第4話 血脈の価値
またあの夢だった。
白銀の部屋で、光の文様が前回よりも鮮明に浮かび上がった。声もはっきりと聞こえる。
《管理者情報……更新》
(管理者? 更新? 何のこと……?)
意味は分からないが、何かが〝進行している〟という恐怖がじわりと胸を這い上がった。自分の知らないところで、自分に関する何かが勝手に変わっていく。そんな不気味な感覚に背筋がぞわりと粟立つ。
「……お嬢様。……お嬢様」
白銀の世界から現実に引き戻される。
メイドのアンナが、泣きそうな顔で主を覗き込んでいた。
「お嬢様! よかった、本当によかった……」
アンナの声が震えている。エミリアは体を起こそうとして、ひどい頭痛と体の重さに顔をしかめた。まるで鉛でも詰め込まれたみたいに、手足に力が入らない。
「一体……どのくらい……?」
「三日も眠っておられて、お医者様も心配されて……」
三日も? エミリアは驚いて目を見開いた。市場での出来事がぼんやりと蘇る。ごろつきたちとの戦い、少年を人質に取られた絶望的な状況、そして──短剣が光を放った瞬間。
「お医者様をお呼びしますね」
アンナが慌てて部屋を出て行く。一人になったエミリアは、まだ鈍痛の残る頭を押さえながら、あの時の記憶を辿ろうとした。
(たしかに、不思議なことが起きたわ。でも、その後のことはあまり覚えてない……)
まもなく、白い髭を蓄えた老医師が入ってきた。瞳孔を診たり、脈を取ったり丁寧に診察を行うと、困惑したような表情を浮かべた。
「不可解な症例ですな。幸い外傷はございません。しかし、まるで魔力を使い果たしたような……」
医師が首をひねる。
「しかし、お嬢様は血脈をお持ちでないはず。うーむ、他に説明のしようが……」
歯切れの悪い診断に、エミリアは内心眉をひそめた。
(魔力を使い果たした? でも私は『ノースキル』なのに……)
その時、扉が開いて父ベルナードと母ディアーヌが入ってきた。ベルナードは枕元に立ったが、エミリアにではなく医師の方を見ている。
「容体はどうだ?」
直接的な気遣いの言葉は、やはりかけてくれない。ディアーヌは少し離れた場所から心配そうに見守っているが、どこかよそよそしい距離感は変わらずそこにあった。
「おそらくは血脈なき身で、何らかの魔力のようなものを無理に行使した反動かと……」
ためらいがちな医師の言葉に、ベルナードの表情がわずかに変わる。期待を込めたような、複雑な光が瞳に宿った。
「魔力? それは……」
「断言はできませんが、他に説明が……」
ベルナードは沈黙し、しばらく考え込むような素振りを見せた。ディアーヌも安堵と困惑が入り混じったような表情で、夫と娘を交互に見ている。
「まあ、ゆっくり休め」
ベルナードはそれだけ言い残すと、さっと部屋を出て行った。ディアーヌも後を追う。だが彼女は扉のところで振り返り、エミリアをちらりと見た。何か言おうと口を開きかけたが、結局そのまま出ていった。
エミリアはその背中を見送りながら、胸の奥に苦いものがこみ上げるのを感じた。
(お父様の、あの表情……まさか期待してる? でも直接私に話しかけることはない。結局、血脈があるかどうかしか関心がないのね)
翌朝の食卓は、いつもとは明らかに違う空気に包まれていた。これまでの〝無関心な沈黙〟ではない。〝値踏みする沈黙〟がテーブルに張り付いていた。
クロードが時々チラチラとエミリアを見る。今まで見下すような視線だったのに、今度は〝訝しむような〟視線だ。明らかに態度が変わっている。
ベルナードも何度か口を開きかけて、結局黙り込む。エミリアに直接話しかけたい様子だが、プライドが邪魔をしているのか、なかなか言葉が出ない。内心の葛藤が表情の端々に現れていた。
(みんなの態度が違う……血脈があるかもしれないと思った途端にこれ? ──結局、私の価値は血脈次第なのね)
エミリアは皮肉な気持ちで家族を見回した。
食事を終えると、エミリアは足早に書庫へ向かった。あの埃っぽい部屋だけが、今の彼女には安らげる場所だった。
分厚い扉を押すと、案の定、ラウルが既に机に向かっていた。ラウルはエミリアに気づくと表情を綻ばせ、彼女の元へ駆け寄ってきた。
「エミリア! ……もういいのか? この前もそうだけど……ほんとに大丈夫なのか?」
「ありがとう、もう大丈夫よ。でも……変なことが起きてるの」
