第八十三話 待ち伏せは、見つからない場所より帰れる場所でやる
西門の外へ続く旧街道は、昼を少し過ぎると荷馬車で混み合った。
塩を積んだ小さな荷車。白羽邦から届いた羽布。南の集落で採れた乾燥果実。荷の種類はばらばらでも、皆、西側の市場か宿場町へ向かう。
その道の脇にある検問小屋へ、二つの木箱が運び込まれていた。
尽たちが作った風晶検査箱だ。
サイラス教授は、西門の衛士長と短い話をした後、四人を振り返った。
「お前たちが直接、荷を止めるな。検査が必要だと分かったら、まず衛士に知らせる。勝手に箱を開けるな。追うな。走るな」
「最後の二つは、私に言っているのね」とリゼッタ。
「全員に言っている」
「私は今日、とても落ち着いているわ」
彼女の背中には、前日よりさらに大きな鞄があった。
尽は目を細めた。
「何が入っているんですか」
「水筒と軽食と、予備の縄」
「落ち着いている人が、予備の縄を持ちますか?」
「万が一、誰かを助ける時に必要でしょう」
「誰かを縛る時ではなく?」
「尽」
ペペが笑いをこぼし、ユーノは検査箱の蓋を開けた。
箱の中には鏡板と、小さな風路がある。荷の風晶を一枚入れ、一定の風を通せば、魔力が自然に流れているか、途中で無理に引き抜かれた跡があるかを光の揺れで見分けられる。
昨夜、教授が学院の保管品で確かめたところ、旧水路から盗まれた風晶はすべて同じ黒い点を見せた。
風晶の傷ではない。
中の魔力を、何度も抜き、無理に戻した痕跡だ。
「何のために、そんなことをするのでしょう」とペペ。
「古い風晶を新品のように見せて売るためかもしれません」とユーノ。
リゼッタが首を振った。
「それだけなら、危険すぎる。風晶を弱らせてまで利益を出すなら、別の用途があるはずよ」
「別の用途?」
「大量の魔力を、一度に動かす用途」
尽は、袖の内側の式札を確かめた。
紙は静かだった。
午前中、検査箱は忙しかった。
風晶を使った扇。小型灯。畑用の散水器。荷主は怪訝そうな顔をしたが、衛士が説明すると、ほとんどの者は素直に協力した。
「大変ですね」とペペ。
「検査は、面倒だと思われるくらいでちょうどいい」とリゼッタ。
「昨日まで、早く追えと言っていた人の言葉とは思えません」
「人は学ぶのよ」
その直後、彼女は通りかかった菓子売りを呼び止めた。
「その焼き菓子、三十枚ください」
「三十?」と尽。
「衛士の皆が、ずっと働いているでしょう。検査を頼むなら、空腹にさせない方がいい」
「また投資ですね」
「円滑な協力への投資よ」
衛士長は菓子を受け取り、二枚目を頬張りながら言った。
「姫さん。あんた、商会を作った方が早いんじゃないか」
リゼッタは一瞬、言葉を失った。
帽子を被っていない。赤い発帯の下にも、角が隠れている。正体が割れたわけではない。
それでも『姫さん』という呼び方に、彼女は妙に反応した。
「私は、ただの学生よ」
「そうかい。じゃあ、ただの学生にしては菓子の買い方が豪快だ」
尽は横を向いた。
リゼッタがこちらを睨んだ。
「笑っていないでしょうね」
「菓子を食べてます」
「答えになっていないわ」
昼を過ぎた頃、灰色の帆布をかけた荷馬車が西門へ来た。
御者は若い男で、顔色が悪い。荷札には『石材見本・十箱』とある。
尽の式札が、袖の中で急に冷たくなった。
「止めてください」
彼は衛士へ言った。
荷馬車が止まる。
御者はすぐに両手を上げた。
「俺は、頼まれただけです。中身は石だと聞いて」
