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【第4部完結!】「ノースキル」の烙印を押された侯爵令嬢、実は世界の管理者(アドミニストレーター)でした  作者: 柊ユキヤ
覚醒編

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第8話 言えなかった一言

 デビュタントを来週に控え、屋敷はにわかに慌ただしくなった。使用人たちが廊下を行き交い、アンナは朝から髪飾りの箱を抱えて走り回っている。誰もが浮き足立っていた。


 ──自分だけが、そうではない。


 噂はもう王都に広まっているらしい。テルネーゼ侯爵家の娘は『二つ持ち』ではないか──市場でのあの一件から、勝手に育って歩き出した話だ。まあ、否定した覚えもなければ肯定した覚えもない。

 それに、どうせあの父のことだ。噂になど下手に関わらない方が良いと考えているのだろう。だが、否定も肯定もしなければ、噂好きな王都の住人はさらに面白がるに違いない。


 クラウディアへ手紙を出したのはそのせいだった。相談がある、とは書いた。だが本当のところは、社交界というものが自分をどう見ているのかを確かめたかったのだ。



   ◇ ◇ ◇



 イベール伯爵邸の庭園はあいかわらず見事だった。白薔薇が夏の風に揺れている。東屋で待っていたクラウディアはこちらを見るなり駆け寄ってきた。


「エミリア様! お手紙をいただいて、もう嬉しくて」

「お時間をいただいてごめんなさい。……実は、来週のデビュタントに出ることになって」

「まあ! 素晴らしいことじゃありませんか!」


 目を輝かせたクラウディアが、すぐに小首をかしげた。


「でも、たしか昨年はお父様が『まだ早い』と……」


 喉の奥が詰まる。真実を話すわけにはいかない。


「……そうなの。だから今さらと思って、戸惑ってるのよ。……ねえ、去年私が出なかったとき、みなさんどう思っていたのかしら」


 陰口を覚悟して訊いた。ところがクラウディアは一瞬きょとんとして、それから頬を綻ばせた。


「それはもう、『さすが侯爵様』と皆さん微笑ましく思っておりましたわ」

「……微笑ましく?」

「『まだ愛娘を手放したくないのね』とか、『世間知らずだからだなんて、お茶目なこと』とか。そんな風に」


 紅茶の器を持つ手が止まった。


(愛娘。──お父様が、私を)


 あの人が娘の血脈を恥じて家の外に出せずにいただけの一年だ。それが、慈しみの一年として語られていた。


「羨ましいとおっしゃる方もいらしたんですのよ」

「羨ましい?」

「縁談を急かされている方々が。デビューしてしまうと、すぐにお話が舞い込みますから」


 笑うべきところだったのだろう。うまく笑えたかどうかは分からない。


「実際のパーティーって、どんな感じ?」


 話を逸らすと、クラウディアの表情がわずかに陰った。


「華やかですけれど……品定めの場でもありますわ。家格の序列がはっきり出ますし、それに、その……他のことでも」


 他のこと──血脈のことだ。


「わたくしのときは『伯爵家の次女』でしたから、いろいろと実感いたしました。表向きは皆さん笑顔ですけれど」


 言葉を選ぶ横顔を見ていれば、何があったかは察しがつく。中位の爵位で血脈が弱いと薄々知られていれば、心ないことを言う者はいるだろう。彼女が縁談で血脈を気にするのも、おそらくそこから来ている。


「でも今年は違いますわね」


 クラウディアが顔を上げた。


「『二つ持ち』の噂で、各家の注目が集まっておりますもの。きっと縁談も殺到しますわ」


 胸が軋んだ。


「……クラウディアも、知っているのね」

「ええ。あちこちで」


 訂正する言葉は喉まで来ていた。あれは違う。私はノースキルだ。市場で何が起きたのかは自分でも分からない。

 だがクラウディアは先月、聖石の治療を受けに行ったという。血脈が弱いことに悩み、伯爵家の娘、そして嫁ぎ先である伯爵家の妻としての務めが果たせるかと沈んでいた。その相手に、いま何を言えばいいのか。


 嘘だと明かせば家門が詐称の汚名を負う。父が何をするかは考えたくもない。

 そして、たとえ家のことがなかったとしても──


(この子に、私は言えない)


 血脈が弱くて悩む友人に、自分にはそもそも血脈がないのだと打ち明ける。それは慰めではない。上から手を差し伸べる真似だ。


「……ごめんなさい。隠すつもりはなかったのよ」


 口から出たのはそれだった。

 だが、クラウディアは優しく首を振った。


「そんなことはありませんわ。血脈の詳細は家門の秘密ですもの。むやみにひけらかすものではありませんし」


 その気遣いが一番痛かった。


「エミリア様、大丈夫ですわ。今のあなたは、以前とは違って見えますもの」

「……そうかしら」

「ええ。なんだか、いきいきされてます。きっと素敵なデビューになりますわ」


 礼を言って微笑んだ。ちゃんとできた、と思う。



   ◇ ◇ ◇



 帰りの馬車で、窓の外を見ていた。

 いきいきしている、と言われた。目標ができたからだろうか。それとも、嘘に乗ったまま歩いているからだろうか。

 クラウディアのあの首の振り方が消えない。




 屋敷に戻るとアンナが満面の笑みで迎えてくれた。


「お帰りなさいませ! マダム・シャルロットがドレスをお持ちですよ!」


 応接室にそれは掛かっていた。淡いブルーのシルクが夕日を受け、真珠のような光を放っている。繊細なレースと上品な刺繍。思わずため息が漏れた。


 アンナに手伝ってもらって袖を通す。滑らかな感触が肌をすべった。


「髪も、少しまとめて……こんな風に」


 うなじにかかっていた髪がなくなる。鏡の中の自分が、少しだけ大人びて見えた。嬉しい──素直にそう思う自分がいて少し可笑しかった。自分にも乙女心というものがあったらしい。


「お嬢様……とてもお美しいです」


 アンナのうっとりとした声が、どこか遠かった。


 鏡の中には淡いブルーのドレスをまとった侯爵令嬢が立っている。姿勢がよく、聡明そうで、いかにも良家の娘──『二つ持ち』の深窓の令嬢に見えた。


 誰も疑わないだろう。この姿で広間に立てば、噂は事実として固まる。誰一人、確かめようとはしない。


「……ありがとう、アンナ。もう脱ぐわ」


 ドレスは丁寧に掛け直された。窓の外では夕日が沈み、星がひとつ、ふたつと瞬き始めている。


 剣を振ってきた。本を読んできた。血脈がなくても努力で、自分自身の力で届く場所があると信じてきた。なのに来週、自分は血脈の噂に守られて広間へ入る。


 灯りを消し、ベッドに横になった。天蓋の闇を見上げる。

 怖いのは噂が暴かれることではなかった。誰にも暴かれないまま、あの噂に守られて生きていける──そのことの方がずっと怖い。

 そして、それは本当に〝私〟なのだろうか。私がもっともなりたくない姿ではないのか。


 だが、デビュタントはもうすぐそこまで迫っている。私らしく──そうありたいが、できるだろうか。


 ふいに、人の良い幼馴染の顔が浮かんだ。

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