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【第4部更新中】「ノースキル」の烙印を押された侯爵令嬢、実は世界の管理者(アドミニストレーター)でした  作者: 柊ユキヤ
精霊使い編

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<閑話11> 冬の南風 

 異端審問官ソルダムがテルネーゼ侯爵邸を訪れてからしばらくのこと。


 ベルナードは書斎の椅子に深く腰掛け、届いたばかりの書簡の束を眺めていた。

 十通余りの封書。だがその中に、かつて交流のあった貴族からのものは一通もない。代わりに目立つのは、領地からの報告や取引先の商人からの事務連絡ばかりだ。


 ベルナードは苦く笑った。

 ソルダムの〝調査〟は、目に見える形では何も起きていなかった。捕縛も、召喚状も、教会からの正式な糾弾もない。だが、それこそがソルダムの手腕なのだろう。


 異端審問官が王都にいる。その審問官がテルネーゼ家を〝調査〟している。──その事実だけで、王都の貴族社会は侯爵家へ疑惑と警戒の視線を向けた。


 最初の変化は社交の場に現れた。

 つい先日まで王宮で普通に挨拶を交わしていた伯爵が、すれ違いざまに目を逸らした。王宮での会議、その控えの間で隣り合わせになった子爵が、気まずそうに席を移った。

 誤解を解くべく茶会を催しても、軒並み「所用につき」と丁重に辞退された。

 かつてエミリアの一件で距離を詰めてきた王太子派の貴族たちですら、今は腰が引けている。


 そして、それだけでは済まなかった。


「テルネーゼ家は異端の家門ではないか」


 そんな囁きが社交の場で聞こえ始めていた。


 ソルダムがそう公言したわけではない。だが、審問官が〝調査〟している家門に異端の疑いがかけられるのは自然な流れだった。貴族たちは保身に長けている。嵐の予兆を感じれば真っ先に距離を取る。


「あなた。今日もどなたからも……」


 ディアーヌが書斎に入ってきた。妻の顔色は日に日に悪くなっている。社交の場で孤立することの辛さを、彼女は身をもって味わっていた。


「気にするな。こういう時に離れていく者は、もとよりその程度の関係だ」


 ベルナードは努めて平静に言った。だが内心の焦りは隠しきれなかった。


 問題は社交の断絶だけではない。会議の中でもテルネーゼ家への風当たりが明らかに強まっていた。

 先日の会議では、ある男爵が「異端の疑いある家門に公職を任せてよいものか」と発言した。男爵が、仮にも侯爵である自分に言ってよい言葉ではない。

 ところが、表立った同調者はいなかったが、反論する者もいなかった。その沈黙がベルナードには何よりも堪えた。


 さらに昨日、耳を疑うような話が飛び込んできた。


 ──テルネーゼ家の爵位剥奪を検討すべきではないか。


 王都の貴族の一部の勢力が、非公式にそのような動きを見せているという。爵位の剥奪は国王の裁可がなければ実行できない。だが、会議で多数派が形成されれば、国王への上奏という形で圧力をかけることはできる。


(あの男は、何もしていないのにこれだけの効果を出している)


 ベルナードは拳を握った。ソルダムは王宮で布告を一枚読み上げ、侯爵邸を一度訪れただけだ。それだけで、テルネーゼ家は王都の貴族社会から孤立しつつある。

 直接的な暴力は一切ない。だが、噂のひとつやふたつ、そっと流した可能性は否定できない。とはいえ、人の恐怖と保身を利用した巧妙な攻撃だった。


 ベルナードは改めて、法王国が王国へ及ぼしている影響力を身をもって噛み締めた。



   ◇ ◇ ◇



 だが、貴族たちを揺さぶっていたのはソルダムの〝調査〟だけではなかった。


 ここ数日、王都ではもう一つの噂が広がっていた。


 ──国王陛下が、法王国の教義からの離脱を示唆された。


 この噂自体は以前からあった。出処は神託の儀の夜、王がデルナムや枢機卿ロイデンを断罪した場に居合わせた貴族たちだという。これまで貴族たちは、その噂を王が感情的になった末の放言だろうと軽く考えていた。