衛士が帆布をめくる。
中には灰色の石箱が十個、整然と積まれていた。
昨日の偽石と同じ色だ。
検査箱へ一つを入れる。
風を流した。
鏡板に映る青い光が、最初は細い線になり、次の瞬間、黒い渦へ変わった。
「反応あり」とユーノ。
衛士長が御者を下がらせる。
「箱を開けるぞ」
石箱の蓋は、釘ではなく、黒い蝋で封じられていた。
教授が杖先を近づける。
「これは、ただの封印ではないな」
リゼッタが一歩前へ出た。
「見せて」
「触るな」
「触らない。見るだけ」
彼女は少し離れたまま、黒い蝋の模様を見た。
円の中に、細い線が三本。風晶灯の風路とは逆向きに、中心へすべてが集まっている。
「吸い込む形だわ」と彼女は呟いた。
「何を?」とペペ。
「魔力を。たぶん、箱の中の風晶から」
教授が頷いた。
「箱を壊せば、一度に放出される。無理に開けられない」
御者が震えた声を出した。
「俺、本当に知らないんです。昨日、倉庫で黒い外套の人に……運べば銀貨を出すって」
「どこまで運ぶ予定だった?」
「西の旧街道を抜けて、風鳴峠の手前にある石橋まで。そこに別の荷車が来ると」
サイラス教授の顔が変わった。
「風鳴峠の手前には、古い風見塔がある」
「塔?」
「昔、白羽邦が山越えの風を測るために使っていた。今は閉鎖されているはずだ」
リゼッタは黒い蝋を見つめた。
「閉鎖された塔に、風晶を集める」
「何かを動かす気でしょうか」と尽。
教授は答えなかった。
その代わり、衛士長へ命じた。
「荷車は押収する。御者は保護。西街道へ伝令を出せ。風見塔の周囲を封鎖する」
尽たちは、荷車から離れた。
だが、式札はまだ冷たい。
紙の表に、昨日までなかった文字が浮かんだ。
『こえ、二つ』
尽は息を呑んだ。
減ったはずの声が、二つに戻っている。
「どうしたの?」
リゼッタに尋ねられ、尽は札を見せた。
彼女は文字を読み、静かに言った。
「二人とも、塔にいるのかもしれない」
「それなら、なおさら行けませんね」
「ええ」
返事は早かった。
けれど彼女の手は、鞄の縄をしっかり握っていた。
その時、石箱の一つから、低い唸りが聞こえた。
黒い蝋の線が、赤い陽を受けて淡く光る。
教授が振り返った。
「全員、離れろ!」
箱の中で、何かが目を覚ましかけていた。
衛士長はすぐに門を半分閉じ、通行人を東側の迂回路へ誘導した。
急に止められた荷馬車の列から、不満の声が上がる。
「また検査か」
「日が高いうちに市場へ着きたいんだ」
リゼッタは荷車の前へ出た。大声ではないのに、よく通る声だった。
「今、ここで十分な確認をしなければ、明日にはもっと長い道を使うことになるわ。今日の遅れは、私が北門の商会へ話を通して、夕方までの保管場所を確保する」
「誰が払うんだ」と野菜商人が言う。
「私が払う。けれど、荷の傷みや遅れは一台ずつ帳面に書いて。次に同じことが起きないよう、原因へ請求するために必要だから」
商人たちは顔を見合わせた。
ただ金を出すのではない。損を記録し、後で返す道を作る。
年配の商人が先に頷いた。
「そこまで言うなら、待つ」
列の空気が少しだけ変わった。
尽は横顔を見た。
リゼッタは、誰かを動かす時に火力を使わない方が強いのかもしれない。
その直後、石箱がもう一度低く唸った。
彼女は肩を跳ねさせたが、すぐに背筋を伸ばした。
「今のは、驚いていないわ」
「分かっています」と尽。
「絶対に、分かっていない顔だったわよ」




