第九十九話 精霊学院の寮は、朝になると部屋を一つ増やした
面談の部屋は、外から見るよりずっと狭かった。
大樹の幹をくり抜いた円い部屋に、机が一つ、その向こうに三人の大人が座っている。中央は学院長のオルディア。長い耳の先まで白髪のエルフで、机に肘をつかず、背中も椅子へ預けない。左には森の記録官、右には衛林隊の代表ナディアがいた。
窓の外では枝が風に揺れ、下の方から学生たちの声が聞こえる。普通なら授業へ急ぐ時間だ。尽たちは、その声から一枚の扉で切り離されていた。
「風間尽」
学院長が言った。
「あなたはソラヴェイン魔法学院を無断で離れ、王族襲撃の容疑を受けている。その状態で、なぜこの学院へ入りたいのですか」
答えはいくつも浮かんだ。王子の命令が不当だったこと。学院に残った人たちが心配なこと。森で見つけた木箱の番号。全部を並べれば、言い訳に聞こえる気がした。
「調べたいからです」
尽は言った。
「風見塔で見つけたものと、森の罠が同じ場所へ繋がっているかもしれません。ここで見つけた記録を、ソラヴェインへ持ち帰るために」
記録官の羽根ペンが動く。
「王子と戦ったことは認めますか」
「認めます。王子が先に術を使いました。僕は止めようとして、風を使いました」
「証明できる者は」
「僕たち四人と、学院にいるエウリス教授です」
「教授の証言は、まだ届いていません」
その言葉に、尽は目を伏せた。教授が無事かも分からない。王子の側に記録を取られ、話をさせてもらえない可能性もある。
「届くまで待ちます」
尽は顔を上げた。
「でも、待っている間に僕たちが見たことは、ここで記録します」
次はリゼッタだった。彼女は王子の命令を拒んだ理由を尋ねられ、机の上へ両手を置いた。
「記録は一人へ渡すものではないからです」
「王子であっても」
「王子なら、なおさらです」
ペペは、光の鎖について聞かれた。
「怖かったです」
彼は言った。
「だから、逃げました。でも、尽が最初に襲ったとは思っていません。あの鎖は、最初から尽を掴みに来ていました」
ユーノは机へ実習室の見取り図を広げ、窓の位置と砕けた結晶灯の位置を説明した。記録官は図を何度も見返し、最後に一つだけ尋ねる。
「あなたは、ここで学ぶ気がありますか」
「あります」
「地下保管庫だけが目的では」
ユーノは少し考えた。
「保管庫へ入るためにも、学びます」
ペペが隣で小さく噴き出し、すぐ口を押さえた。学院長の耳が一度だけ動く。怒ったのかと思ったが、オルディアは引き出しから薄緑の札を四枚取り出した。
「正直で結構です」
札には葉の紋と、短い期限が刻まれている。
「七日間の仮滞在を認めます。授業に出て、記録官の指示を待ちなさい。地下保管庫への立ち入りは許可しません。夜の鐘の後に外へ出ないこと。寮の木を傷つけないこと。食堂の果実を植木鉢へ埋めないこと」
「最後の規則、前に誰かがやったんですか」
ペペが聞いた。
「毎年、誰かがやります」
ナディアが答えた。
学院の門を出ると、セレーネが石段の下で待っていた。今日の彼女は白い外套ではなく、学院の淡緑の制服を着ている。王女というより、授業に遅れそうな学生に見えた。
「どうでしたか」
「七日間だけ、学生の真似をしてもいいらしい」
尽が札を見せる。
「真似ではありません。授業へ出るなら学生です」
セレーネは言い切った。
その直後、遠くの鐘が鳴る。
「一限に遅れます」
「王女でも?」
「王女でもです」
彼女は走り出した。尽たちも慌てて後を追う。
エルシリン高等魔法学院は、森の中に建っているというより、森が学院の形を覚えている場所だった。幹の太い木には教室の窓が並び、枝と枝を結ぶ橋の下を雲が流れる。低い石の建物もあるが、屋根には苔が生え、壁から若い蔓が伸びていた。
すれ違う学生の耳は尖っている者ばかりではない。鳥の翼を背へ畳んだ生徒、小さな角を持つ生徒、足元へ影のような小精霊を連れた生徒もいる。四人へ向く視線は多かった。手配書を知っている者がいるのか、単に見慣れない制服だからか。尽には分からない。
「寮は、あの上です」
セレーネが指した先で、大樹の中腹に丸い窓がいくつも見えた。
らせん階段を上がると、寮監のサラナが待っていた。背の低い精霊族の女性で、髪に鍵束を差している。
「仮滞在の四名ね。札を見せて」
彼女は一枚ずつ札を光へかざし、頷いた。
「部屋は空いている枝を借りる。朝、木が必要と判断すれば部屋は増える。夜、使われていない部屋は廊下へ戻る」
「家が片付けてくれるんですか」
ペペが聞いた。
「荷物は片付けてくれません」
サラナは即答した。
「壁へ釘を打たない。根へ熱湯を流さない。木の気分が悪い日に、勝手に部屋を増やそうとしない。質問は」
