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「ノースキル」の烙印を押された侯爵令嬢、実は世界の管理者(アドミニストレーター)でした  作者: 柊ユキヤ
覚醒編

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第2話 未知の力

 あの不思議な声を聞いた日の夜から、エミリアは体調を崩して寝込んでしまった。

 頭の奥で何かが書き換えられるような鈍い痛み。体は鉛のように重く、熱に浮かされていた。夢にはあの白銀の光景がちらつき、水滴の音が規則正しく響いていた。


《管……情…………更……》


 何か声のようなものが聞こえるが、はっきりとは分からない。ただ、内側に触れられ、隅々まで探られているような不気味な感覚だった。


 結局丸二日起き上がれず、三日目の朝にようやくベッドから這い出した。


「お嬢様! 大丈夫ですか? 心配しましたよ。もう、あまり無理をなさらないでください」


 控えていたアンナが慌てて駆け寄ってきた。


「ありがとう、アンナ。大丈夫……ちょっと疲れが溜まっただけだから」


 口ではそう言いながらも、まだ頭の奥にじんじんと残る違和感を隠しきれない。


 ──木剣が光った。木人形が真っ二つに割れた。《管理者第1次認証──成功》という謎の声。


 隊長は『木人形が古くなっていた』と言った。でも、とてもそうは思えない。では、あの光と熱は、いったい──


(あれは……本当に何だったの?)


 答えの出ない問いが頭の中をぐるぐると回っていた。


「では、温かいスープをお持ちしますね」


 まもなく運ばれてきたスープは野菜がよく煮込まれ、柔らかな香りが立ちのぼっていた。スプーンを口に運ぶと、からっぽだった胃がじんわりと満たされ、体の芯にようやく力が戻った気がした。


 人心地ついたエミリアに、アンナが珍しく荒い語気で訴えかけてきた。


「お嬢様、聞いてください! クロード様ったら酷いんですよ。『血脈もないのに無理するからだ』なんて……!」


 憤慨する彼女に、エミリアは苦笑してスプーンを揺らす。


「お兄様の嫌味なんて、今に始まったことじゃないでしょ」

「でも……こんな時くらい労ってくださってもいいではありませんか!」


 アンナの顔は真剣だった。庶民の出である彼女が、血脈という貴族の価値観に心底納得していないのがよく分かる。そんな彼女を見ていると、不思議と胸の奥が温かくなった。


「ありがとう。スープもおいしかったわ。──着替えるわ。講義に行かなきゃ」

「えっ……!? もうしばらく安静にされたほうが……」

「大丈夫よ」


 アンナは諦めたようにため息をついた。


「……承知しました。でも、本当に無理はなさらないでくださいね」


 エミリアが着替えを終え、部屋を出ようとしたときだった。扉が勢いよく開かれ、ラウルが飛び込んできた。


「エミリア!」

「もう、ラウルさん! ノックもせずに失礼ですよ!」


 アンナが目をつり上げると、ラウルはあわてて頭を下げた。


「ああっ、すみません……さっきアンナさんに、エミリアが起きたって聞いて……心配したぞ……」

「ありがと、ラウル。もう大丈夫よ」

「で、なんで着替えてるんだ? まだ寝てた方がいいんじゃないか? 親父に今日の講義は中止って言っとくから」


 気を遣うラウルに、エミリアは首を振った。


「ううん、講義を受けたいの」

「……ほんとに……無理するなよ」


 ラウルは心配そうな表情を浮かべたが、エミリアの胸の奥では焦燥感が渦を巻いていた。


 ──あの声はいったい何だったのか。脳裏に入り込んできた『管理者』という言葉。誰も知らない秘密を、自分だけが聞いたような感覚。

 だからこそ講義を受けたい。学べば何か手掛かりが見つかるかもしれない。その思いが、彼女を立ち上がらせていた。




 学習室は書庫の隣にあり、窓からは庭の木立が見える静かな場所だ。机の上には魔法理論書や古い魔法陣の写本が山と積まれている。


「お身体の具合はよろしいのですか? エミリア様」


 ゆったりとした口調で迎えてくれたのは、彼女の師──家庭教師のオルフェン先生だ。穏やかな人柄だが厳しく口うるさい面もあり、眼鏡の奥の瞳は鋭い光を秘めている。十年前から侯爵家に仕え、エミリアに学問を教えている人物だった。


「先生、少しお尋ねしてもいいですか」

「どうぞ」


 エミリアは剣の稽古の最中に聞こえた〝声〟について、言葉を選びながら説明した。脳裏に浮かぶ白銀の景色、水滴のような音、そして意味を持った謎の響き──『管理者第1次認証』。


