第七十四話 呪文を一つも知らない受験生は、魔力の出口を作る
筆記試験の最初の問題は、火球の定義だった。
〈火球術に必要な三要素を記し、発動順に並べよ。〉
尽は答案を見つめた。
知らない。
火、酸素、燃える物なら三要素だが、求められている答えではないだろう。
隣の机で、リゼッタが勢いよく筆を走らせている。
そのさらに前では、レオハルトが答案を書き終え、横顔が最も美しく見える角度で頬杖をついていた。
試験官が近づくと、すぐ真面目な姿勢へ戻る。
尽は空欄の下へ、自分に分かることを書いた。
火球が燃焼なら、熱源、燃料、反応を続ける空気が要る。魔法がそのいずれかを省けるなら、何を外部から取り込み、術者が何を補っているか確認する必要がある。
次の問題。
〈風刃が同じ魔力量でも遠距離で威力を失う理由を述べよ。〉
これは分かる。
空気抵抗、拡散、乱流。
術式の正解とは違うかもしれないが、白羽邦で作った風筒の図を添えた。流れを細く絞りすぎると筒内で抵抗が増え、広げすぎれば圧力が落ちる。距離に応じて出口の形を変える必要がある。
三問目は魔力回路の欠損箇所を探す図だった。
通信器で見た術式に似ている。
記号の意味は分からない。それでも、入口から枝分かれした流れの一つが、出口へ繋がっていない。尽はそこへ丸を付けた。
最後の問題は、魔術師が荒野で水を失った時の対処法。
水生成術と書くのが正解だろう。
尽は、朝夕の温度差を使って布へ露を集める装置を描いた。
試験終了の鐘が鳴る。
リゼッタは自信満々だった。
「簡単だったわ」
「火球の三要素は?」
「火精への呼びかけ、魔力の圧縮、形状の固定」
「一つも合っていません」
「あなたの答えが?」
「たぶん僕の方が」
魔力測定は、水晶柱へ手を触れるだけだった。
属性に応じて色が変わり、光の高さで保有量を測る。
レオハルトが触れると、水晶全体が金色に輝いた。光は柱の頂点を越え、天井へ太陽の紋を描く。
見物していた教師と受験生から歓声が上がった。
王子は片手を胸へ当てる。
「皆も自分の可能性を信じてほしい。魔力は身分を選ばない」
試験官が小声で言った。
「殿下、次の方が待っております」
レオハルトは聞こえないふりをして、もう一度歓声へ手を振った。
リゼッタの番になる。
髪帯の下で角が見えないか、尽の方が緊張した。
彼女が水晶へ触れると、赤黒い光が半分ほどまで上がった。平均より少し上。しかし、頂点には遠い。
リゼッタの顔が曇る。
「故障しているわ」
「次の方」と試験官。
「もう一度測りなさい」
「測定柱は百二十年間、同じ基準で運用されています」
「百二十年も使っているなら、なおさら故障するでしょう!」
カルナがいなくてよかった。
尽が袖を引き、交代させる。
水晶柱へ手を置いた。
最初は何も起きない。
周囲から小さな笑い声がした。
リゼッタが睨み、笑いは止まった。
やがて、柱の底へ薄い灰色の光が生まれた。拳一つ分だけ上がり、消えかける。
試験官が記録札へ「微弱」と書いた。
その瞬間、尽の胸元で指輪が熱を持った。
白羽邦で受けた風の祝福が反応する。
灰色だった光の中へ、細い緑が混じった。柱の内側を螺旋に上り、半分を越えたところで止まる。
「風属性の祝福持ち?」
試験官が目を細めた。
「白羽邦でいただきました」
「保有量は少ない。だが外部魔力との親和性が高いな」
尽は水晶の中を流れる光を見た。
赤曜の下で感じた、細い流れと似ている。
魔力は身体の中だけにあるものではない。光、風、熱。周囲へ満ちた何かを、水晶と祝福が引き込んでいる。
薯片を食べた時は、その入口が急に開いたのかもしれない。
しかし、見えたのはそこまでだった。
どう動かすかは分からない。
午後の実技試験では、三つの燭台へ順番に火を灯すよう命じられた。
一般魔法科の受験生は、初歩の火花術を使う。
一つ目は近く、二つ目は五歩先、三つ目は風の吹く箱の中にある。魔力の量より、制御を見る試験だった。
レオハルトは指を鳴らした。
金色の火が鳥の形となり、三つの燭台を順番に回る。最後は彼の肩へ戻り、小さく頭を下げて消えた。
