第15話 蜘蛛の回収者
燭台の灯りを頼りに、一段ずつ慎重に下りていく。靴音が硬い石に反響し、その余韻が闇の奥へと吸い込まれていく。
石段も通路の壁も、屋敷そのものより遥かに古い時代のもののようだ。宝物庫と同じで、肌を刺すようなひんやりとした空気が地下特有の匂いと共に身体を包み込む。
「思ったより長い通路ね」
屋敷の地下にこんな通路があるとは。通路は狭く、曲がりくねっている。初代はなぜこんな通路を作ったのか。地下室の一つや二つ、貴族の屋敷では珍しくもないが、それにしてもこの通路は変わっている。
狭さもあってか、息が詰まりそうになる。
通路を進むと、壁に小さな穴が開いているのが見えた。そこにはまっていたであろう石が飛び出すように放置されている。
「あれは何だ?」
横からラウルが顔を出し、光を当てた。
「石が、飛び出ている……?」
これは、おそらく宝物庫ではないか。昨日、子爵と一緒に押した石に違いない。
「ラウル。多分、その向こう側が宝物庫よ」
「宝物庫か。ということは、これが昨日言ってた穴なんだな?」
「ええ、そうだと思う」
大きさの問題はあれど、精霊とやらは宝物庫からこの穴を通って通路へ逃げた、と考えることができる。
穴を横目にさらに奥へ踏み入ると、湿った空気とともに、遠くからせせらぎのような音が響いてきた。
「水の音……?」
マチルダが不思議そうに首をかしげる。
「地下水路に繋がってるんじゃないんでしょうか。王都は地下水路が張り巡らされてますから」
ラウルが答えた。
たしかに、そう考えるのが自然だ。
「それなら、王都中どこにでも移動できるわね」
ラウルもうなずいた。逃走経路としても、侵入経路としても申し分ない。
やがて、通路の突き当たりに差しかかったその時──
「あっ……!」
誰からともなく息を呑む音が漏れた。
光の届く先に、小さな影がうずくまっていたのだ。
大きさは猫ほどだろうか。六本の細い脚を持ち、前脚で何かを大切そうに抱え込んだまま、壁際で彫像のように静止している。
「ひっ……これが……精霊の正体?」
マチルダが震える声を漏らした。だが、その蜘蛛が抱え込んでいるものの輝きに気づき、弾かれたように声をあげる。
「あっ! あれです!」
彼女の指差す先──前脚の間で守られていたのは、銀色に鈍く光る、まさに懐中時計のような見た目のものだった。これが『星詠みの懐中時計』なのか。
耳を澄ますと、蜘蛛から微かに「ピッ、ピッ」という規則正しい音が聞こえる。まるで時を刻むように一定の間隔で響いていた。
「これは……ゴーレムなのか?」
ラウルが灯りを近づけると、蜘蛛はその姿をあらわにした。その表面は金属のように硬質な感じだが、陶器のような艷やかさも放っている。
(不思議な材質ね……)
これと似たような材質を見たことがある。研究所の鉄巨人だ。あれも不思議な手触りだった。
ラウルがそっと手を蜘蛛の表面に近づけ、目を閉じる。
「魔法の反応はないな。普通の魔法生物じゃないな。つまりゴーレムのようで、ゴーレムじゃ、ない……?」
魔法生物の類ではないのか。ならば、この目の前のものはいったい何だというのだろうか。考えこむラウルを放っておいて辺りを調べてみると、突き当たりの脇に小さな穴があるのを見つけた。
「たぶん、ここから入り込んだのね。この穴から地下水路に繋がっているのかしら」
再び視線を蜘蛛ゴーレムに戻すと、ラウルは蜘蛛が放つ音に耳を傾けていた。
「これが泣き声の正体なのかな? この『ピッピッ』という音が、壁や天井に反響して泣き声に聞こえたのか、それとも本当に〝泣いていた〟のかも」
石づくりの通路だ。それに屋敷の地下に張り巡らされている。今は微かに聞こえる程度だが、これがもし大きな音だったとすると、その反響音が屋敷全体に聞こえてもおかしくない。
「以前から時々『コトッ』という音がしていたのでしょう? きっと様子を見に来ていたのよ。そして『星詠みの懐中時計』を見つけて回収した後、ここで力尽きてしまった……とか?」
ラウルが感心したような表情を浮かべた。
「なるほど、それなら辻褄が合うな。でも一体何のために?」
「分からないけれど……」
そうつぶやきながら、恐る恐る蜘蛛ゴーレムの甲羅のような背中に手を伸ばした。指先に触れた感触はやはり鉄巨人とまったく同じだった。金属のようでもあり、陶器のようでもある、不思議な温かみのある材質だ。
その瞬間だった。脳内にあの鮮明な声が響いた。
《補助ユニット……回収完了……》
《警告……動作エラー発生……》
《予備ユニット……起動…処……理…………確》
(補助ユニット? 回収? 何を? 予備ユニットって何のこと? 起動?)
