第17話 枢機卿の話
その日はどうにも腹の虫が治まらなかった。気を紛らわせるために古代史の本をパラパラとめくっていたが、やっぱり我慢ならない。
聖石の一件からもう一か月以上が経つというのに、法王国からの返答は一向に来ないのだ。
「ラウル、もう我慢の限界よ」
そう言い放つと、向かいに座っていたラウルは魔法理論書から顔を上げた。
「どうした、急に?」
「待つのはやめ。自分で聞きに行くわ」
「まさか、法王国に行くつもりか? 隣国とはいえ、そう簡単には──」
「何言ってるの」
思わず笑ってしまった。
「中央教会よ。あの神官に直接聞けば、何かしら分かるはずでしょう?」
「つまり、直談判か」
「そ。でも、お父様に話すとまた面倒なことになりそうだし──」
ラウルが苦笑した。
「君らしいな……まあ、俺も気になってたし、付き合うよ」
「ありがと。やっぱり頼りになるわ」
そうと決まれば、と早速支度した。
◇ ◇ ◇
午後、中央教会の重厚な扉をくぐった。色とりどりのステンドグラスが午後の陽を受け、床に虹色の光を落としている。
「失礼いたします。エミリア・シル・テルネーゼと申します。先日の聖石の件でお伺いしました」
応対した神官が、名を聞いて一瞬ぎょっとした表情を見せたが、それ以上顔に出すことはなく奥の応接室へ通してくれる。
しばらくして現れたのは、あの日の神官だった。
「あ、ああ、エミリア様……実は、その件で申し上げにくいことが……」
「法王国からのお返事がないことでしょう?」
図星らしい。神官の顔から血の気が引いた。
「なぜ返事が来ないのですか? そもそも、本当に報告なさったのですか?」
「も、もちろんでございます!」
額に汗を浮かべながら、神官が弁明する。
「詳細な報告書を添えて……しかし」
「しかし?」
「まったく何の返答もないのです。催促の書状も二度お送りしましたが……」
ラウルが眉をひそめた。
「それは異常ですね。法王国ほどの組織が正式な報告を無視するなんて」
「そんなことってあります?」
「そ、それもそうなんですが……」
煮え切らない態度だ。いい加減、こちらも限界だ。
「ちょっと! ハッキリして──」
思わず詰め寄ろうとしたその時──
「いかがなされましたかな?」
背後から落ち着いた声が響いた。
振り返ると、顎髭を蓄えた黒い法衣の男が立っていた。
「猊下!」
神官が慌てて立ち上がり礼をとると、その男は法衣の裾を軽く翻し近づいてきた。
「何やらお困りのご様子」
「エミリア様、こちらは枢機卿のロイデン様でございます」
ロイデンと紹介された男は、にこやかに微笑むと会釈した。枢機卿といえば法王国の偉い神官だ。こちらも慌てて立ち上がり、礼をとった。
「……ほう、それは興味深いですな」
事情を聞いたロイデンは目を細めた。
「私は視察のために先日こちらへ参ったのですが……そういえば本国で、『聖石の不具合』について何やら話されておりましたな」
「聖石の……不具合?」
そんなことがあるのか。
「ええ、いかにも。しかし、聖石の不具合ともなると教会の信用にも関わります。調査は慎重に行われているようでしたよ」
「そうなんですね……」
「私は直接その調査に関わっておりませんが、あなたが体験された現象のことを話していたのでしょうな」
うーむ、きちんとした説明だ。さすが、枢機卿なだけある。ロイデンの目をじっと見ると、彼の深い色を湛えた瞳はどこまでも理知的な印象を受ける。
(この際、色々聞いてみよ)
「でも、『鉄巨人』のことも疑問なんです。急に聖遺物だなんて」
「鉄巨人?」
王立研究所での出来事を説明した。
「……なるほど。そのようなことが」
ロイデンは深くうなずいた。
「触れられたのですかな。その、鉄巨人に」
「はい。材質が珍しくて、つい」
「ほう。その時、何か変わったことは?」
「はい。ここにいる子──ラウルっていうんですけど、鉄巨人が光ったように見えたって」
声のことは言わないでおこう。ラウルだったらまだしも、他の人にはさすがにおかしな子と思われそうだ。
それにしても熱心に聞いてくださる。さすが枢機卿だ、こういう話にも造詣が深いのだろう。
教会の強引なやり方を訴えたつもりだったのに何だか話が脱線してしまったような気もするが、その後もロイデンはしっかり聞いてくれ、最後に深くうなずいた。
「……なるほど。まあ、これについては私が本国に代わって謝罪しなければならないようですな」
聖遺物の認定には本国で様々な手続きがあり、時間がかかってしまうものらしい。また、回収には本国の専門部署が独自に動くため、どうしても現場の事情が後回しにされがちだという。ロイデンはその点も丁寧に詫びた。
「いずれにせよ、聖石の件は私も本国に戻り次第、催促しておきましょう。ただ、私はもうしばらく視察しなければならないため、今すぐにとはいきませんが」
「本当ですか? ありがとうございます!」
偶然とはいえ幸運だった。自分が今日思い立ったのも何かの縁に違いない。
「あ、あの、エミリア様……もし何かお分かりになることがございましたら……」
ロイデンの横で、神官の声は情けなく震えていた。
(……それじゃ逆じゃないの!)
