第79話 融和と決裂
王宮、重臣たちの執務棟の一角にある談話室で、第二王子派のフォルバン伯爵と親しい貴族たちが円卓を囲んでいた。
フォルバンの向かいに座っていた子爵が茶をすすりながら尋ねた。
「フォルバン卿。例の縁談の件、ご存知ですか?」
「ええ、もちろんです。まさかルーエン卿がテルネーゼ卿と縁組するとは……」
フォルバンは腕を組み唸った。近年の情勢を考えると、彼にとっては派閥を越えた縁組など想定外だった。
「しかも、陛下も承認どころか祝福の言葉を贈られたとか」
「なんと……! それでは、この縁組は名実ともに国が認めたことになりますな」
談話室に何とも言えない空気が流れた。
あの粛清以来、法王国と繋がりのあった貴族たちは王宮からその姿を消した。たとえ降格であっても王宮での職務を外され、事実上の王都追放だったのだ。
──王家が法王国と繋がりのある貴族をあぶり出すため、ジュリアン王子は〝偽の御旗〟となった。
このことは「第二王子派は王家転覆を目論んだ」と曲解され、処罰を免れた者も肩身の狭い思いをしていた。
そんな中の縁談話である。
「副団長殿も上手くやりましたな」
フォルバンの隣に座っていた別の伯爵がニヤリとつぶやくと、脇のソファで深く腰を下ろしていた男爵が口を挟んだ。
「しかしながら、だとすると今、テルネーゼ侯爵家というのはいかがなものかと思いますな。……ほら、例の異端の噂ですよ」
だが、フォルバンは静かに首を振った。
「いや、テルネーゼ卿のご息女は〝例の侍女〟です。そういう意味では、テルネーゼ家は対法王国の先鋒とも言えますな」
「……なるほど」
ソファの男爵が唸った。
「それに、単なる保身や立ち回りではないでしょう。ルーエン卿は本気で憂慮しておられるのでは? 法王国という外部の脅威に対し、我が国が一つにまとまる必要性を……」
その言葉に、貴族たちの顔から薄ら笑いが消えた。
「王家がこの縁組を祝福した意味をよく考えるのです。これは『派閥争いは終わった』という明確な宣言ともいえます。我々も、いつまでも過去の対立に囚われている場合ではありません」
フォルバンの言葉に談話室の空気は引き締まった。
長きにわたった派閥争いは王位継承問題が発端だった。だが、その問題は当の王家により作為的に作られたものであり、実際には存在しなかった。
もはや、派閥にこだわること自体が無意味だ。
法王国という脅威に対し一枚岩となることの方がよほど意味がある──そんな思いが皆の胸中をかすめた。
◇ ◇ ◇
その数日後に開かれた王宮での会議。そこには普段会議に顔を出さないルーエンもいた。貴族たちは何事か、縁組の発表か、と落ち着かない様子を見せていた。
「殿下のお成りです」
王宮会議にめったに顔を出さない王族の参加を宰相が告げると、貴族たちはやはりそうか、という顔を見せながら立ち上がり、深く礼をとった。
「今日は重要な議題がある」
王太子ライモンドが奥の席に座るなり貴族たちを見渡すと、彼らの表情に緊張が走った。
ライモンドがうなずき、衛兵が扉を開けると、そこには柔和な笑みを湛えた異端審問官ソルダムがいた。
予想外、いや、たしかに来てもおかしくはない人物の登場に一同は顔を見合わせた。おそらく目的の人物であるベルナードへちらりと視線をやる者もいる。
ベルナードはわずかに眉を寄せたが、表情を変えることなく、ただ前を見つめていた。
各人、これから話されるであろう内容を予感したのか、議場の空気が重く沈んだ。
「失礼します」
ソルダムはそんな空気などまったく気にする様子もなく軽やかに会釈し、卓まで歩を進めた。
彼はライモンドを見据えると、あいかわらずの柔らかな物腰、しかし抑揚のない口調で告げる。
