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【第2部開始】「ノースキル」の烙印を押された侯爵令嬢、実は世界の管理者(アドミニストレーター)でした  作者: 柊ユキヤ
覚醒編

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<閑話4> 噂の令嬢

「紅茶が冷めてしまったわ。新しく持ってきてちょうだい」


 王妃は不機嫌そうに侍女に命じた。

 客人が追い返されるように部屋を後にするのを横目に入室した侍女は、王妃の普段の穏やかな様子からは信じられないほど硬質な口調に驚き、慌てて替えを取りに行った。足音が静かな廊下に響く。


 王妃はソファーに深く背を委ねると、大きなため息をついた。額に手を当て、目を閉じる。


 客人は──アルディス伯爵だった。「愚息が侯爵家の令嬢の不興を買ってしまった。お恥ずかしい話だが、取り成しをお願いできないか」と、聞いていて本当に呆れる話で、そっけなく追い返したのだった。

 ──いくら個人的に親しい間柄とはいえ、息子の失態の尻ぬぐいを王妃に頼むとは。王妃という立場を何だと思っているのか。


「知の血脈が台無しね」


 誰もいない応接室にもかかわらず、王妃は誰にも聞こえないよう、小さくつぶやいた。


 とはいえ、アルディスの焦りも分からなくもない。王都の社交界は意外に狭い。噂はすぐに広まり、尾ひれもつく。おおかた「侯爵の不興を買った」と思われ、他家から距離を置かれたのだろう。


 アルディスは法服貴族であり、領地を持たない彼にとって王都の社交界での失態は致命的だ。社交界での評判がそのまま官僚としての評価に直結する。一度失った信用を取り戻すのは容易ではない。

 たしかに、このような醜聞、王には話せない。困り果てて、自分の所へやってきたのだった。王妃という立場を利用されたようで、不愉快ではあったが。


(ほんと、血脈なんて当てにならないわ)


 そもそも縁談を進めているなら、立ち居振る舞いには目を光らせておくべきなのだ。知の血脈を活かした文官としての働きぶりが評価され、伯爵にまでなったほどの人物が肝心なことを怠るとは──息子の教育を疎かにしていたのか、それとも息子自身に問題があったのか。王妃は再びため息をついた。


 まあ、テルネーゼ卿の性格を考えると、一言口添えするだけで収まる話だろう。あの実直な元騎士は、そういった類の話はあまり気にしない人物だ。むしろ、社交界の些細な諍いなど、剣の世界に生きてきた彼にとっては取るに足らないことかもしれない。そもそも、この噂自体知らないかもしれない。侯爵家の令嬢が気にしていなければ、父親の耳には入っていない可能性もある。


「お待たせいたしました……」


 侍女が恐る恐る入ってきた。銀のトレイを持つ手がわずかに震えていた。


「あぁ、ごめんなさいね」


 先ほどの態度を申し訳なく思い、努めて優しく謝ると、侍女は恐縮しながら紅茶を注いだ。湯気が立ち上り、芳醇な香りが部屋に広がる。王妃はそれを深く吸い込み、少しずつ心を落ち着けた。


「面白い子がいる」──そう聞いていた。

 彼女がデビューすることになり、デビュタントでは注目していたのだが、テラスでの彼女の理知的な振る舞いには感心した。血脈の偏見からの悪意を鮮やかに封じた言動。相手は同じく侯爵家の令嬢だったようだが、格が違った。

 思わず「また会いたい」とは言ったが、近いうちに、本当に王宮へ招待することになりそうだ。


 それにしても、彼女がテルネーゼ卿の娘だったとは──


(だとしたら、変ね……)


 王妃はひとつ、わずかな疑問が浮かんだ。


 彼女は『二つ持ち』と評判だ。だが、そもそも──いや、それは彼女の本質とは関係ないと、すぐにその考えを打ち消した。血脈など、結局は飾りに過ぎない。大切なのは、その人自身の資質だ。


 王妃は、動揺した表情で控えている侍女に話しかけた。


「近々あなたに会わせたい方がいるの」

「……左様でございますか?」

「ええ、あなたと気が合うと思いますよ」


 先ほどまで珍しく不機嫌だった王妃は、今はいつものように穏やかな笑みを浮かべ、紅茶をすすっている。侍女は少々困惑しながらも茶菓子の用意を始めた。王妃の急な気分の変化に、まだ戸惑いが残っているようだった。



   ◇ ◇ ◇



「それでは、失礼いたします……」


 アルディスは応接室を出ると、大きなため息をついた。少し歩いて立ち止まり、肩を落とすと廊下の壁にもたれかかった。


 よもや、息子の失態の尻ぬぐいをするはめになるとは。それも、王妃に直接頭を下げることになろうとは。それ自体も失態だ。とはいえ、噂が広まり職務に影響が出ると、役職どころか爵位も危うくなる。領地を持たない法服貴族は役職が全てなのだ。地位を失えば、一族が路頭に迷うことになる。


 今進めている縁談もイベール伯爵家の豊富な資産による後見が期待できるからだ。先方も当家の官僚的地位が魅力なようで、おたがいに利を感じている。血脈の強い弱いは基盤が安定している家門が気にしておけば良い。吹けば飛ぶような法服貴族にとっては血脈など二の次なのだ。

 というわけで、利害の一致した理想的な縁談だった──はずだが、それが破綻しかねない。


 アルディスは頭を抱えた。息子には厳しく教育してきたつもりだった。なぜ、よりによってこのような大事な時期に。


「やあ、アルディス卿。そんな所でいかがされた?」


 アルディスが顔を上げると、廊下の向こうから日頃より良くしてもらっている侯爵──デルナム侯爵がやってきた。柔和な笑みを浮かべ、ゆったりとした足取りで近づいてくる。


「デルナム卿……いや、その……実はお恥ずかしい話なのですが」


 アルディスはデルナムに、声を潜め周囲に聞こえないよう注意しながら息子の夜会での失態を説明した。


「なるほど。まあ、テルネーゼ卿はあまり気にされる方ではないでしょう。ひとまず謝罪の手紙でも良いのでは? よければ、私からも伝えておきましょう」

「本当ですか! ありがとうございます!」


 アルディスは深々と頭を下げた。思わぬ助け舟に心から感謝する。デルナムは信心深く温厚で知られる人物だ。彼が仲介してくれるなら事態は好転するだろう。


「しかし噂には聞いておりましたが、テルネーゼ卿のご息女、そこまでの才媛だったとは」

「はい。『二つ持ち』と評判でございますね」

「たしかに。侯爵家で二つ持ち、素晴らしいですな」


 デルナムは顎に手を当て、深くうなずいた。その表情は何かを考え込んでいるようにも見えた。


「まあ、あまり気を落とされますな。しばらくすれば噂も収まるでしょう。私も皆にそう言っておきましょう。ではまた」


 デルナムは手を挙げながら立ち去った。しかし、その横顔には不敵な笑みが浮かんでいた。アルディスは気づかなかったが、デルナムの目には何か企みを含んだ光が宿っていた。

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