なんとも呆れる話だ。
◇ ◇ ◇
教会を出るともう日が傾きだしていた。見上げると、尖塔が朱に染まろうとしている。すっかり話し込んでしまったようだ。
「それにしてもタイミングが良かったわ。話の分かる方がいらっしゃって」
だが、隣を歩くラウルは黙り込んだままだ。
「どうしたの?」
「──うん? いや、なんだか体よくはぐらかされた感じがして。そもそも『聖石の不具合』って何? 聞いたことないよ」
「そう? 慎重に調べてるんじゃないの?」
それにさ、とラウルは続けた。
「鉄巨人の件だって、変に詳しく聞いてくるし」
「えー、教会関係者なんだから当然じゃない?」
「うーん、何か引っかかるんだよな」
どうにも納得がいかないという様子だ。あいかわらずラウルは疑り深いなぁと思う。
「まあとりあえず、聖石のことは一旦置いといて王宮図書館で調べましょうよ。サラっていう子がいたの。王妃付きの侍女で、よく図書館に出入りしているんですって。案内してもらえないかしら」
「なるほど。たしかにそんな人なら、図書館に詳しいかもしれないな」
「明日、早速連絡してみるわ。三人ならきっと何か分かるはずよ」
「えっ!? 俺も行っていいのかな?」
「多分……大丈夫じゃない?」
「えぇ……」
平民の自分がそんな気軽に行けるものなのか、とラウルは困惑していた。だが、聞くのはタダなのだ。ラウルにもぜひ一緒に調べてほしい。
なんだか道が見えた気がする。足取りも軽くなるというものだ。
◇ ◇ ◇
夕方、屋敷に戻ったすぐ後に、父も王宮から戻ってきた。その表情は普段以上に険しく、ひどく肩を落としている。
「お帰りなさいませ、お父様」
声をかけたが、父は軽くうなずいただけで言葉を返す気力もないようだ。いつもの完全無視でもなく、逆にお説教でもない。
(お父様、随分とお疲れのようだけど……王宮で何かあったのかしら?)
父は書斎に籠もると、すぐに使用人に酒を準備させていた。
(帰って早々お酒? 珍しいわね)
父が夕食前に酒を飲むことなどまずない。それに部屋の中からブツブツと声が聞こえる。
(何か変ね)
扉に耳を近づけた。向こうから聞こえる独り言は途切れ途切れで内容はよく分からない。
「……政争に巻き込むなど……」
「……剣で決着をつけられぬものか……」
不穏な言葉だ。
(お父様が政治のことで悩んでる? 珍しいこと)
それが謙遜なのか性に合わないのかまでは分からないが、父はいつも、自分は騎士上がりだからと言って政治に対して割り切ってる。
(それにしても〝剣で決着〟だなんて物騒ね)
今どき決闘なんて聞いたことがない。
でもまあ父のことだ。明日になればいつものように無視を決め込むか、口を開けば小言ばかりだろう。……それはそれで腹立つが。
それよりもまず自分のことだ。
(私の力の正体も、古代の謎も……全部、この手で明らかにしてやるわ)
そっと扉から耳を離した。




