第16話 王妃との茶会
王妃からの手紙が届いたのは、マチルダの屋敷での騒動が片づいて間もない朝だった。
「お嬢様、大変です! 王妃殿下からお手紙が……!」
アンナが両手で捧げ持つように差し出してきた。上質な紙に流れるような筆跡だ。来週、王宮の庭園でお茶でもいかがか、と丁寧な文面が綴られている。
(王妃殿下が……私を?)
昼食の席で報告すると、父がフォークを落とした。
「王妃殿下直々のお招きとは……!」
父はおもむろに立ち上がると、部屋の中を落ち着きなく歩き回り始めた。顎に手を当て、何かブツブツとつぶやいている。やがて足を止めると、こちらを見つめてきた。その表情はいつになく真剣そのものだ。
「エミリア、くれぐれも失礼のないように。言葉遣い、所作、すべてだ。家門の名誉がかかっているのだぞ。……いかん、ドレスを新調せねば。いや、間に合わんか」
いつもの威厳ある侯爵の顔とは似ても似つかない。こんなに狼狽える父は見たことがなかった。
「承知しております、お父様」
苦笑いを返すしかない。母も心配そうに髪型がどうのと言い出し、兄までもが口を開いた。
「王妃殿下がなぜおまえを? 心当たりはあるのか」
探るような聞き方だ。あいかわらずである。
「さあ。デビュタントでお声をかけていただいたくらいしか」
兄はこの程度の返答で十分だ。
午後、書庫でラウルに事情を話すと、彼もまた心配そうに眉をひそめた。
「一人で王宮に行くなんて大丈夫なのか? あそこは政治の渦巻く場所だぞ」
「やーねぇ、何言ってるの。大丈夫よ。お茶会だもの、そんなに堅苦しいものじゃないでしょ」
まったく、みんな大げさなことだ。
◇ ◇ ◇
王宮の庭園は想像していた以上だった。色とりどりのダリア、可憐なコクリコ、香り高いラベンダー。小鳥の囀りが絶えない。
その奥にある白い東屋で王妃が待っていた。護衛の騎士たちを遠くに控えさせ、くつろいだ様子で庭園を眺めている。
「エミリアさん。ようこそいらしてくださいました」
傍らには、静かな佇まいの侍女が一人。知的な雰囲気を漂わせる若い女性で、静かにお茶の準備を進めていた。
「こちらはサラ。わたくしに仕えてくれているのですけれど、この子もなかなか勉強熱心なのですよ」
王妃の紹介で、はにかむように会釈を返してくる。感じのいい子だな、と思った。
美しい陶器のティーセットに注がれた紅茶は、花の香りがほのかに漂う上品な味だった。色とりどりの小菓子も、宮廷料理人の技が光る逸品ばかりだ。
「デビュタントでのご対応、とても印象的でした」
王妃が紅茶を口に含んだ。
「ある方から、貴女が勉学にも大変力を入れていらっしゃると伺いましたわ」
ある方。
(どなたでしょう、とは……訊けないわね)
王妃はそのまま話を続けた。訊く隙は、初めからなかったのかもしれない。
「サラもよく書庫に通っているようですけれど」
王妃がサラの方を向くと、彼女は一歩前へ出た。
「はい。わたくしは魔法理論や古代史に興味がありまして」
「えっ!? そうなんですか!? わたくしもなんです!」
そこから先は我ながら止まらなかった。魔法の仕組みへの疑問、古代文明への憧れ、失われた技術。堰を切ったように言葉が出てきた。
王妃は深くうなずきながら聞いてくれ、サラも興味深そうに耳を傾けている。
「──ですが、古代に関する資料はあまりに少なく、伝説や神話の壁に突き当たってしまうのです」
言ってから、はたと気づいた。
(今なら……いえ、でも)
王妃付きの侍女が書庫に通っている。その書庫とは、おそらく。
紅茶の器を置いた。
「あの、王妃殿下。……不躾なお願いを申し上げてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「王宮図書館には古代に関する資料があると伺っております。……一度、拝見することは叶いませんでしょうか」
言い切ってから心臓が鳴った。侯爵令嬢とはいえ、王室の許可なく入れる場所ではない。厚かましいと思われたかもしれない。でも、王妃とこうして話せる機会なんてそうそうないのだ。
とはいえ、正面から王妃の目を見ることができない。
だが、王妃はゆっくりと微笑んだ。
「よろしいでしょう。取りはからっておきます」
「……よろしいのですか」
「ええ。貴女でしたら、きっと有意義にお使いになるでしょうから」
「ありがとうございます!」
頭を下げながら、頬が熱くなるのが分かった。
顔を上げたとき、王妃の目がこちらを見ていた。穏やかな微笑みはそのままだ。ただ、目だけが少しも動いていなかった。
(──?)
なーんか変だ。
「サラ、案内をお願いね」
「かしこまりました」
王妃はもう、庭園の花に目を向けていた。
辞去して東屋を出ると、庭園の向こうから一人の女性が歩いてきた。侍女を数人従えた、透き通るような白い肌の女性だ。金髪が夕日に映えている。だが、その表情はどこか物憂げだった。
道を譲り、頭を下げる。
すれ違う瞬間だった。
視線を感じて顔を上げると、その人がこちらを見ていた。彼女は何か言いたげに唇がわずかに開く。
「──妃殿下」
彼女の侍女の一人がやんわりと促すと、女性は小さく息を吐いてそのまま歩き去っていった。
「王太子妃のソフィア妃殿下ですよ」
サラが背後から静かに告げてきた。
(ソフィア妃殿下……たしか数年前、北の国から輿入れされた方よね……)
振り返るとその後ろ姿はもう遠かった。侍女たちに囲まれて庭園の奥へ消えていく。王太子妃ともなれば何不自由ない生活のはずなのに、あの憂いを帯びた表情は一体何なのだろうか。
(何か、言おうとされていた……よね?)
不思議な雰囲気の方だ。
◇ ◇ ◇
屋敷に戻ると、父が心配そうな顔をして玄関で待っていた。もしかして、ずっと待っていたのだろうか。宮廷の仕事は放っておいていいのか。呆れるのを通り越して少し心配になってくる。
「どうだった? 失礼はなかったか?」
「とても親切にしていただきました。王宮図書館の利用許可もいただけることになりました」
「それは……良かった」
父は、心の底からほっとしたような顔だ。
(どれだけ心配だったのよ)
意外に心配性なのか。それとも、よほど信用されていないのか。ちょっと複雑な気分だ。
その夜、書庫でラウルに報告した。
「王宮図書館か。それなら、古代の資料もあるだろうな」
「ええ。楽しみだわ」
でもね、と身を乗り出した。
「王太子妃殿下のことが気になるの。何か不安そうで」
「ふーん」
ラウルは興味なさげだ。彼にはあまりに遠い世界の人なのか。
「ま、王太子妃という立場なりの悩みもあるんだろ」
いかにも適当な返答だ。彼女のあの表情を見た身としては少々カチンとくる。
こちらの気持ちにまったく気づいていないラウルは、腕を組むと短く息を吐いた。
それきり、その話は終わった。