試験官が満点を記す。
リゼッタは剣を持ち込もうとして止められた。
仕方なく指先から火を出す。
一つ目の燭台が勢いよく燃えた。
二つ目も点く。
三つ目へ火を飛ばした瞬間、風箱の中で炎が膨らんだ。
箱の蓋が飛ぶ。
試験官の眉毛が少し焦げた。
「全部、点いたわ」
「制御点を減点する」
「なぜ!」
「次の方!」
尽の番になった。
「使用する術を申告せよ」と試験官。
「使える術はありません」
「では棄権か」
「用意された物を使っても?」
実技台の横には、予備の蝋燭、火口、銅線、魔晶片が置かれている。壊れた器具を交換するための備品だ。
「自分の魔力で点火するなら、補助具は認める」
尽は小さな風晶片と銅線を借りた。
薄い金属板を丸め、火口の火を覆う。そこから細い筒を三本伸ばし、燭台の手前まで置く。
受験生から笑い声が上がった。
「火を運ぶだけなら魔法試験にならないぞ」
「三つ目は向かい風だ」
「筒の火は途中で消える」
尽も、それは分かっている。
火そのものを送るのではない。
温めた空気を通し、蝋燭の芯へ火が移る直前だけ、風晶片で流れを押す。
問題は、晶石を起動できないことだった。
尽は白羽の祝福を思い出す。
風を生み出そうとしない。
すでに周囲へある空気と、赤曜から降りる熱。その動く向きを、ほんの少し変える。
風晶片を握った。
何も起きない。
もう一度、目を閉じる。
翼の上と下で流れの速さが違う。
狭い筒へ空気が入れば、出口で速度が上がる。
頭の中へ形を作る。
晶片が一度だけ震えた。
筒の中を温い空気が走る。
一つ目の芯へ火が移った。
二つ目も点く。
三つ目の直前で、風箱の向かい風に押し戻された。
尽の力では足りない。
薯片を食べれば点けられる。
だが、一枚使えば燭台どころか試験場を吹き飛ばすかもしれない。何より、それは制御した魔法ではない。
尽は風箱を観察した。
風は一定ではない。内部の羽根が回り、一巡ごとに弱くなる瞬間がある。
三回数える。
一。
二。
三。
風が緩んだ時、銅線を引いた。筒の先が芯へ近づき、残っていた熱が触れる。
三つ目の燭台へ、小さな火が灯った。
派手さはなかった。
受験生も歓声を上げない。
試験官だけが、三本の筒を見ていた。
「今の術は?」
「術ではありません。風晶片は少しだけ動きましたが、ほとんどは空気の流れと時間を使いました」
「課題は自分の魔力で点火することだ」
「最初の火を動かすため、風晶片へ自分の力を流しました」
「火属性は使っていない」
「火を点けろとは書いてありました。火属性を使えとは書いていません」
試験官が額を押さえた。
リゼッタは得意そうに腕を組む。
「そういう男なのよ」
「なぜ君が誇る」
採点は保留になった。
二人は夕方まで掲示場で待たされた。
不合格者の名が先に外され、合格者の札が一枚ずつ掛けられる。
レオハルト・ソラヴェイン。
一般魔法科、首席。
王子は当然という顔で拍手を受けた。
リゼ・ノクス。
一般魔法科、実技制御に条件付き。基礎制御授業を必修とする。
「条件付きって何よ!」
「箱を壊したからでしょう」
最後に、風間尽の札が掛かった。
一般魔法科、補欠合格。
魔導工学科、特例合格。
一般科の基礎術理と、工学科の実習を併修すること。
「二つとも受けられるじゃない」
リゼッタは自分の条件を忘れ、笑った。
尽は札の下に書かれた注意を見る。
〈入学後一月以内に、規定の初級魔法を一つ修得できなければ一般科資格を取り消す。〉
まだ合格しただけだった。
魔法は一つも使えない。
それでも、学ぶ場所には入れた。
学院の鐘が鳴る。
レオハルトが二人の前を通り、足を止めた。
「条件付きと特例か。学院はずいぶん門戸を広げたものだね」
リゼッタが言い返す前に、尽は頭を下げた。
「首席おめでとうございます」
「ああ。君も一年、残れるといいね」
王子は笑顔で去った。
リゼッタはその背中を睨む。
「一月以内に絶対、魔法を覚えなさい」
「僕より怒っていますね」
「あの顔を一度、泣かせたい」
入学の目的が、早くも一つ増えていた。