「お時間いただき、ありがとうございます。……して本日は、先日書簡にてお伝えしました、テルネーゼ侯爵家に対する『異端認定』および、当主ベルナード・シル・テルネーゼ卿の身柄引き渡し要求へのご返答をいただきに参りました」
ベルナードは思わず立ち上がった。引き渡し要求など、まったく寝耳に水の話だったのだ。王家は我が家を守ってはくれないのか──見放されたという思いが彼の頭の中を駆け巡る。
だが、ライモンドのソルダムに向けた視線はひどく冷ややかだった。
「その要求はすでに却下したはずだ、異端審問官殿」
「いえいえ、証拠は明白です。あの娘の力は聖典に反する異能。それを秘匿し、神託の儀を混乱に陥れたテルネーゼ家は教義に対する重大な反逆者──」
「我が国の貴族を裁く権限は貴殿らにはない」
ライモンドの冷たい口調が議場に響いた。
だが、ソルダムは肩をすくめた。
「なんと、異端審問官が異端者を捕縛するのは教会法で認められた正当な権利ですよ」
「それは、法王国の教義を掲げる国のみ。そうだな?」
ソルダムはまだ笑顔だった。だが、その笑みは仮面のように張り付いたもので、酷く嘘くさいものだった。
「……要するにイルスレイド王国は、法王国と袂を分かつ、と」
「……さあ。それはそちら次第、だな。……そもそも教会法を守る必要があるのか? 法とは言っているが、しょせん慣習法であろう?」
「いやはや……それは暴挙ではありませんか」
ソルダムは法衣を翻すと、卓に座る貴族たちへ芝居がかった声色で言い放った。
「皆様、お聞きになりましたか? 大陸で最も守られるべき秩序である教会法、これをイルスレイド王家は無きものにしようとしておられます。神のもとに集う、法と秩序の番人である家門──これがこの大陸の王家のあるべき姿ではなかったのですか!?」
議場の空気がまるで凍ったかのように固まった。
たが、それを打ち破るかのように貴族たちが口々に吠えだす。
「……帝国はどうなのだ?」
「そうだ! 帝国は教会法など守ってはなかろう!」
「帝国正教会も法王国と同じ神だろう!」
派閥の別なく貴族たちが次々に立ち上がりソルダムを睨みつけると、ソルダムは大げさに首をかしげ、わざとらしく長い息を吐いた。
「……なんと嘆かわしい。王家を支え諌める立場であられる重臣の皆様まで、このような態度とは」
ならば、とソルダムが襟を正した。
「聖騎士団を派遣してもよいのですよ」
聖騎士団──教会にかかる紛争の解決部隊、と銘打っているが、実際には法王国が誇る武力装置だ。
場に一瞬緊張が走る。
だが、その緊張を払いのけるかのように、ルーエンがゆっくりと立ち上がった。低いが力強い声でソルダムへ告げる。
「面白い……我が国の騎士団を差し置いて武力介入する、ということですかな?」
呼応するように、議場の脇に控えていた騎士たちが腰の剣に手をかける。
「テルネーゼ家は我が国に忠誠を誓う誇り高き家門だ。これ以上の不当な言いがかり、そして武力介入の仄めかしは、イルスレイド王国および我が騎士団への侮辱と受け取る」
それに、とルーエンは続けた。
「テルネーゼ侯爵家は我が婿殿の家門だ。騎士の〝身内の結束〟を侮るでないぞ」
ソルダムはゆっくりと周囲を見渡した。
これまでの情勢であれば、ここで政敵を蹴落とそうとする貴族が必ずいた。教会の威光を恐れ、顔色を窺う者がいた。
だが、今は違う。王家、騎士団、そして貴族たち。誰一人として法王国におもねる者はいない。
(……完全に統制を取り戻したというわけですか)
政治的な工作による内部からの切り崩しは、もはや不可能だった。ソルダムの脳内で、王都における〝教化〟という選択肢が完全に棄却された瞬間だった。