 だが、ソルダムの来訪の際、王太子ライモンドがソルダムに対して取った突き放すような態度が、噂に確信を与えてしまったのだ。


 王家は法王国と距離を取ろうとしている──もはや憶測ではなく、既定路線として受け取られ始めていたのだ。

 その状況は貴族たちをさらなる混乱に陥れることとなっていた。




 この大陸には大きく分けて二つの教義が存在する。一つは法王国、もう一つは法王国から分裂した帝国正教会だ。帝国正教会の起こりは、法王国に反旗を翻したガルナック帝国がその背後にあった。


 法王国の教義は大陸各国の政治や社会、文化と密接に繋がっており、その国の秩序の根幹を成すものだ。

 つまり、法王国との関係を断つということは、国のすべてを根底から覆し、しかも帝国側につく、ということと同じだった。


 しかし、国王が宗派替えを決断したならば、それに従わねば不忠となる。


 教会につくか。王家につくか。

 貴族たちは二つの権威の間で板挟みになり、身動きが取れなくなっていた。




 ベルナードにもその混乱は伝わっていた。

「テルネーゼ家は異端だ」と囁く者がいる一方で、「いや、王家が法王国と離れるなら、テルネーゼ家はむしろ先見の明があったのでは」と密かに考え直す者もいるらしい。

 だが、どちらの判断も確信が持てないまま、貴族たちは互いの顔色を窺い続けていた。


(滑稽だな……だが、呑気に笑ってもおれん)


 ベルナードは会議の帰り道、馬車の窓から街並みを眺めた。

 孤立は変わらない。だが、爵位剥奪の動きも停滞しているように見えた。誰もが様子見をしている。下手に動いて、後で間違った側にいたと分かれば自分の首が飛ぶ。その恐怖が行動を封じていた。

 皆、最初の一人になりたくないのだ。



   ◇ ◇ ◇



 そんな膠着状態に、思わぬ一石が投じられたのは会議の翌日のことだった。


 ベルナードは用務を終え、王宮の回廊を歩いていた。すれ違う貴族たちは相変わらず視線を逸らし、挨拶もなく通り過ぎていく。


「おお、テルネーゼ卿!」


 不意に、朗らかな声が回廊に響いた。


 ベルナードは足を止めた。声のした方を見ると、恰幅のよい壮年の男が笑顔で歩いてくるところだった。

 ルーエン伯爵だった。王国騎士団の副団長にして、イルスレイド有数の武門の当主だ。


(なぜここにルーエン卿が……!?)


 ベルナードは内心で身構えた。ルーエン伯爵──その名を聞けば、どうしてもあの一件が脳裏をよぎる。

 エミリアが王妃のお茶会でルーエン伯爵夫人に楯突いた件だ。夫人は公衆の面前で恥をかかされたことで激怒したという。

 ベルナードは会わせる顔がなく、あれ以来、ルーエン家との関係は修復しようもなかった。


 にもかかわらず──この男は、公然と声をかけてきた。


「ルーエン卿。これはご無沙汰しております」


 ベルナードは警戒しながらも礼を返した。ルーエンとは、かつてベルナード自身が騎士団に籍を置いていた頃からの旧知だ。当時、ルーエンは分隊長であり、ベルナードはルーエンとは別の隊の騎士だった。

 気さくで裏表のない武人。政治的な駆け引きとは無縁の男──少なくとも、ベルナードはそう記憶していた。


 だが今、この状況でその記憶を信じてよいものか。


「いやいや、堅苦しいのは抜きにしましょう。騎士仲間じゃないですか。……少し、お話ししたいことがありましてね」


 ルーエンは人懐っこい笑みを浮かべると、ベルナードの隣に並んで歩き出した。周囲の貴族たちの視線が自分たちに集まっているのが分かった。


「実は──うちのイルダのことなのですが」

「イルダ嬢?」


 ルーエンの娘の名に、ベルナードは目を瞬かせた。

 イルダ──デルナムの一件で拉致され、クロードの分隊が救出した少女だ。


「最近、卿のご子息──クロード君にえらく世話になっているようでしてね」


 ルーエンの顔に武人というよりは父親の表情が浮かんだ。


「あの一件の後、イルダはすっかり塞ぎ込んでしまいまして。周りの者たちも腫れ物のような扱いで、父親として情けない限りだったのですが……クロード君が声をかけてくれたようで」


