第16話 王妃との茶会
マチルダの屋敷での『幽霊騒動』が解決し、穏やかな日常が戻ってきた侯爵家に、思いもよらない知らせが舞い込んだ。
「お嬢様、大変です!」
アンナが興奮した様子でエミリアの寝室に飛び込んできた。その手には、上質な紙に美しい筆跡で書かれた手紙が握りしめられている。
「王妃殿下からお手紙が届いております!」
エミリアは驚きのあまりベッドから跳ね起きた。王妃殿下から? 一体何の用件だろうか?
急いで封を切り、手紙に目を通す。それは茶会への招待状だった。来週、王宮の庭園でお茶でもいかがでしょうか、という丁寧な言葉が綴られている。
「王妃殿下が……私を?」
朝食の席でこの件を報告すると、ベルナードはカチャンと音を立ててフォークを落とした。
「王妃殿下直々のお招きとは……!」
ベルナードは慌てて立ち上がり、部屋の中を落ち着きなく歩き回り始めた。顎に手を当て、何かブツブツとつぶやいている。
やがて足を止め、エミリアに向き直った。その表情は、いつになく真剣そのものだ。
「エミリア、くれぐれも失礼のないように。言葉遣い、所作、すべてに気をつけろ。家門の名誉がかかっているのだぞ。いかん、ドレスを新調しなくては。いや、間に合わないか」
エミリアは父の狼狽ぶりを見て複雑な気持ちになった。
(お父様ったら、そんなに慌てて……普段あんなに落ち着いているのに。まったく……)
いつもの威厳ある侯爵の顔とは似ても似つかない、右往左往する父親の姿。それはなんだか新鮮で、少しばかり可笑しくもあった。これまで自分に見せたことのない一面だ。
「承知しております、お父様」
エミリアは苦笑いを浮かべながら答えることしかできなかった。
ディアーヌも、さすがに心配になったようだ。
「お召し物は本当に大丈夫? 髪型も整えて……」
「大丈夫よ、お母様。アンナが準備してくれるわ」
普段、父と妹の会話には無関心を装うクロードも、珍しく口を開いた。
「王妃殿下がなぜおまえを? 何か心当たりはあるのか?」
「さあ……デビューパーティーでお声をかけていただいたくらいしか」
あいかわらず探るような聞き方、ほんと嫌になる──エミリアは適当に言葉を返した。
その後、書庫でラウルに事情を話すと、彼もまた心配そうに眉をひそめた。
「一人で王宮に行くなんて大丈夫なのか? あそこは政治の渦巻く場所だぞ」
その真剣すぎる懸念に、エミリアは思わず吹き出した。
「何言ってるの、大げさね。大丈夫よ。お茶会だもの、そんなに堅苦しいものじゃないでしょう」
──王妃殿下がなぜ私を? エミリア自身は素直に驚いていた。だが、王宮の奥など幼い頃に行ったきりだ。不安よりも、また訪れることができるという興味の方が勝っていた。
当日、エミリアは丁寧に身支度を整えて王宮へ向かった。アンナが選んでくれた上品な薄紫のドレスに、控えめだが品のある装身具。鏡で見ると、デビューパーティーの時とはまた違う、落ち着いた上流貴族の令嬢の装いだった。
「きっと素敵なひと時になりますよ」
アンナが嬉しそうに見送ってくれた。
王宮の庭園はエミリアが想像していた以上に美しかった。色とりどりのダリア、可憐なコクリコ、香り高いラベンダーが咲き誇り、小鳥たちが美しい声で囀っている。
その奥にある白い東屋で王妃殿下が待っていた。護衛の騎士たちは遠くに控えさせ、くつろいだ様子で庭園を眺めている。
「エミリアさん、ようこそいらしてくださいました」
王妃はエミリアに気づくと温かな微笑みを浮かべた。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
エミリアは丁寧にお辞儀をした。
王妃の傍らには物静かな佇まいの侍女が一人控えていた。知的な雰囲気を漂わせる若い女性で、静かにお茶の準備を進めていた。
「こちらはサラ。私に仕えてくれているのですけれど、この子もなかなか勉強熱心なのですよ」
サラという侍女は、はにかむように微笑みながらエミリアに丁寧にお辞儀をした。エミリアも会釈を返す。感じが良い子ね──エミリアはサラの佇まいに、どこか親近感を覚えた。