(〝穏便に〟やりたかったんですがね)
彼は表情を消したまま深く一礼した。
「王家の意志、確かに承りました。……この決定が法王国との完全な決裂を意味すること、決して後悔なさいませんよう」
捨て台詞めいた警告を残し、ソルダムは議場に背を向けた。彼を見送る貴族たちの視線には、かつての畏怖ではなく明確な敵意と警戒が宿っていた。
散会となった議場には、ベルナードとルーエン、そしてライモンドの三人が残っていた。
「ルーエン卿、今日のこと……何と申し上げたらよいのか……」
「何をおっしゃいます。同じ安酒を飲んでいた仲ではないですか。それに我らは、もう身内のようなものです」
ルーエンは豪快に笑った。
「しかし、あっさり引いたな」
ライモンドは顎に手をやった。彼の目には法王国に対する警戒心がありありと見てとれた。
「たしかにそうですな。しかも、我が娘に何かの〝力〟があるような口ぶりでした」
うむ、とライモンドもうなずく。
「〝異能〟とも言っていたな。テルネーゼ卿、何か心当たりは?」
口が滑った──ライモンドの問いにベルナードは言葉に詰まった。背中に嫌な汗が流れる。
──何と答えたらよいのか。たしかに二つ持ちの可能性はある。だが、それを証明したわけでもない。結局ノースキルだった、という懸念は今もあるのだ。
だが、ソルダムは異能の力と言っていた。血脈の力とは異なる力──そんな話は聞いたことがない。
ベルナードの視線が答えを求めて彷徨っていると、ルーエンがライモンドの疑問を吹き飛ばすように笑った。
「殿下、おそらく言いがかりですよ。ソフィア妃殿下が起こされた奇跡をすり替えているだけかと。結局、陰謀阻止の最大の貢献者は、法王国にしてみれば最大の敵ですからな」
「そ、そうです、殿下。私にも何のことやら」
ベルナードも調子を合わせるように苦笑いした。
「そうか……それにしても、エミリア嬢たちは息災にしているのか……」
ライモンドは窓の外に目をやった。
◇ ◇ ◇
王宮を辞したソルダムは、その足で王都の裏路地にある常宿へ戻った。法王国の使者が滞在するにはあまりにも粗末な建物。だが、ソルダムにとっては〝調査〟活動で様々な人物と密かに会うには都合がよかった。
薄暗い部屋の中には、気配を完全に殺した数名の男たちが待機していた。彼らは本国や異端審問官直属の暗殺部隊『梟』との連絡係だ。
蝋燭の燃える匂いがソルダムの法衣に焚き染められた香と混ざり、一層濃密な空気となっていた。
「政治的手段による異端の教化は不可能と判断した。イルスレイド王国はもはや教会の言葉に耳を貸す気はない」
男たちに告げるソルダムの表情は、大半の人物──法王国の者にさえ見せたことのない、温度の感じられないものだった。濁ったガラス玉のような瞳は生気というものがまったく見えない。
ソルダムの言葉に男たちは無言のままうなずいた。
「これより本格的に、対象の物理的排除へと作戦を移行する」
ソルダムは机の上に一枚の地図を広げた。大陸の南、精霊信仰の国、シャリューン王国が描かれていた。
先行させていた密偵からの報告によると、標的であるエミリア・シル・テルネーゼはオペレーター──精霊使いとの連携を見せ、梟部隊の先陣による強襲を退けたという。
「標的は教会の理から外れた力を持っている。おそらくそれが──〝管理者〟の力だ」
これを使う、とソルダムは隅に置いていた木箱から鈍く光る小さな金属の箱を取り出した。箱には古代文字のような文様がびっしりと彫り込まれている。
「連携とやらを妨害するのに役立つだろう。我々も直ちに南へ向かう。忌まわしき異端をこの手で完全に消し去るのだ」
神の意志を代行する冷徹な殺意がシャリューン王国へと向けられた。