 オルフェンは眉間に皺を寄せ、しばし考え込む。


「……不思議なお話ですね。ですが正直に申し上げれば、血脈を持たぬ者がそのような現象に触れるとは考えにくい」


 その言葉に胸の奥がひどく重く沈んだ。分かっていても、やはり期待してしまっていた自分に気づかされる。


 だが、オルフェンは続けた。


「とはいえ、これはあくまで私の学者としての見解です。私見ですが、本当にそうなのかと問われれば……誰も答えられません。この世はまだ、我々の知らぬ理で満ちているのです」


 意外な言葉にエミリアは顔を上げた。


「例えば隣国では、精霊と対話できる者がいると伝えられています。もしそれが真実なら、人が扱う〝力〟の幅は、血脈の有無だけで測れるものではないでしょう。それは奇跡……いや、そう呼ぶのは学者としては稚拙ですね。むしろ、未知の理が働いていると考えるべきかもしれません」


 その声音には、学問への真摯な姿勢と、固定観念にとらわれない柔軟な思考が感じられた。


「未知の理……」


 その言葉は、胸の奥で小さな炎のように灯った。血脈という既存の枠組みを超えた、もっと広大な可能性の世界。もしかすると、自分に起きている現象も、まだ誰も知らない新しい〝力〟の表れなのかもしれない。


「では、始めましょう」


 促され、エミリアは慌てて本を開いた。



   ◇ ◇ ◇



 翌日、エミリアは、友人であるクラウディアの屋敷へ向かう馬車に揺られていた。先日彼女から、相談がある、との手紙をもらっていたのだ。


 クラウディアはイベール伯爵家の令嬢で、エミリアより二つ年上。幼いころから顔を合わせてきた、数少ない気心の知れた相手だ。


(相談って、何なのかな?)


 クラウディアの、おっとりしていて明るい普段のイメージからは、あまり想像ができない。


 イベール伯爵邸は町はずれの緩やかな丘にある。市場を通り抜けたら早いのだが、アンナが、最近市場の治安が悪化していて危険だと心配するので、市場を迂回し、静かな裏道を抜けて屋敷へ向かった。

 門をくぐると、目の前には緑の芝生が眩しく輝いていた。庭園を囲む白薔薇の垣根に風が通り、甘い香りが漂ってくる。


 クラウディアは深々と頭を下げた。


「エミリア様! 本日はお越しいただき、もう本当に嬉しくて……」

「お招きいただいてありがとう、クラウディア。……ほんとに素敵なお庭ね。お手入れが行き届いているわ」

「まぁ……! ありがとうございます。お庭は父が夢中でして、わたくしはこうしてお茶を楽しむばかりなのですけれど」


 クラウディアの父──イベール伯爵の、庭づくりへのこだわりようは社交界でも有名だ。


 クラウディアはそわそわとエミリアを迎え入れると、落ち着きなくカップを持ち上げた。けれど紅茶に口をつける前に、何度もためらうように視線を落とす。


「……実は、本日お呼びしたのは、ご相談がありまして」

「相談?」


 クラウディアの声は、ほんの少し震えていた。エミリアは自然と身を乗り出す。


「その……縁談のお話が参りましたの」

「まあ、それはおめでたいことじゃない」

「ええ、そうなのですけれど……」


 クラウディアの頬がかすかに赤く染まる。嬉しさを隠そうとしても、仕草の端々から滲み出ていた。


「お相手は『知の血脈』で知られる、アルディス伯爵家の次男様なのです。学識に優れ、才気煥発で……それに、その……お顔立ちが、本当に……素晴らしくて」


 言葉を紡ぐたびに、声が甘く揺れていく。なるほど、これは相談というよりも、半ば惚気だね──エミリアは少しだけ安堵した。


「そう……素晴らしい御方なのね」


(知の血脈、ね……)


 安堵はしたものの、エミリアの心の中ではため息が漏れる。

 たしかに、知の血脈を持つ者は頭脳明晰で、政務や学問の分野で力を発揮することが多い。家柄も立派、条件としては申し分ないだろう。

 ──けれど、この次男については、別の噂を耳にしていた。


(才気煥発? それより女遊びが激しいという話の方が有名じゃない。頭が良くても節操がないのはいかがなものかしら。血脈なんて、本当に当てにならないわ)


 クラウディアは瞳を潤ませ言葉を継いだ。


「ですが……わたくしの血脈は、実はあまり強くないのです。それが気がかりで。伯爵家の娘としての務めは果たしたいのですが、彼に釣り合うかどうか……」


 揺れる瞳を見つめ、エミリアは優しく言葉をかける。


「そんな……クラウディアは真面目だし、優しいわ。それだけで十分じゃない。血脈なんて、人の価値を測る物差しにはならないわよ」

「エミリア様……ありがとうございます。でも、やはり周囲は気にするものですから」


 クラウディアの表情がわずかに陰った。


「なので、父が聖石での治療を勧めてくれまして。近々、中央教会へお伺いいたしますの」


 エミリアの手が、カップの上で止まる。


「聖石……?」

「ええ。古代の遺物だそうで、血脈を整える不思議な力があるとか。エミリア様は、ご存じでしたか?」

「いえ……初めて聞いたわ」


(聖石……古代の遺物か。そんなものがあるのね)


