第5話 聖石
翌朝の食卓で、ベルナードが突然告げた。
「エミリア、今日は中央教会へ行く。聖石での治療を受けてもらう」
エミリアのスプーンを握る手が止まった。
聖石──先日クラウディアが言っていた、あの古代の遺物か。でも、ずっと自分を無視していた父が、血脈の可能性が出た途端にこれだ。
「治療、ですか?」
父は苛立ちを隠すように答える。
「『二つ持ち』は若い頃、力が不安定になりがちだそうだ。聖石が体調を整えてくれるだろう」
母も心配そうにこちらを見ているが、やはり、どこかよそよそしい距離感は変わらない。兄はあいかわらず訝しむような視線を向けている。
皆の態度が微妙に違うことに何だか苛ついてしまう。だが、父から〝聖石〟という言葉が出るとは。
(聖石か……クラウディアから聞いて、あれから調べてみたけど、魔法の理論書にも詳しく載ってなかったわ。実際に体験できるのは楽しみだな)
まあ、父の複雑な心境も手に取るように分かる。十四年前の屈辱を覆したい期待と、それでも確信の持てない疑念。そして、あの『生命図譜の儀』を再び行うことへの恐怖が入り混じっているのだろう。本当に〝イルスレイド貴族〟らしい、とは思う。
とはいえ、それはそれだ。そんな面白そうなものを断る理由もない。
「承知いたしました」
素直にうなずくと、父はほっとしたような表情を見せた。ほんと、いい加減にしてほしいわ──心の中で毒づいた。
◇ ◇ ◇
王都の中央教会は尖塔が雲に届きそうなほど高く聳える荘厳な建物だった。色とりどりのステンドグラスが朝日を受けて虹色に輝き、石畳には神聖な文様が刻まれていた。
入口で待ち構えていた神官が深々と頭を下げた。
「お待ち申し上げておりました。お嬢様の体調がすぐれないとお聞きし、心配しておりました。ですが、聖石の御加護で必ずや快癒されることでしょう。ささ、どうぞこちらへ」
白い法衣に身を包んだ初老の神官は侯爵家への気遣いが言葉の端々に滲んでいた。こういうところで自分の立ち位置を自覚させられる。
案内された部屋は教会の奥にある静謐な空間だった。白い石壁に囲まれた少し薄暗い部屋の中央には台座が据えられており、その上には手のひらほどの石が淡く青白い光を放っていた。
「こちらが聖石にございます。古代より伝わる聖なる遺物で、体調不良や血脈の不安定さを癒す力があるとされております」
光る石など、たしかに珍しい。
(古代の遺物か……初めて見たわ。この石、淡く光ってるけど、どんな原理なのかしら? 魔法陣とは明らかに違う光り方ね)
聖石は誰でも気軽に見られるものではない。聖石による治療を受けるには、教会へ相応の寄進をする必要がある。そのため、治療を受ける者は裕福な商人や貴族に限られていた。
こういうときは侯爵家の威光を感じずにはいられない。
「では、お手をそっと石にかざしてください。触れる必要はございません」
恐る恐る手を伸ばした。石に近づけていくと、ほんのり温かい感覚が伝わってくる。
(面白いわ……この仕組みを調べてみたいな)
そう思った瞬間だった。
淡く青白い光が突然鮮やかな緑色に変化した。部屋の白壁は緑色の光を映し、石の表面には複雑な文字や記号が浮かび上がる。それは夢で見た白銀の世界の文様と酷似していた。
そして、脳裏に無機質な声が響く。
《メンテナンスモード》
「っ!?」
思わず手を引っ込めた。瞬間、石の光と文字が消失した。光を失った聖石は、ただの石のように沈黙している。
「こ、これは一体……? このような現象は……見たことが……」
神官が青ざめた顔で聖石を見つめている。
父は息を呑んで身体が硬直し、母は蒼白になって後ずさった。だが、こちらはそれどころではない。
(あの文様、夢で見たものと同じだ! それに『メンテナンスモード』って……これは魔法じゃない。何か別の……もしかして、古代の技術? まるで何かの道具を操作してるみたい)
「も、もう一度……触れていただけますでしょうか?」
神官の震え声で、もう一度手をかざした。すると、聖石は再び青白く光りだした。何事もなかったかのように淡い光を放っている。
(これはいったい……どういうことなの?)
石を凝視してみる。本来であれば、手をかざすと淡い光が全身を包み、何らかの効果があるものと聞いていた。
「不可解です……このようなことは前例が……」
神官は困惑を隠せずにいた。もしかして、何百年にも渡って使われてきたとされる聖石がこのような反応を示したことは一度もなかったのだろうか。
父がもの凄い形相で神官に詰め寄る。
「娘には血脈があるのか、ないのか! はっきりしろ!」
「も、申し訳ございません。これは……前例のない現象でして……本国──法王国に問い合わせてみましょう」
父の剣幕に、神官は怯えた様子で歯切れの悪い返答をする。
「それと、血脈の有無については……やはり『生命図譜の儀』を行わなければ判断が……」
神官がその言葉を口にした瞬間、父の表情が一変した。父にとって屈辱的なあの記憶が蘇ったのだろう。
「……もういい。失礼した」
父は歯噛みしながら踵を返した。
◇ ◇ ◇
帰りの馬車は重苦しい沈黙に包まれていた。
父は腕を組み目を閉じて、珍しく貧乏揺すりをしている。母は不安そうな表情で外をじっと見つめていた。
父は期待と不安、過去のトラウマで板挟みになっているのか。母は娘への期待と、異常な現象への不安を抱えているのだろう──二人の様子を見ながら、そんなことをぼんやりと考えた。
だが、自分自身は先ほどの不思議な出来事への好奇心が抑えられなかった。
(あの現象は絶対に血脈じゃない。『メンテナンスモード』なんて、魔法の詠唱にはない言葉だわ。それに、あの文様も夢で見たものと同じ……)
車輪が石畳を踏む音だけが規則正しく響いていた。
(一体私に何が起きてるの? 『管理者』『更新』『メンテナンスモード』──まるで古代の何かの仕組みに触れているような……)
窓の外を流れる街並みを眺めながら考え続けた。血脈至上主義の両親にはおそらく理解できない、もっと別の何かが自分の中で動いているように思えた。
その夜、オルフェン先生から借りた古代史の本を食い入るように読んだ。何か手がかりがないか必死に調べているのだが、聖石に関する記述は『神々の遺物』といった神話レベルの内容ばかりで具体性に欠けていた。
(なんとなく分かる。私に起きてることは、きっとこの世界の『血脈』とはまったく別の何かよ)
蝋燭の炎が揺らめき、部屋に影を踊らせる。
(でも、それが何なのか分からない……神官が法王国に報告するって言ってたわね。法王国には答えがあるのかしら?)
ふと、嫌な予感が胸をよぎった。とはいえ、それがいったい何なのかも分からない。
(でも、もっと調べたい。この謎を解くまでは諦めるわけにはいかないわ)
本のページをめくっては戻り、気になる箇所を紙に書き出していった。気づけば蝋燭は短くなり、窓外は深い暗闇に沈んでいた。




