<閑話12> 二人の騎士
イルスレイド王都の夜は静かに更けていく。
ベルナードは、ルーエン伯爵邸の豪奢な客間でワイングラスを傾けていた。
豪勢な夕食会に招かれたものの、夫人の姿はなかった。体調不良という名目であったが、ベルナードにはそれが建前であることが痛いほど分かっていた。以前の茶会で、娘のエミリアが夫人にかかせた恥。そのわだかまりは決して消えていないのだろう。
それでもなお、騎士団副団長たるルーエンが自分を単独で招いたことには、明確な政治的意図があるはずだった。
「昔はよく、こうして皆で飲んだものですな。騎士団の詰所で安酒を煽りながら」
ルーエンが懐かしむように目を細める。ベルナードもわずかに頬を緩め、相槌を打った。
若き日の思い出話は交渉の前の潤滑油に過ぎない。やがてルーエンはグラスを置き、声音を一段低くした。
「テルネーゼ卿。本日は他でもない。ご子息のクロード殿のことです」
ルーエンの表情には先日王宮で見せていた武人の気安さはなく、国の要職を担う貴族としての真剣さが感じられた。
そして、ルーエンの部下でもあるクロードを〝君〟と呼ばずに〝殿〟と呼んだ。これは騎士団分隊長のクロードとしてではなく、侯爵家嫡男のクロードに用件がある、ということか。
「クロードが何か不始末でも?」
「いえ、逆です。彼は実に優秀な分隊長に育っています。部下からの信頼も厚い。……そこで、伯爵の身である私から申し出るのは不躾であることは承知の上なんですが……」
ルーエンは一つ咳払いをした。
「我が娘イルダを、テルネーゼ家に迎え入れてはもらえないでしょうか」
第二王子派の重鎮であるルーエン家からの縁談とは──ベルナードは表情を崩さないよう努めたが、内心で素早く盤面を計算した。
そもそもテルネーゼ家は現在、エミリアの立ち回りによって王太子派と見なされている。昨今の派閥争いにより、派閥を跨いだ縁談はすっかり聞かれなくなっている。
(しかも、異端の疑いがかけられた我が家に縁談とは……何か裏があるのか? それとも、まだ利用価値があると踏んだのか?)
貴族の縁組は家格と立ち位置がすべてだ。
ベルナードは状況を整理した。
神託の儀での出来事により、デルナムをはじめとする法王国と繋がりがあった貴族は粛清されており、捕縛や爵位剥奪、領地没収といずれも王国の貴族社会から追放されていた。その大半は第二王子派の貴族だったため、彼らの勢力は半減している。
しかも、神託の儀の成功により後継者が王太子となることは確定事項となり、第二王子派はさらに肩身の狭い思いをしていると聞く。
もっとも、第二王子であるジュリアン自身は派閥の領袖になるつもりはなかったようだ。つまり、彼らは掲げる御旗を失ったことになる。
だが、これまでの長きにわたる派閥争いの根は深いものになっていた。
本来どちらの派閥でもないベルナードには、両者は振り上げた拳を簡単に下ろすことはできなくなっているように思えた。
ルーエンは厳しくなった第二王子派の立場を盛り返すために王太子派の家との縁談を望むのだろうか。異端と噂された家なら縁談に飛びつくだろうとでも考えたのか。
だが、異端の家と繋がりを持った家もまた異端ではないかと疑われるものだ。つまり──あまり上手い方法とは思えない。
どうにも読めなかった。
「光栄な申し出ですな。しかしながらルーエン卿。我が家門の現状を鑑みれば、周囲がどう見るか……卿の真意を伺いたい」
「真意、ですか」
ルーエンは自嘲気味に笑い、まっすぐにベルナードを見据えた。
「私は恐れているのです。王太子派と第二王子派……この無益な派閥争いによる貴族の分断が、王国を致命的に弱体化させていることを。王家が敢えてそうしたというのも分かります。そこまでしないと、根深くはびこっていた法王国の影響を排除できなかった……たしかに、そうです」
ベルナードは黙って聞いていた。
ルーエンは杯を口にし、続けた。
「神託祭での法王国の横暴を見たでしょう。我々が内輪揉めをしている間に、やつらは王国の喉元まで刃を突きつけていたのだ」
ルーエンの語気が段々と熱を帯びるのも分かる。陰謀を知った彼の娘──イルダは拉致監禁され、あわや命の危機に瀕したのだ。
「不貞の輩は一掃しましたが、これも一時的なものでしょう。今、王国が一つにまとまらなければ、遠からず法王国に呑み込まれます。この縁談を派閥融和の象徴としたい。対法王国へ向けた国家防衛の布石です」
ルーエンの瞳に宿る危機感は本物だった。一人の貴族としてではなく、この国の防衛を担う騎士団副団長としての切実な訴えだ。
ベルナードはゆっくりと息を吐き、グラスをテーブルに置いた。自分も王国の重臣を自負している。家門の利益や浮沈と国家の存亡。天秤にかけるまでもない。
「卿の憂慮は私も理解できます……この縁談、テルネーゼ家として前向きに進めさせていただこう」
「おお、受けていただけますか」
「ただし、当人たちの意思もあります。クロードには私から話を通しておきましょう」
固い握手を交わし、ベルナードはルーエン邸を後にした。
◇ ◇ ◇
客人の帰った客間で、ルーエン一人重い溜息をついた。
ベルナードの合意は得た。だが、彼にはまだ片付けねばならない実務が残っていた。
エミリアを憎悪する妻に、この縁談をどう説明し、納得させるか。そして何より、当のイルダ本人がどう考えているのか。
(イルダの意思も聞かないとな)
ルーエンは書斎へ向かい、ペンを取った。王宮で侍女として働く娘へ、一度里帰りするようにと手紙をしたためる。
国家の命運を賭けた政略の一手──それがじわりと動き出した。




