第21話 緊急会議
午後の陽だまりが書斎の机を温めていた。
ベルナードは領地からの報告書をめくっていた。今年の収穫見込み、税収、領民の動向。いつもの数字が、いつものように並んでいる。何事もないということは、それだけで良い報せだ。
最後に領地へ帰ったのはいつだったか。幼い頃はあの温暖な丘陵で育ち、騎士団に入ってからは王都暮らしになった。家督を継いでからは、なおさら足が遠のいている。
ふと、窓の外に目をやった。
門を出ていく娘の姿があった。家庭教師の息子と並び、石畳を踏みしめるような足取りで歩いていく。何に腹を立てているのか、遠目にも肩がいかっていた。
使用人を呼んだ。
「エミリアはどこへ行ったのだ?」
「何か……確かめたいことがあるとのことで……」
使用人は答えにくそうにしていた。大方、娘はきちんと行き先を伝えていないのだろう。
まったく、今度は何を調べているのやら。あいかわらず落ち着きのない娘だ。侯爵令嬢ともあろう者が、従者も付けずにふらふらと──
そう思いかけて口をつぐんだ。これまで、そのことを咎めたことは一度もない。放任と言えば聞こえはいいが、無視してきたのは事実だ。
いまさら言えた義理ではないな、と苦笑した。
その穏やかな午後を破ったのは、門前を駆ける蹄の音だった。
「テルネーゼ卿!」
王宮からの使者が息を切らせて書斎へ駆け込んできた。差し出された書状を開き、ベルナードは眉を寄せた。
「……神託祭について、緊急の会議?」
◇ ◇ ◇
四年に一度、秋の収穫期に催される神託祭。王国の平安と豊穣を祈る最も重い祭儀だ。来年に控え、準備はとうに始まっている。その祭儀について今さら緊急に話し合うという。
(いったい何があったのだ……)
王宮の会議室には、すでに重臣たちが顔を揃えていた。誰もが落ち着かない顔をしている。
宰相が深刻な面持ちで口火を切った。
「お集まりいただき、感謝いたします。……王妃殿下が、御歳を理由に来年の『神託の巫女』を辞退されたいとの仰せです」
ざわめきが広がった。巫女は代々、王妃が務める。辞退など聞いたことがない。
「代わりに、王太子妃ソフィア殿下を推したいとのお申し出です。……皆様のご意見を伺いたい」
空気が一段冷えた。
「順当なお申し出かと」
真っ先に応じたのは王太子派の老臣だった。
「次期王妃が巫女を継がれる。何の不思議もございますまい」
「ソフィア殿下のお人柄は、民もよく存じております」
「いかにも。何ら問題ないかと」
他の王太子派の貴族たちも一様にうなずく。
だが、向かいの席からすぐに声が上がった。
「お人柄で神託が降りるなら苦労はない」
第二王子ジュリアン殿下を推す一派の重臣だ。
「巫女は、強き血を持つ者が務めるのが古来の習い。……ソフィア殿下は北方の小国のご出身。その血が強いとは寡聞にして存じませぬな」
「もし儀式で何も起きなければ、それは王国にとって不吉の兆しと受け取られましょう」
「他国の使節も参加するのです。これは一国の問題ではありませんぞ」
ベルナードは腕を組み、黙って聞いていた。
どちらも筋の通ったことを言っているようで、その実、王太子と第二王子のどちらを次の王にしたいか、それだけの話だ。王妃が王太子妃を後継に指名すれば、王太子殿下の地位は盤石になる。だからこそ、相手方はソフィア妃の血を突く。
(騎士団の頃は、敵が誰か分かっていたものだが)
「テルネーゼ卿は、いかがお考えか」
宰相がこちらを見た。
「……王妃殿下のご判断を尊重すべきかと存じます」
端的に答えた。
「長年、王国に尽くしてこられた方が、最適と思われる方を推される。それに従うのが筋でしょう」
王太子派の重臣たちが満足げにうなずき、向かいの一派が露骨に顔をしかめた。
(別に、どちらかの肩を持つつもりはないのだが)
ベルナードは内心でため息をついた。
議論が膠着しかけたとき、一人の男が席を立った。デルナム侯爵──ジュリアン殿下に近いとされる男だ。柔らかい、だが薄い笑みを口元に浮かべている。
「でしたら、他に適任の方がいらっしゃるではありませんか」
「と、申しますと?」
宰相が尋ねると、デルナムは鷹揚に卓を見渡した。
「テルネーゼ卿のご息女です」
耳を疑った。
「先日のデビュタントで評判になられた、『二つ持ち』のご令嬢でございます。血の強さで言えば、これ以上の方はおりますまい」
一瞬の静寂のあと、あちこちから感嘆の声が上がった。
「なるほど、『二つ持ち』ならば申し分ない」
「家格も侯爵家。不足はなかろう」
「テラスでのお振る舞いも、たいそうご立派だったと聞く」
背筋を冷たいものが落ちていった。
噂がいつのまにか事実として扱われている。否定も肯定もしなかった。ただ黙っていた。その間に噂はここまで育っていたのだ。