美しい陶器のティーセットに注がれた紅茶は、花の香りがほのかに漂う上品な味だった。色とりどりの小菓子も、宮廷料理人の技が光る逸品ばかりだ。
「デビューパーティーでのご対応、とても印象的でした」
王妃は紅茶を一口含み、穏やかに微笑んだ。
「ある方から、貴女が勉学の方にも大変力を入れられていると聞きましたわ。サラもよく書庫に通っているようですけれど」
王妃から学問の話を振られ、エミリアの目が輝いた。
「はい! 魔法理論や古代史に興味があるのです」
魔法の仕組みへの疑問、古代文明への憧れ、失われた技術への好奇心──エミリアは堰を切ったように、夢中になって語り始めた。
王妃は深くうなずきながら聞いていた。サラも興味深そうに耳を傾けている。
「──ですが、古代に関する資料はあまりにも少なく、真実を知ろうにも、伝説や神話の壁に突き当たってしまうのです」
エミリアの声には、純粋な探求への渇望が滲んでいた。
「それでしたら、王宮図書館へ出入りできるように、わたくしから取りはからっておきましょう」
「え…?」エミリアは驚いて顔を上げた。
「王宮図書館は王室の許可がなければ入れませんが、貴女でしたらきっと有意義にお使いになるでしょう」
「ありがとうございます! 本当に……こんなに嬉しいことはありません」
予期せぬ申し出に、エミリアの顔が綻んだ。
茶会は和やかに続いた。王妃は終始微笑みを絶やさず、エミリアの話に優しく耳を傾けた。血脈や家格といった重苦しい話は一切なく、純粋に学問や知識について語り合える贅沢な時間だった。
やがて夕日が庭園を染め始め、エミリアは辞去することになった。
「本日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ楽しいひと時でした。また王宮でお会いしましょう」
(嬉しい……また、呼んでもらえるといいな)
こんな贅沢な時間なら、またお呼ばれしたいな──エミリアの心は弾んでいた。
東屋を出ると、庭園の向こうを一人の女性が歩いているのが見えた。侍女を引き連れた美しい女性で、透き通るような白い肌と金髪が夕日に映えている。しかしその表情は物憂げで、何か深い不安を抱えているように見えた。
「王太子妃のソフィアさんよ」
エミリアが視線を向けていることに気づいたのか、王妃が教えてくれた。
(たしか数年前、北の方の王国から輿入れされたよね?)
エミリアはソフィアの表情に、何か引っかかるものを感じた。
(なぜかとても不安そうな顔をされている……何かあったのかしら?)
王太子妃ともなれば何不自由ない生活のはずなのに、あの憂いを帯びた表情は一体何を物語っているのだろうか。
帰りの馬車の中で、エミリアは茶会での王妃の温かな眼差しや、サラの知的な雰囲気を思い返していた。だが、それ以上に王太子妃の表情が心に残っていた。
屋敷に戻るとベルナードが心配そうに玄関で待っていた。もしかしてずっと屋敷にいたのだろうか? 宮廷での仕事は放っておいてよいのか──? エミリアは呆れるのを通り越して少し心配になってしまった。
「どうだった? 失礼はなかったか?」
「とても親切にしていただきました。王宮図書館の利用許可もいただけることになりました」
「それは……良かった。王妃殿下にお気に入りいただけたようだな」
ベルナードは心の底からほっとした表情を見せた。
その夜、書庫でラウルに報告すると、彼もまた安堵の表情を浮かべた。
「何もなくて良かった。それに王宮図書館なら、きっと古代に関する貴重な資料があるはずだな」
「ええ、楽しみだわ」
エミリアは窓の外に広がる星空を見つめた。
「でも……王太子妃殿下の様子がとても気になったの。何か不安そうで」
「王太子妃殿下が?」
「ええ。まるで何かに怯えているような表情だったわ」
「王太子妃という立場なりの悩みもあるんだろうな」
ラウルは腕を組み、短く息を吐いた。
とはいえ、大きな収穫だった。王宮図書館への道が開けたのだ。何か手がかりがあるといいな──エミリアの胸は期待に高鳴っていた。