 血脈のない自分でも効果があるのだろうか? 効果はともかく、仕組みは興味深かった。また調べたいものが増えた──エミリアは紅茶をすすった。


「もしこれで血脈が良くなりましたら、私も自信が持てそうな気がするのです」


(血脈が強いとか弱いとかで一喜一憂するくらいなら、自分で努力すればいいのに。……まあ、私が言える立場じゃないけど)


 クラウディアは頬杖をつき、エミリアを見るでもなく、夢見るようにため息を漏らした。


「でも……本当にお美しい方なのです。まるで物語に出てくる騎士そのもの!」

「ふふ、クラウディアって面食いだったのね」

「ええっ!? ち、違いますわ! わたくし、決して顔だけで……その……才もあって……」


 耳まで真っ赤になって慌てる姿が可愛らしくて、エミリアは思わず笑みをこぼした。


「まあ、幸せそうだから、それでいいんじゃない? 顔が良くて喜べるなら、それも立派な才能よ」

「も、もう! エミリア様ったら、からかいすぎですわ」


 クラウディアはぷくっと頬をふくらませ、紅茶を一口。けれど口元はどうしても緩んでいた。


 その後は、流行りのファッションや劇団といった、他愛のない話で盛り上がった。友人との楽しく和やかな時間──それでも、エミリアの心の奥は冷ややかだった。


「エミリア様、本日はありがとうございました」

「こちらこそ、楽しかったわ」

「あの……またお茶会にいらしてくださいますか?」

「もちろんよ。クラウディア、お幸せにね」


 ──血脈に振り回されても『幸福』なのだろうか。頬を染めお辞儀する友人を見て、ついそんなことを思ってしまい、心の中で彼女に謝った。


(ごめんね、クラウディア。でも、幸せになってもらいたいのは本心よ)


 噴水の飛沫が陽を裂き、ひときわ白く閃いた。白銀の部屋の、あの鈍い光が一瞬だけ重なったように見えた。


 エミリアは白薔薇に背を向け、馬車へ乗り込んだ。


 馬車に乗ると、ふと、市場が危険だというアンナの言葉を思い出した。どうにも気になる。御者に、帰りは市場を通るようお願いした。

 御者は最初渋ったが、エミリアの必死の頼みに渋々と馬車を走らせた。


 市場は治安の悪化を感じさせない人混みで、馬車は速度を落として通り抜ける──その時だった。


 青年がガラの悪い男たちに囲まれていた。一人が青年の胸ぐらを掴んでいた。エミリアの胸の奥で熱が膨れ上がった。


「止めて!」


 思わず叫んだ──その瞬間。


《権限エラー──認証レベル不足。外的トリガー未検出》


(あの声……!)


 脳内に、無機質な声が響いた。熱が急速に冷めていく。御者が「お嬢様、危険です!」と馬車の速度を上げた。


 青年の姿が遠ざかっていく。


 エミリアは拳を握りしめた。助けたかった。でも、何もできなかった──無力感が胸を締め付ける。


 だが、またあの声だ。


(いったい、何なのかしら。私、どうかしちゃったのかな? 権限って何?)




 屋敷に戻ると、部屋でアンナが待っていた。


「お嬢様。明後日の、ミシェル様の『生命図譜の儀』に着ていくお召し物はこちらでよろしいですか?」


 そうだった──行くとは言ったものの、実のところあまり気乗りしていなかった。ビリビリに破られた羊皮紙の切れ端──幼い頃の記憶が蘇る。


「ええ、それでいいわ……」


 エミリアは気のない返事をした。その時、部屋の鏡に映った自分の姿──その瞳が、一瞬だけ白銀に光った気がした。


「お嬢様?」アンナが不思議そうに覗き込む。


「……何でもないわ」


 鏡を見る。そこに映るのは、普段と変わらない自分の瞳。


(気のせい……?)


 その夜、エミリアは再びあの白銀の部屋の夢を見た。だが、今夜はいつもと違った。光の文様の奥に、何か別の図形がうっすらと見える。


 そして、冷たい声が響いた。


《進捗確認……管理者第2次認証──待機中》


 エミリアは飛び起きた。冷や汗が背中を濡らし、心臓が激しく打っている。


 進捗確認? 何を待機しているのか──エミリアは胸に手を当て、長い息を吐いた。

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