない。
まずは安全な場所へ移動し、泥のように眠り、そして美味しいご飯を食べるのだ。
車が動き出す。
瓦礫の山を乗り越え、新しい朝へと向かって。
次話、新たな旅立ち。そして、私たちが向かうべき本当の場所へ。




