<閑話1> 妹の噂
午後の騎士団詰所は、訓練を終えた騎士たちの安堵のため息に満ちていた。クロードも汗をぬぐいながら、休憩室へと足を向ける。副隊長や部下の若い騎士たちが、既に円卓を囲んで談笑していた。
「お疲れ様です、分隊長殿」
「ああ」
クロードはそっけなく答えながら、空いている椅子に腰を下ろした。カップの水を口にすると、身体に残った訓練の熱が和らいでいく。
「そういえば分隊長殿」
副隊長のエドガーが、何気ない調子で口を開いた。
「妹君がデビューされるとか。おめでとうございます」
クロードの手が、わずかに止まった。
「ああ、そうらしいな」
(もう広まっているのか……貴族ってやつはこれだから)
できるだけ無関心を装ったつもりだったが、若手のマルクが興味深そうに身を乗り出してきた。
「でも侯爵家で一年遅れって……何か理由がおありで?」
理由……まさか本当のことは言えない──クロードは内心で舌打ちした。
「父も考えがあってのことだろう」
曖昧に答えたが、マルクは納得できないという表情だ。
「上位貴族で一年遅れはちょっと珍しいですよね? ご病気でもされてたんですか? それとも何か特別な理由が……?」
エドガーも首をかしげている。クロードは話題が変わらないことへの苛立ちを隠しながら答えた。
「さあな。俺に聞かれても困る」
(特別な理由……まあ、『ノースキル』だったからな。……今は分からんが。まったく面倒なことだ)
しかし、マルクは別の可能性を思いついたらしく、手を打った。
「でも『二つ持ち』なら、むしろもったいぶってた感じですかね? 〝満を持して〟って感じで、かえって注目度が高まってますよ」
騎士団の連中は、貴族にもかかわらず言葉に遠慮がない。
「侯爵様の戦略だったのかもしれませんね。『深窓のご令嬢』として話題になってます」
エドガーもうなずく。
クロードは複雑な心境でカップを見つめた。
(戦略? ……父上がそんなことを考えるはずがない。でも、結果的に注目を集めている。『ノースキル』のはずなのに、あの市場での一件。あいつは本当に魔法を使ったのか? ……不可解だ)
マルクは、さらに話を振ってきた。
「そういえば、分隊長殿の妹君、たまに街で見かけますよ。従者も連れずに出歩かれてるんですね。びっくりしました」
(一人で街に……まあ、昔からそうだしな)
「父は、そういうところは放任だからな」
クロードは窓の外を見つめた。訓練場では、まだ汗を流している騎士たちの姿が見える。
彼の脳裏にふと、あの日の訓練場の光景が蘇った。木剣を振るエミリアに向かって放った、自分の冷たい言葉。
『血脈のない者が剣を振るうなど、時間の無駄だ』
(あの時は当然のことを言ったまでだ。だが『二つ持ち』だというなら……話は違ってくる。しかし……血脈が後から発現することなどあるのか?)
「とはいえ、分隊長殿も鼻が高いでしょう?」
エドガーの問いに、クロードはエドガーへ目をやった。
「妹君がデビュー前から社交界で話題になるなんて、家門の誉れですね」
「……そうだな」
クロードは曖昧に答えたが、内心は別のことを考えていた。
(『二つ持ち』の噂が本当だったら、今まで聞かされていたことは、間違いということになる)
「きっと縁談の申し込みも殺到するんじゃないですか?」
マルクが無邪気な笑みを見せた。
(本当にそうなら、家門にとっては慶事だが……)
クロードは静かにカップを置いた。エミリアのことを考えると、なぜか胸の奥がざわつく。それが何なのか自分でもよく分からなかった。
「まあ、家門の名に恥じなければそれでいい」
そう言い切ったものの、その言葉に込められた感情は、以前ほど単純ではなかった。
やがて騎士たちは別の話題に移った。クロードはカップを取り、残った水を飲み干した。
(血脈の発現……そんなことが本当にあるのか分からんが、もしそうならば、発現したきっかけがあるはずだ)
クロードの表情に、わずかな困惑と、彼自身も気づいていない期待が混じっていた。




