エピローグ 二人の幸せがこれからも続きますように。
「おはようございます、藤野さん。毎日お疲れ様」
看護婦さんが受付カウンターの中から挨拶をしてくれた。この半年ちょっとで完全に顔馴染みになってしまったみたい。
「あら、今日は大荷物なんですね?」
目ざといな。まぁ、いつも手ぶらなのに今日はボストンバッグ持ってるし、当然気付きますか。
「ええ、もう暖かくなってきましたし、一応、夏用の着替えを持ってきておこうかと。必要はないかも知れませんが」
同じような事を言う家族の人も多いのだろう。看護婦さんは特に反応らしい反応も見せず『そうですか』と流してくれた。そして、私はいつものように彼の病室に。いつものように眠ったままの彼に会いに来た。
季節はもう春を通り越し初夏。だいぶ暖かくなってきた。
着替えは「気候に合わせて持ってきた」と言うのもあるが、もちろん、それだけでは無い。最速で明日中には必要になるかも知れないから。だから持ってきた。
「さっきね、支部長と四谷さんが出発しましたよ。計画の実行は明日になるからって」
意識は・・・当然戻って来ていないが、彼への報告は怠らないようにしている。
「あなたが・・・あなたと私が立てた計画通りに皆動いてくれましたよ。柏木さん達もなんとかオーダーに応えられたようですし、きっとこれで大丈夫。
赤松さんと猫ちゃんは、それ以外にも色々仕込んでいるみたいだし・・・直接質問するわけにもいかないから、詳しくは分からなかったんだけど、きっとマイナスにはならないはずだし。後は・・・結果を待つだけね」
今日の報告はこれで終わり。もう出来る事は何も無いから。明日には全てが終わるはずだから。
そして、最後の報告も終わったので彼の体を丁寧に拭いていく。ひょっとしたら明日にはもう目を覚ますかも知れない。綺麗好きの彼の事だ、体に汚れが残っていたら、せっかくの目覚めの喜びも激しくトーンダウンしてしまうかも知れないから。
だから丁寧に丁寧に彼の体を拭いていく。だって、明日、また会えるかも知れないのだから。
それが終わると彼の横でぼんやりとして時間を過ごす事にした。
もう支部長も出発してしまったし、今日の極東支部は事実上の開店休業。それに、明日の事がうまく行っても、あるいは最悪うまく行かなくても、どちらにしろ真面な業務が出来なくなる事は間違いない。たぶん大騒ぎになるし。
だから、もう今更私が頑張って業務を回す必要も、たぶん無い。
・・・・・・
・・・
「正直、仕事が手に付くような心理状態じゃないけど」
いくら言い訳を重ねたところで、私がぼんやりしている理由は、単純に『頭の中がごちゃごちゃして何もやる気にならないから』という事なわけで。
何度も何度も今までやってきた事を振り返り「大丈夫なはずだ」と自分に言い聞かせる。今までも散々やってきた事だが、今日は朝から有り得ない程のペースでそれを反復している。
自分がここまで弱い人間だったとは思いもしなかった。情けないやら不安やらで涙が出て来そう。そんな事を思っていると、ふとスマートフォンの着信表示に気が付いた。
「・・・先輩からだ」
一応、個室とは言え通話はなんとなく気が引ける。私は急いで休憩スペースの電話コーナーまで移動した。
どうしたんでしょうか、このタイミングで。何か不測の事態でも・・・いえ先輩はそもそも「これから起こる事」の詳細は知らされていないはず・・・じゃあ、案外、処理漏れの仕事の話とかどうでもいい事だったり
そんな事を考えながら先輩に折り返しの電話を掛ける。
『はい、依城です』
ワンコールですぐに繋がった。
「もしもし藤野です。お電話頂いていたようで。いまお時間大丈夫でしょうか?」
『うん、大丈夫。あ、ごめん、ちょっとだけ待ってて。赤松さんを待たせてるから』
流れる保留音・・・本当に大丈夫な場面でしたか?
『おまたせ。ごめんね、少し話が、いえお礼をしておきたいなって思って』
すぐに戻ってきたと思ったら、お礼?
『ちょっと事情があって、しばらくそっちに戻れなくなるかもしれなくて。藤野さんには今までたくさんお世話になったから。いつも書類の書き方を教えてもらってたし、報告書も直してもらってたし、格闘技も教えてくれたし。本当に今までありがとう。お世話になりました』
先輩はそう過去形で語った。これが最後の機会みたいに。だから
「何を終わった事みたいに語ってるんですか、まだまだ出来ていない事もたくさんあるし、格闘だって私にさえ勝てるようになってないじゃないですか。先輩には、これからもまだまだ学んで貰う事がたくさんあるんですから。だから・・・頑張って下さいよ」
・・・・・・
・・・
『そうですね。ちょっと弱気になっていたかも知れません。それにしても、一応私が先輩のはずなのに、なんだか私達って変な関係ですね?』
「何をいまさら。最初からずっとおかしい関係ですよ」
先輩はフフフとちょっと上品な感じで笑っていた。たぶん私も笑っていたはず。
「ねぇ、先輩、いま起こっている出来事の中で、先輩って、所謂メインヒロインみたいな存在なんですよ。だからドーンと胸を張って堂々と助けられるのを待っていたら良いと、私はそう思うんです」
私達も頑張ったし、何より完成度を高めきった赤松さんがいるのだから。きっと大丈夫なはず。
『藤野さんって時々ゲームっぽい例え話しますよね。赤松さんならしっくりくるんでしょうけど。
でも、あれですね、じっと待っているヒロインってあまり好きな役柄ではないですね。私はどっちか言うと活動的な方ですし、主体的に動いて自分でどうにかして行きたいタイプです。始末書はもう勘弁ですけど!』
そう言って先輩は笑っているけど、そもそも始末書って結局は私が書いてますよね??
そして、少しだけ他愛のない日常の話をして・・・
『ありがとう。元気が出ました。頑張ってきます。じゃあ、また今度』
そう言って電話は切れた。
自分の事ばっかりで忘れてましたけど、あの二人が一番大変なんですよね。
だから私は願う。いるはずも無い神に願ってしまう。
先輩が無事に帰って来れますように。二人が揃って帰って来れますように。
そして、何より
二人の幸せがこれからも続きますように。
第一部3章:猫と準備と裏工作完