声はそこでぷつりと途切れた。同時に、「ピッ、ピッ」という音も完全に止まってしまった。
声が消えた瞬間、糸が切れたような虚脱感に襲われ、軽くめまいがしてよろめいた。
「エミリア! 大丈夫か?」
とっさにラウルが身体を支えてくれた。マチルダも不安げな顔をして駆け寄ってきた。
「ええ、大丈夫。この子が……最後のメッセージを送ったのよ」
なんでこんなことをつぶやいたのか。
「メッセージ?」
ラウルとマチルダは怪訝そうに顔を見合わせる。声は自分にしか届いていないのだ。
動かなくなった蜘蛛ゴーレムの前脚から、そっと『星詠みの懐中時計』を抜き取った。抵抗はなく、すんなりとその脚から離れた。
「でも、見つかって良かったわ」
手の中に戻った時計をじっと見つめた。
「こうして見ると本当に、時計のようで時計ではないのね。まるで、古い魔導書に描かれている『力の宝珠』をそのまま機械仕掛けにしたみたい……」
マチルダが言っていたとおり、文字盤にあたる部分には夜空の星座のような光の粒子が輝いている。それはまるで広大な星空の地図のようだった。
ラウルも手元を覗き込んできた。
「ああ。普通の魔導具のように魔力の流れを感じないな。だが、微弱なエネルギーが内部で循環しているのはたしかだ。これ自体が、一つの完結したものになっているのかな……」
時計を受け取ったマチルダが、愛おしそうにそれを撫でた。
「そうなんです。これは、何に使うか分からないものなのです。きっと、時計に似ているから、いつからかそう呼ばれるようになったのでしょうね」
でも、見つかってよかった。おそらくだが泣き声の正体も掴めた。もう、屋敷の者が恐れることはなくなるだろう。だが、胸中に新たな疑問が湧き上がる。
(真の名も、真の用途も忘れられた古代の遺物……鉄巨人のことといい、聖石のことといい、私の周りで起きている、古代の遺物の不思議な現象……偶然にしては出来過ぎているわ……)
「この小さなゴーレムも王立研究所で調べてもらった方がいいでしょうね」
古代遺物の研究や調査は王立研究所の管轄、やはり専門家に調べてもらうのが確実だ。
「そうですね。もし古代の遺物だとしたら、専門家に見てもらうのが一番でしょうね」
マチルダも深くうなずいた。
というわけで、翌日研究所に連絡することにした。
動かなくなったゴーレムを慎重に抱え上げて地上へ戻った。子爵を起こして事情を説明すると、彼は目を丸くしていたが、書斎で保管することを提案した。
子爵は念のためと部屋に鍵をかけてくれた。ひとまずこれで解決だ。
翌朝、マチルダの慌てた声で目が覚めた。
「エミリア様! ゴーレムが……いなくなってます!」
眠気も吹き飛び、書斎へ駆けつけると、机の上に置いたはずのゴーレムは忽然と姿を消していた。
子爵が困惑した表情で首をかしげる。
「朝、私がここへ来ると、扉が開いていたのです。鍵はこのとおり、私がずっと持ってました。……たしかに鍵をかけて、この部屋に置いたのに」
扉を詳しく調べると、鍵穴の周りに微細だが鋭い傷跡が無数についているのを見つけた。
「この傷……まるで何かで引っ掻いたような感じよ」
ラウルも鍵穴を覗き込み、眉をひそめる。
「たしかに細かい傷がある……でも、一体どうやって?」
「鍵を壊して開けたわけでもないし……」
マチルダも困惑を隠せない。密室から、鍵を開けて出ていったというのか。脳裏にゴーレムの不思議な感触が蘇る。硬質でありながらどこか流動的なあの材質。
「もしかして……あの子の脚が、鍵の形に……?」
そんなことあるわけない。バカな考えだ。横でラウルも眉を寄せている。
「まさか、そんなことが可能なのか?」
「……そうよね」
(でも、他に説明がつかない……あの不思議な材質なら、もしかして形を変えることができるかも? でも、そんなことってある?)
「まるで、誰かが迎えに来たみたいですね」
マチルダが不安そうに窓の外へ目を向けた。
「いえ……きっと、自分で帰って行ったのよ。〝家〟に……」
なぜかそんなことを思った。
結局、ゴーレムがどこへ消えたのか、その行方は謎のままとなった。
◇ ◇ ◇
数日後、マチルダから手紙が届いた。
あれ以来、夜な夜な響いていた奇妙な音はぴたりと止み、屋敷には平穏が戻ったという。
子爵はさすがに、また家宝を盗られるわけにはいかないと、宝物庫の壁を漆喰で厳重に塗り固めたらしい。だが、手紙にはこうも記されていた。
『あのゴーレムが精霊だったのかは分かりませんが、父は「血脈の弱い我が子爵家が没落もせずに長く家門を保てたのはやはり精霊のおかげだ。またいつか来てくれるかもしれない」と言って、隠し通路にあった小さな穴だけはそのままにしておくそうです』
あの子爵らしい実に粋な心意気だ。読み終えた時、口元に思わず笑みがこぼれた。だが、やっぱり不思議な出来事だった。
(でも結局、あの蜘蛛ゴーレムって何だったのかな。なんで盗ろうとしたのかしら。不思議よね……)
だが、蜘蛛ゴーレムはもういないし、これ以上調べようもない。どこからやって来てどこへ去ったのか。考えれば考えるほど分からなくなった。