「木の気分が悪い日って、どう分かるんですか」
「廊下が鼻歌を歌う」
サラナの表情は真面目だった。
尽たちの部屋は四つあった。リゼッタの部屋には窓辺の棚が多く、ユーノの部屋には初めから机が二つある。ペペの部屋だけ、なぜか壁に小さな扉が一つ多かった。
「僕、得した?」
「借りた部屋は、朝までに返して」
サラナはそれだけ言って去った。
その晩、ペペは追加の小部屋へ工具を広げた。留め具、銅線、古い歯車、森へ持ち込んでよかったのか怪しい小さなばね。尽が寝る前に覗くと、ペペは床へ寝転んで満足そうだった。
「ここなら、誰にも踏まれない」
「朝までに片付けてね」
「大丈夫」
翌朝、尽は廊下でペペの悲鳴を聞いた。
「木が返してくれない」
追加の小部屋は消えていた。残ったのは、廊下の天井近くに絡まった工具箱と、そこから垂れる銅線だけだ。
通りかかった精霊学生が見上げる。
「木は、部屋を借りた人が片付けるまで覚えています」
リゼッタは工具箱を見上げた。
「契約違反ね」
「木と契約した覚えはないよ」
「規則を読まなかっただけでしょう」
ペペは、寮の案内札の裏に小さな字がびっしり書かれているのを見つけた。
一限は植物との対話術だった。
教室は半円形の温室で、天井まで伸びた枝の間へ陽が落ちている。教師のミレイアは、濃い緑の髪を後ろで束ねたエルフだった。彼女は四人の仮滞在札を見ると、余分な説明をせず小さな鉢植えを一人ずつ配った。
「葉が欲しがるものを聞きなさい。言葉で聞こえなくても、急がないこと」
セレーネの鉢は、彼女が両手を添えた途端、淡い花を咲かせた。周りの学生が当然のように頷く中、ペペの鉢だけが工具袋へ蔓を伸ばした。
「金属が好きなのかな」
「食べる気です」
ミレイアは言った。
ペペが工具袋を抱き上げると、蔓はもっと勢いよく伸びた。
「僕の物ばかり食べたがる」
「昨日、木の部屋へ歯車を広げた人ですから」
セレーネが小声で言う。
ユーノの鉢は、土が乾くたび葉を細かく震わせた。彼はすぐ水差しを取らず、震え方を紙へ書き留める。三度目の震えで、ほんの少し水をやると葉が落ち着いた。
「観察が丁寧ですね」
ミレイアが言った。
「前の学院では、術具の反応を記録していました」
「植物も同じです。違うのは、機嫌を損ねると自分で鉢を動かすこと」
尽の鉢は、何も言わなかった。
耳を澄ます。葉の音、隣の水差し、窓の外を飛ぶ鳥。ようやく土の中で、ごく小さな音がした。昨夜の雨が、根の近くにまだ残っている。水ではない。風を少し通して、土を乾かしたいのだ。
尽は掌で鉢の上に弱い風を作った。
「水はいらない」
葉が一枚だけ揺れた。
ミレイアは尽の鉢を見てから、何も言わず黒板へ小さな丸を描いた。
「聞こえない時は、答えを急がず、周りを見なさい」
リゼッタは隣で、鉢へ熱心に話しかけていた。
「光は多めに。根は早く。葉も大きく」
芽が一瞬で伸びた。天井へ届き、隣の机を越え、ミレイアの帽子を押し上げる。
「リゼッタさん」
「元気で結構でしょう」
「元気すぎます」
授業の終わりまで、リゼッタの鉢は天井に絡まったままだった。彼女が火を細く調整し、ようやく蔓を落ち着かせた時には、隣の席の学生がその蔓へ洗濯物を一枚干していた。
昼休み、食堂では木の実のパンが出た。丸いパンには小さな葉の印があり、食べる人の朝の気分で味が変わるらしい。
ペペは一口かじって、顔をしかめた。
「甘くない」
「今朝は工具を木に取られましたから」
セレーネが言う。
「だから酸っぱいんですね」
尽が食べると、少し塩味がした。リゼッタのパンは高価な菓子の味がするという。
「私の気分は上品だから」
「自分で言うんですか」
ユーノが素直に聞き、リゼッタはパンを二口食べた。
午後、記録官から呼び出された尽たちは、温室の脇を通った。地下保管庫へ続く階段の前には、太い根が扉を覆うように絡んでいる。仮滞在札を近づけても、葉の紋は薄く光るだけで扉は動かない。
「七日間は、ここまでです」
セレーネが言う。
「記録官が谷の木箱と紙片を照合するまで、私たちは授業と報告書の手伝いをします」
尽は頷き、扉から離れようとした。
その時、根元の石に刻まれた小さな印が目に入った。
三本の波線。
谷の木箱にあった商印と同じだった。
尽は足を止めた。
「記録官へ報告します」
セレーネは根へ触れず、すぐ頷いた。
「今日は、それだけです。証拠を増やすために、扉へ近づかないで」
帰り道、ペペの工具箱はまだ木の上にあった。
箱の下には、新しい紙が一枚吊るされている。
〈返却期限を過ぎました。枝先まで取りに来てください〉