素直に話せる相手への安堵が胸の奥にじんわりと広がった。エミリアは、先日から起きている不思議な現象を包み隠さず話した。
「それはたしかに不思議だ……でも、何だか血脈とは少し違う気がするな。──君の中に、何か別の力があるのかもしれない」
ラウルは眉間に皺を寄せながら真剣に考え込んだ。血脈至上主義にとらわれない彼の視点が、エミリアには何よりありがたかった。
「でも家族の態度が変わったの。急に私に期待し始めてるような……」
「血脈があるかもしれないというだけで? それは……」
「結局、血脈次第なのよ。私という人間は見てくれない」
ラウルは困ったような表情を浮かべ、それでも温かな眼差しでエミリアを見つめた。
「君は君だよ。血脈なんて関係ない」
その言葉に少しだけ救われる気がした。
午後になって、エミリアは父の書斎に呼ばれた。
重厚な書棚と机。歴代当主の肖像画が並ぶ、権威と歴史の象徴のような部屋。ベルナードはいつもより緊張した面持ちでエミリアを迎えた。
「……体調はもう良いのか」
父が気遣いの言葉をかけるなんて──エミリアは思わず動きを止めた。今までこんなことがあっただろうか。
「……はい、お陰様で」
かろうじて返事をすると、ベルナードはためらうように口を開いた。
「市場で何かあったらしいな。部下や使用人たちの噂になっている……おまえは、魔法を使ったのか?」
これまでの屈辱を覆せるかもしれない期待と、それでも確信の持てない疑念。ベルナードの複雑な心境が声音に滲んでいた。
「お父様こそご存じのはずです。わたくしは『ノースキル』。魔法など扱えるはずがございません」
彼女の冷静な態度に、ベルナードは苛立ったように声を荒らげた。
「だが、巷では、おまえが『二つ持ち』ではないかという噂が立っているのだ!」
ベルナードは厳しい口調ではあったが、期待と疑念が複雑に折り重なっているようだった。だが、エミリアは医師の診断を盾に、論理的に切り返した。
「馬鹿げた噂にございます。お医者様も、血脈がないゆえの反動だとおっしゃっていましたでしょう?」
正論で返され、ベルナードは言葉に詰まった。葛藤の末に苛立ちが勝り、机を叩く。
「……もうよい、下がれ!」
(結局、聞きたいことだけ聞いて、私の気持ちなんてどうでもいいのね……!)
書斎を出たエミリアは、廊下で悔しさに唇を噛んだ。
◇ ◇ ◇
その夜、王宮での会議を終えたベルナードは、他の貴族たちと廊下で談笑していた。
「テルネーゼ卿、ご息女が『二つ持ち』だったとは。今まで隠しているなど、人が悪い」
親しい派閥の伯爵がニヤニヤしながら近づいてくる。もう噂になっているのか──ベルナードは内心困惑していた。
(それが確信できたら苦労しない。だったら、十四年前の『生命図譜の儀』は何だったのだ?)
神官が解読不能と匙を投げ、一族の恥として刻まれた、あの意味不明な紋様の羅列。参列者たちの、親族としてこの秘密を共有しなければならないのかという、憐れみの混じった迷惑そうな表情。あの屈辱を今更蒸し返すことなど、考えただけでも身がすくむ。
曖昧にはぐらかしていると、長老格の公爵が近づいてきた。
「そういえば、先日も臥せっておられたとのこと。『二つ持ち』は若い頃は力が不安定で、体調を崩しやすいと聞きますな。一度、教会の聖石による診断と治療を受けさせてみてはいかがかな?」
その言葉にベルナードは目を見開いた。それは、屈辱的な過去を繰り返すことなく真実を知るための、まさに〝渡りに船〟の提案だった。
(エミリアを、教会へ行かせる……)
帰りの馬車の中で一人、ベルナードは決意を固めた。
同じ頃、エミリアは自室で今日の出来事を振り返っていた。
(みんなの態度が変わった……血脈があるかもと思った途端に。でも私は『ノースキル』のはず……あの力は一体? 『管理者』『更新』……全然意味が分からない)
窓の外では星々が静かに瞬いている。その光を見つめながら、エミリアは逡巡した。
(これまで無視され続けて、今更期待されても……でも、少しだけ……認められたい気持ちもあるかも。いえ、ダメ。血脈で価値を決められるのは嫌)
夜風が頬を撫でていく。エミリアはそっと窓を閉じた。
(私は私の道を行く。この不思議な力の正体も、自分で突き止める。血脈なんて、いつか必ず覆してみせる)
あの白銀の光景が再び現れることを、半ば期待し、半ば恐れながら床についた。




