1-6:猫とはじまりの話 本当にあなたは困った人なんだから
白くて息苦しいあの部屋から依城さんが助け出してくれて、
それからずっと楽しくて幸せな時が続いて、
いつの間にか、僕はそんな日がずっと続くものだと、
そう勘違いしていて。
依城さんが倒れてから2週間が経った。あの後、■■は無事に送還されたものの依城さんは意識を失い、そのまま病院に担ぎ込まれた。病院の検査では身体に異常は見つからなかった。では魔術的な要因かと言えば、僕が調べた限りでは、そちらにも何も見つからない。もちろん、自分を過信して依城さんにリスクを負わせる事を良しとするはずも無く、支部長の伝手まで使い、あらゆる方面の専門家を無理やり招集し診断を行った。だが結局それでも出来たのは対処療法だけ。根本的な解決には、いや、それどころか解決の糸口さえ見つかっていないのが実際のところ。
原因は、恐らく原因は分かっている。■■だ。
送還される直前のあいつの不自然な動き。召喚者の意思に反し「現界を続けた」という不気味な動き。きっと■■の正体と仕組みを理解する事から始めないと話にならない案件なのだろう。あの無意味に強い依城さんの力の源泉。今回の事は、今まで「それが何か」を確認する事さえしなかった僕の落ち度と言える。・・・何が魔術師の暗黙の了解だ、そんな下らない慣習に囚われて、起こり得るかも知れない問題に気付けなかった。自分の無能さに反吐が出る。
・・・下らない反省は後でいくらでもすればいい。今は何より情報が必要だ。支部長にも情報提供を依頼したが、■■については「協会に来るまでの出来事の結果として依城さんが所有していた」という認識らしく詳細は分からなかった。つまり、今の行き詰った状況を打破するためには、依城さんから話を聞く必要があるのだけど・・・
肝心の彼女は今も眠っている。
対処療法の結果、命の危機は脱したものの、別に何かが解決したというわけでもなく、ただ症状が悪化するのを防ぐ事に成功したという、それだけの状況。僕にはそれすら出来なかったのだから文句を言える立場ではないのだけど。
今でも彼女はまだ一日の大半を眠って過ごしている。
起こっている現象は既に掴めている。推測ではあるが対処療法が一定の成果を出している以上は間違いではないはず。依城さんの魔力が、言い換えれば、生命力的なものが、生きるための土台になっているエネルギー的なものが、「何処かに流出してしまっている」それが今の症状の原因。
魔術師を相手にそんな現象を引き起こすような方法は存在しない。魔力の流れをコントロールする事が魔術を行使するための第一歩なのだから。それこそ依城さんでなくとも、例えば僕でさえ、魔力の流出なんて事は起こさない自信がある。
だが、依城さんの魔術回路を外部から封じてみたところ、魔力の流出をそれなりに抑える事が出来た。誰かが流出を引き起こしている事は有り得ない。そんな事が出来る手法は存在していないのだから。では、依城さん自身が流出させている?もちろん、そんなはずは無い。彼女には自殺する理由なんて無いのだから。なら流出の原因は何なのか?