「お、お待ちください」
声が上ずった。
「娘はまだ十七。そのような大役を務める知識も経験も……」
「ご謙遜を」
デルナムが穏やかに遮った。
「お若い方の方が、かえって清らかな力を示されるやもしれませんぞ」
「そ、それに、王太子妃殿下を差し置いて巫女を務めるなど」
「いやいや。申し上げたとおり、『二つ持ち』の侯爵令嬢となれば資格は十分かと」
何を適当なことを──と内心で歯噛みしたが、一つ反論するたびに、それ以上の言葉が返ってくる。そして気づいた。自分が慌てれば慌てるほど、皆の視線がこちらに集まっていく。
額に汗が滲んだ。
「……本日はここまでといたしましょう。各々よくお考えいただき、後日改めて」
宰相の一声で会議は散会となった。
回廊に出たところで、背後から足音が追ってきた。
「テルネーゼ卿」
デルナムだった。周囲に人影がないのを確かめると、声を落とす。
「ご息女の巫女役、お気が進まないご様子でしたな」
「……当然だ」
先ほどのやり取りを思い返すと、苛立ちが湧いてくる。
「でしたら、別の道もございますよ」
デルナムはこちらの内心など意に介しない様子で、まるで菓子でも勧めるような口調で言った。
「ご息女をジュリアン殿下のお妃に。ご婚約だけでも構いません」
言葉を失った。
「殿下の婚約者となられれば、巫女の件は仕切り直しとなりましょう。いずれに転んでも、ご家門に損はないかと」
「……娘を取引に使えと?」
「人聞きの悪い。良縁をお勧めしているだけです」
デルナムは一礼した。
「お返事は急ぎません。ただ、あまり長くもお待ちできませんので」
足音が遠ざかっていった。
◇ ◇ ◇
帰りの馬車は、やけに揺れた。
(巫女を断るには婚約を呑むしかない……)
理屈の上ではそうなる。巫女を受けるか、婚約を受けるか。二つに一つだ。
巫女を受ければどうなるか。神託の儀の壇上にエミリアが立つ。民衆が見守り、王侯が見守る中で祈りを捧げる。
そして何も起きない。
当然だ。あの娘には血脈がないのだ。
では、婚約なら──
そこまで考えて息が止まった。婚約の儀では互いの血脈を鑑定し合う。それは相手が王家でも同じだ。あの忌まわしき図譜陣がもう一度開かれるのだ。
十四年前の広間がまぶたの裏に蘇った。神官の震える声。黙り込んだ親族たちの顔。そして、陣の中央に浮かび上がったあの羅列。文字でも図形でもない、まるでこちらを見返してくるような──
(クソッ! どちらも同じではないか)
巫女を受ければ、娘は衆目の中で何も起こせない。婚約を受ければ、あの意味不明の羅列が今度は王家の前に晒される。
逃げ道に見えたものの行く先は、結局同じだった。
デルナムは知っているのだろうか。いや、知るはずがない。あの男はただ『二つ持ち』の令嬢を自陣に取り込みたいだけだ。だが、何も知らずにこちらの喉元へ刃を当てている。だからこそ、余計にたちが悪い。
縁談の申し込みが山ほど届いたとき、家門の格が上がる、と正直悪い気はしなかった。だが、すべて先送りにしてきたのは、その日が来るのを恐れていたからではなかったか。
「……私も、あの連中と同じか」
ふと、つぶやいた声は車輪の音に紛れて消えた。
◇ ◇ ◇
屋敷に戻ると、廊下の先から娘が歩いてきた。出かける前とは違いどこか足取りが軽い。何か良いことでもあったのか。
「お帰りなさいませ、お父様」
軽くうなずいた。言葉が出てこなかった。
この娘は何も知らない。自分の名が王宮の会議で挙がったことも、取引の材料に使われかけていることも。
書斎に入り、使用人に酒を運ばせた。夕食の前に飲むことなど、まずない。だが今夜はそうでもしなければやりきれなかった。
グラスを傾ける。だが、喉を焼く感触が少しも慰めにならない。
「……政争に、巻き込むなど……」
声に出していた。
「……剣で決着をつけられぬものか……」
騎士団にいた頃は分かりやすかった。剣を交えれば勝つか負けるか。それだけだった。今は、自分が何と斬り結んでいるのかすら分からない。
ふと、扉の向こうで床がかすかに軋んだ気がした。しばらく耳を澄ませたが、それきり何も聞こえなかった。おそらく使用人が通りかかっただけだろう。
扉に目をやったままグラスを置いた。
(エミリアには、言えんな)
まだ十七の娘にこの重荷は背負わせられない。せめて、もう少しだけ時間が欲しい。
ベルナードはついに扉を開けなかった。
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降って湧いた政治的陰謀。神託祭の巫女、妃候補。何も知らないエミリアはどうなってしまうのか!?
今後もよろしくお願いします。




