第78話 導師と幼馴染
エミリアたちが王都エルマースへ戻る道中は、雨の中だった。
エミリアが導師の庵での作業を終え、外に出ると雲がまたたく間に空を覆った。やがてポツポツと雨が降り出したかと思うと、以降雨が止むことはなかった。まるでこれまでの渇きを癒すかのごとく、大地は潤いを取り戻していた。
「やはり、導師の力は確かだったようですな」
王都への帰路に同行していたダールノは、フードの下でうなずいた。
◇ ◇ ◇
三日後、エミリアたちはエルマースへ到着した。王都の乾ききった石畳を大粒の雨が叩きつけていた。
分厚い灰色の雲から降り注ぐ恵みの雨を、街の人々は歓喜の声を上げて迎え入れている。それは長きにわたる異常気象の終わりを告げる、シャリューン王国にとっての希望の証だった。
王宮へ着き衛兵へ取り次ぐと、国王イルクート自ら門まで出迎えに出てきた。
「エミリアさん! よく戻られました!」
イルクートは後ろに立つダールノの姿に気づくと目を見開いた。
「叔父上!? いったい……?」
ダールノは一歩前へ出た。
「王よ。『導師』です。ついに……顕現なされました」
「な、なんと……!」
あれほど拒否する態度をとっていたダールノの変わりように、イルクートはすべてを悟ったのか、慌てるように官吏たちへ一行を迎える指示を出す。
王宮へ迎え入れられ、濡れた身体を拭き身支度を行うと謁見の間へ通された。
入るなり、ダールノが口火を切った。
「王よ。至急、族長会議を開いていただきたい」
「うむ。皆へ知らしめる必要がありますな」
「その通りです。これで我が国も助かります」
エミリアは安堵の表情を浮かべる二人を見つめた。危機は去った──そんな様子がうかがえた。
だが、彼女の胸の内に複雑な思いが湧き上がる。
(完全に直ったわけじゃないわ)
──まだ、完全な修復ではない。しかも、いつまで持つかも分からない。たしかに〝緩やかな絶望〟は、わずかではあるが遠のいたと思う。だが、いずれ根本的な解決を目指さなければならない。
そのためには〝アップデートサーバーとの接続〟という謎を解く必要がある。だが、手がかりがまったくない。アップデートサーバーとはいったい何なのか、どこにあるのか──今はそれすらも分からなかった。
「エミリアさん! いったい何があったんですか!?」
客間へ戻ったエミリアの元にジルベルトが駆けつけると、真っ先にラウルや衛兵たちの怪我のことを尋ねてきた。
「おそらく……法王国の追手かと。……私が標的だったんだと思います」
エミリアが襲撃のことを話すと、ジルベルトは言葉を失い、唇を噛み締めた。そこには悔しさがありありと見てとれた。
「やはり……私もついていくべきでした……」
「いえ……殿下には仕事がありましたから」
「いいえ。あなたに何かあったら……私は自分が許せない。でも、あなたが無事で良かった」
ジルベルトは両手でエミリアの手を包み込むと、ほんの少しだけ微笑んだ。
◇ ◇ ◇
数日後に再び開かれた族長会議は、先日とはまったく違う空気に包まれていた。
「では、お入りください」
エミリアが官吏の案内で入室するなり、王や族長、精霊使いたちが深々と頭を下げた。もはや自分は異国から来た異物ではなく、崇拝の対象なのか──エミリアの背筋が自然と伸びた。
族長会議は、もはや議論の場ではなかった。
ダールノが聖域『導師の庵』での出来事を語り、外に降り注ぐ雨がその証明となったことで、保守派の族長や精霊使いたちも完全にエミリアを真の導師として受け入れた。シャリューン王国内における彼女の立場は、この瞬間、盤石なものとなったのだ。
その夜、王宮の広間では盛大な宴が催された。
豪勢な料理が並び、伝統的な楽器の音色が響き渡る。シェナが精霊たちの喜びを代弁するように舞を披露し、国王イルクートも満足げに杯を傾けていた。
誰もが奇跡を称え、平穏が戻ったことを信じて疑わない様子だ。
エミリアは主賓としてイルクートの隣に座らされていた。
皆が喜びに沸く様子に微笑みを浮かべていたが、内心は周囲の熱狂とは裏腹に冷え切っていた。
《干渉により、アップデートサーバーへの接続が確立できません》
《注意……復旧モードの稼働期間制限を確認してください》
あの声が頭の中を巡っていた。
アップデートサーバーへの接続が、何らかの干渉により不可能となっている。それはいったい何が原因なのか。今はまったく分からない。しかも、どこから調べたら良いのかすら分からないのだ。
「導師様、どうなさいました?」
イルクートの声にハッと我に返った。
「いえ……この雨がいつまで続くかと思いまして」
「ああ。一時的なもの、ということでしたな」
この回復が一時的であることは、イルクートやダールノには族長会議の前に話していた。
イルクートは顎髭をさすり、目を細めた。
「それでも、これまでのことを思うと奇跡的です。今後のことは我々もまた改めて考えます。ため池の造成や灌漑──出来ることはまだまだありますよ」
イルクートの微笑みに、エミリアは少しだけ胸が軽くなった。
「さ、皆待っています。座を廻りましょう」
エミリアとイルクートは杯を持ち、座に加わった。皆、口々にエミリアを讃え、中にはエミリアに、このままシャリューン王国に住んでいただきたいと言う者さえいた。
下座にいたアンナやラウルの座に来た。
「お嬢様、私はお嬢様を信じておりました。きっとただ者ではないと──」
「やぁね、アンナ。大げさよ」
涙ながらに話すアンナはすっかり酔いが回っているようだった。
その横で笑みを浮かべながらラウルがうなずいていた。だが、ラウルの様子がどこかおかしい。顔色も悪く額には脂汗を浮かべ、食事も進んでいない。何より、彼の右手は先ほどからずっと自身の左腕を押さえつけていた。
「ラウル、顔色が優れないわ。……左腕が痛むの?」
「いや、なんでもない。ただの長旅の疲れだ」
ラウルは慌てて右手を離し、口角を上げてみせた。だがその笑顔は明らかに引きつっている。
この旅の道中、ラウルが左腕を庇う仕草を度々見かけた。彼自身が魔法で何かを試みている様子もあった。おそらく治癒魔法だろう。だが、今の様子を見る限りでは、それもあまり効果がなかったのかもしれない。
「嘘よ。熱があるじゃない」
エミリアは身を乗り出し、ラウルの額にそっと手を伸ばした。触れた肌は不自然なほどに熱い。話に聞く魔力枯渇の症状とも違う、もっと異質な熱の籠もり方だ。
「本当に大丈夫だ、エミリア。少し休めば治る」
「でも……」
「今日は君が主役の宴だ。俺のことで水を差したくない。頼むから今は放っておいてくれ」
ラウルはそう言って、頑なに視線を逸らした。
それ以上踏み込まれるのを拒絶するような強い口調に、エミリアは伸ばしかけた手を引っ込めるしかなかった。
彼は昔からそうだ。自分の痛みや苦しみは隠そうとする。その不器用な優しさが、今はもどかしかった。
「さ、導師様。次の座へ」
イルクートに促され、エミリアはラウルへちらちらと視線を送りながら次の座へ向った。賑やかな音楽が鳴り続ける中、ラウルは再び左腕をかばい始めた。彼は変わらず笑みを湛えているが、やはりどこかおかしい。どう見ても無理をしているように思える。
華やかな祝宴の裏で、事態は完全に解決したわけではなく、幼馴染の様子はおかしい。
エミリアの胸中のざわめきは収まることがなかった。