 ルーエンは少し目を伏せた。


「救出の時のご縁もあってか、イルダはクロード君をずいぶん慕っておるようでして。それで、いつの間にか剣の手ほどきまで受けるようになったと」

「剣を……? クロードが?」


 ベルナードは息を呑んだ。クロードからそのような話は聞いていなかった。いや──ここしばらく、家族との会話すら十分にできていなかったかもしれない。自分のことで手一杯だったのだ。


「いやはや、クロード君は剣の腕はもちろん、分隊長の職もしっかり務めている。副団長として心強い限り。それにイルダから最近何度も手紙が来ておりましてね。クロード君との稽古が楽しみなようですよ」


 ルーエンは豪快に笑った。


「それで、一度お礼を申し上げたいと思っておりました。差し支えなければ、近いうちに我が屋敷へご招待させていただきたい」


 ベルナードは黙ってルーエンの顔を見た。


 この人は──本当に、ただ娘の話がしたいだけなのだ。

 お茶会の件も、派閥の対立も、異端の噂も、この人の頭の中にはないのだろう。目の前にいるのは騎士団副団長ではなく、娘を救ってくれた恩人の父親に礼を言いたい、ただの父親だ。


(相変わらず、裏表のない人だ)


 騎士団にいた頃を思い出す。ルーエンは若い頃からこうだった。余計なことを考えず、目の前の相手にまっすぐ向き合う。それが騎士としての美徳であると言って憚らず、同時に政治向きではない所以でもあった。


「ええ、もちろんです」


 ベルナードがそう答えると、ルーエンは満足そうにうなずいた。


「それは良かった! では近々、招待状をお送りします。ああ、それから──」


 ルーエンは声をやや落とし、ベルナードの耳に顔を寄せた。


「テルネーゼ卿。いろいろと大変でしょうが、お気を確かに。騎士はね、目に見えるものしか信じません。噂なんぞで剣は錆びませんよ。もっとも、卿もそう思われるでしょう?」


 そう言って、ルーエンは片目をつぶると大股で回廊を去っていった。本人は声を落としたつもりだったようだが、耳元で話すにはいささか響きすぎる声だった。


 ベルナードはしばし、その背中を見送った。


(目に見えるものしか信じない、か……)


 あれが、ルーエンなりの励ましだったのだろう。深い政治的意図があったのか、単なる武人の素朴な言葉だったのか──おそらく後者だ。だが、不思議と胸の奥が温かくなった。


 ベルナードが歩き出すと、すれ違う貴族たちの視線の質が変わっていることに気づいた。


 先ほどまでの「見て見ぬふり」ではない。ちらちらとこちらを窺い、互いに小声で囁き合っている。その表情には困惑と、あきらかな動揺が浮かんでいた。


(なるほど。卿の声は回廊中に筒抜けだったか)


 騎士団副団長が異端の噂がある家門の当主に親しげに声をかけ、招待の約束までした。しかも、その相手の娘に自分の妻が恥をかかされたにもかかわらずだ。


 貴族たちの頭の中では、おそらくこう巡っているだろう。


 ──ルーエン伯爵はお茶会の件を水に流したのか? いや、騎士団として王家の方針に従う判断をしたのではないか?


 ──騎士団副団長がテルネーゼ家を支持している。ということは、騎士団は王家の宗派替えを支持しているのでは?


 ──もし今テルネーゼ家を攻撃する側に立ったら、騎士団から粛清されるのではないか。


 もちろんルーエンにそんな意図はないだろう。あの人物は、娘を助けてくれ、そして元気づけてくれた恩人の家に礼を言いたかっただけだ。


 ベルナードは小さく息を吐いた。


(ありがたいが……これもいつまで持つか分からんな)


 テルネーゼ家とルーエン家が和解した──とはいえ、何の政治的意味合いもない関係修復など、貴族たちはソルダムの動き一つで簡単になかったことにするに違いない。


 ベルナードは窓を開け、外の景色に目をやった。冬にしては珍しく、柔らかな風が吹き込んできた。遥か南の空にはぽつんと白い雲が浮かんでいた。

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