<閑話3> 侯爵の眠れぬ夜
深夜の書斎で、ベルナードは机に山積みされた書簡を眺めていた。どれも縁談の申し込みばかりだ。デビュタントから半月ほどで、これほどの数が舞い込むとは。
「『二つ持ち』の噂がここまで威力を発揮するとはな……」
デビュタント前から既に噂は社交界に広まっていた。市場での一件──剣から放たれた閃光が『武の血脈らしい魔法』に違いないというもっともらしい解釈で、使用人たちの口から口へ、あっという間に貴族たちの耳に届いたのだ。
重厚な革張りの椅子に身を沈め、ベルナードは琥珀色の酒を口に含んだ。申し込み状の差出人を見れば、どれも名のある家ばかりだ。
一通を手に取る。
『武の血脈との融合により、更なる発展を』
また別の一通には、
『知の血脈との組み合わせで学術の道を』
そして最も格式の高い公爵家からは、
『二つ持ち同士の結婚こそ理想』
ベルナードの口元に満足げな笑みが浮かんだ。
(これほどの引く手あまた……エミリアの価値は確実に上がっている)
しかし、その笑みはすぐに複雑な表情に変わった。
(だが……本当に『二つ持ち』なのか?)
あの聖石での不可解な現象。神官すら困惑し、法王国からはいまだに音沙汰がない。そして何より──
(あの子は、いつの間にこれほどの人脈を?)
ベルナードは最近のエミリアの変化を思い返した。王妃から直接声をかけられ、王立研究所からの正式招待を受け、貴族専用書店では、その王立研究所とつながりを持つ青年と親しくなったという。王立研究所からの招待を取り付けることができる貴族など、そうそういない。それに、エミリア個人宛の書簡も大量に届いている。
デビュー直後の令嬢がこれほど早く社交界に根を張るなど、彼でも予想していなかった。
(あの子の社交界での立ち回りを見ていると……血脈以外の価値で注目を集めている。実は予想以上に政治的才能があるのかもしれない)
十四年前の『生命図譜の儀』で解読不能の結果が出た時、ベルナードが娘を遠ざけたのは、この社会では当然の判断だった。血脈を持たない子どもに期待をかけ続けることは、本人にとっても家門にとっても不幸だというのが通念である。
(あの時の判断は正しかった。『ノースキル』として現実を受け入れさせることこそ、真の慈悲だった。それが貴族の父親として当然の配慮だ)
家門の当主として、ベルナードの判断基準は明確だった。個人的な感情よりも家の利益と存続を優先する──それがこの社会における貴族の義務である。
だが、ここにきて新たな懸念が頭をもたげていた。
(来るべき婚約時の『生命図譜の儀』のことを考えると、気が重いな……)
婚約の際には、『生命図譜の儀』により互いの血脈を確認し合う。そこでは逃れようがない。もしもあの時と同じ結果が出たら? 今度は相手方も立ち会う中で、『解読不能』の烙印を押されたら?
これだけ『二つ持ち』の噂が広がっている。当然、相手も期待する。騙されたと言われても言い訳できない。そうなると、侯爵家は完全に失墜するだろう。いや、それ以上の屈辱を味わうことになる。
ベルナードは手に持ったグラスを見つめた。
(縁談は……しばらく見送りだな)
幸い、エミリアの社交界での評価は上々だ。王妃にお声掛けいただいた──その事実だけで、『まだ花嫁修業が』『もう少し社交界を経験させてから』と言い訳しても、もったいぶっているだけと思われ、まあ許されるだろう。
(血脈の確証は得られずとも、あの子の政治的手腕は本物だ。当主として、この新たな価値を最大限活用せねばならない)
東の空がうっすらと白み始めていた。ベルナードはグラスに酒を注ぎ、深くため息をついた。
(しかし、あの子の心情を思うと、本当にこれでよいのだろうか……)
血脈によって子どもの価値を測り、家門の利益を最優先に考える──深夜の書斎で酒を傾けるベルナードの姿は、この王国では珍しくない、ごく普通の貴族の父親だった。個人の心情など、家門の前では些末な問題だった。
それでも、これまでのエミリアに対する扱いを考えると、一抹の後悔がないわけではない。国の重臣として、かくあるべしという思いが強かったのも事実だ。
しかし、今さら世間一般の父親然として振る舞ったところで、娘からより一層の冷笑を向けられるだけではないか──ベルナードの胸の内に様々な感情が湧き上がった。
今は、ただ先送りする──そんな結論しか出せないことを、むしろ正当化すらしている自分を嘲るかのように、ベルナードは酒を一気に煽った。