彼女の内に存在し、魔力のパスが用意してあり、そこから力を引き出せる存在。恐らくそれが原因。
そんな事実を確信したのが、少し前。もちろん、それまでにも出来限りの調査と検討は行ったけど・・・結論としては全て空振り。今までに学んだ魔術の知識。協会で触れる事が出来た様々な研究成果。仕事の伝手で知り合った医療関係者。使える物はなんでも使ったし、色々な人の力も借りた。僕の人生でここまで頑張った事は今まで無かった、胸を張って、そう断言出来る。ただ彼女を助けたくて。自分にもきっと何かが出来るはずだと、そう信じて。でも・・・
「そんなに沈んだ顔をしてるとクロちゃんが心配しますよ・・・」
依城さんがいつの間にか目を覚ましていた。
「ねぇ、クロちゃん、心配ですよね」
小さな声でそう呟きながら枕元で寝ているクロを優しく撫でる。
依城さんには、家で過ごしてもらう事にした、病院に居ても大して意味は無いから。対処療法ぐらいなら僕でも出来るし、僕達が一緒に過ごしていた家の方がきっと気分も良いと思うから、クロとも一緒にいれるし。・・・色々と理由は用意出来るけど、本当のところは僕が彼女をもう病院においておきたく無かっただけなのかも知れない。
「・・・それにしても、いつの間にかクロちゃんも大きくなりましたね・・・出会った時はまだ小さな子猫だったのに」
「そうだね、一年経ったら、もう立派な大人だからね。ねぇ、体調はどうかな?少しは楽になった?」
「バッチリって答えたいところですけど・・・あんまり変わってないですね。全然、力が入らない感じです」
「そっか・・・大丈夫、僕がどうにかするから、今はゆっくりしてて。原因はもう大体分かってるんだ。だから、きっと大丈夫。それでさ、ちょっと治療のために欲しい情報があって、■■の事を教えて欲しいんだ。何処で手に入れたとか、どうやって作ったとか。目が覚めて、すぐで悪いんだけど」
依城さんはクロを撫でる手を止めて僕の顔をじっと見ている。そして「んふふ」といつものように含み笑いをして続けた。
「相変わらず隠し事が下手ですねぇ、赤松さんは。・・・■■に原因があるなら、確かに誰も分からなくて当たり前だと思いますよ・・・だって、私にもよく分かってないですからね、あの人の事は」
「人?魔術的に合成されたものじゃなくて人なの、あれは?」
「・・・詳しくは私も知らないですよ。ただアレは私達の一族がいつからか分からないですけど、ずっと秘匿していた・・・一族の守り神みたいなもの・・・らしいですよ。
代々の巫女が依り代になって、封じ続け・・・いえ、どちらかと言えば現界させ続けている、と言う感じでしょうか。だから■■って厳密に言えば、ずっと召喚し続けているような感じなんですよ。いなくなる時も送還するのではなく姿を見えなくしているだけのような・・・そんな感じなんです・・・」
話し続けるのさえ辛そうなので、一旦、水を差し入れて休憩する。クロにはおやつを食器に入れてあげる。クロが好きな猫用のカニカマのスライス。でも何だか乗り気じゃないみたい。やっぱり動物にも分かるよね。
「・・・そうそう、実は私って巫女だったんですよ・・・でも、しきたりか慣習かよく分からないですけど、昔の価値観に染まった古い集まりの中で死んでいくなんて、どうしても耐えられなくて・・・それで全部壊して逃げてきたんです。
支部長に拾ってもらって、赤松さんに会えて、クロちゃんにも会えて・・・私みたいなのでも家族が作れるなんて・・・本当に幸せでした・・・・ありがとう」
力なく依城さんは微笑んでいる。
僕は・・・
「これからも楽しく一緒に暮らしていけるから・・・出来るように頑張るから・・・」
そう返すのが精一杯だった。
その時、依城さんに引っ付いていたクロが急に飛び上がり何処かに走り去った。
「あっ・・・」
依城さんの驚いたような声。
目を向けると彼女の右手が薄く黒い魔力に覆われていた。
「いきなりなんで?!」
意味のない事を口にしながらも、僕は依城さんの魔力の流れを強制的にせき止める。作業自体は簡単に成功した。抵抗されているわけでも無いし、何度も繰り返して来た事だから。でも・・・
「止まらない!!なんで!!!」
魔力の流出は既に止めているはずなのに、目の前の状況に何も変化が無い。むしろ黒い魔力は漏れ出る量をジワジワと増やしているようにさえ見える。
どうしたらいい?
考えろ。
早く手を打たないと。
早く!
早くどうにかしないと!
「・・・私はここまでみたいですね・・・巫女は代々短命だとは聞いてたのですけど、いざこうなると、どうにも残念ですね。ねぇ、私がいなくなったら・・・別の人を探して赤松さんは幸せになって下さいよ?」
依城さんはそう言って、左手で僕の頬に優しく触る。
「僕には依城さんしかいない。僕は諦めない!それ以外の事は絶対に考えられない!」
「・・・本当にあなたは困った人なんだから」
彼女はいつものように「んふふ」と小さく笑った。
それが彼女の最後の言葉だった。




