第七十三話 魔族の姫は、入学願書より角を隠す方が難しい
「聞いていないわ」
宿場の食堂で、リゼッタは入学案内を睨んでいた。
羊皮紙の表には、ソラヴェイン王立高等魔法学院の紋章が金で刷られている。裏には受験資格と試験科目が細かな文字で並んでいた。
筆記試験。
魔力測定。
基礎術式の実技。
身元を証明する推薦状も必要だ。
「学校へ入るのに試験があるのは普通でしょう」と尽。
「学びたい者へ、先に学んだ内容を聞くのはおかしいわ」
「まったく勉強していないんですか」
「王宮教師から習ったわよ。歴史、外交、会計、剣術、火魔法、闇魔法、舞踏、礼法、絵画鑑定」
「十分では?」
「学院式の術理記号は嫌い」
一番必要そうな部分だけ抜けていた。
尽は案内を読み直す。この世界の文字にはまだ慣れていない。リゼッタが声に出し、意味の分からないところをカルナが補った。
試験は五日後。
受験料は銀貨十二枚。
不合格でも返金されない。
「高いわね」とリゼッタ。
「王女様が言いますか」
「お金を持っていることと、無駄に払うことは別よ」
彼女は案内の下端を指した。
地方推薦者は受験料を半額免除される。白羽邦の長がくれた紹介状を使えば、尽は対象になる。
「私の分も一緒に推薦されたことにできない?」
「紹介状には僕の名前しかありません」
「横へ書き足せそうでしょう」
「王女が入学前から推薦状を偽造しないでください」
「冗談よ」
目は本気だった。
もう一つ、問題がある。
ソラヴェインは人族の帝国だ。高位魔族は人とほとんど同じ姿をしているが、リゼッタの角を見られれば入城審査で止められる。学院には他種族枠もあるものの、魔族領から来た王女と知られれば、夜冕城へ知らせが届く。
旅の期限を勝手に延ばしたことまで父王に露見する。
「切ればいいのでは」と尽。
リゼッタが剣を抜いた。
「今のは忘れてください」
角を隠すため、宿場の衣料店を三軒回った。
最初の店で買った帽子は、角の先が布を押し上げて猫耳のようになった。
二軒目の大きな頭巾は、顔まで隠れて怪しさが増した。
三軒目で、幅の広い髪帯が見つかった。濃い赤色で、内側へ薄い綿が入っている。角の根元を覆い、上から髪をまとめれば目立たない。
「地味ね」
「人族へ紛れるための物です」
「宝石を一つ付けてもいいでしょう」
「駄目です」
「なぜ、あなたが決めるの」
「黒角城の紋章入り宝石を出したからです」
リゼッタは黙って宝石をしまった。
値札は銀貨二枚。
彼女は縫い目のほつれを一つ見つけ、店主と十分交渉し、銅貨八枚まで下げさせた。その代わり、店先に積まれていた売れ残りの青い髪帯を五本まとめて買う。
「安くなっていませんよね」
「一本当たりは安いわ」
「五本も使いますか」
「ソラヴェインで高く売る」
すでに仕入れになっていた。
三日後、一行は帝都ソラヴェインへ着いた。
赤曜の光を浴びた城壁は白く、遠くからでも眩しい。半円形の城壁が三重に重なり、その中央へ王城と学院の尖塔が並んでいる。街の上空には、風魔法で動く乗合舟が浮かんでいた。
門前には受験生の列ができている。
貴族らしい馬車。
地方の魔術師一家。
杖一本を抱えた平民の少年。
従者を十人連れた者もいれば、一人で歩いてきた者もいる。
リゼッタは髪帯へ手を当てた。
「曲がっていない?」
「五回目ですね。曲がっていません」
「角が見えたら、あなたも捕まるのよ」
「僕は被害者だと言います」
「薄情者」
入城審査では、白羽邦の紹介状が役に立った。尽は異郷の道具職人見習い。リゼッタは夜冕という姓を使わず、「リゼ・ノクス」と記した。カルナとロウは商会の護衛として登録する。
門番は髪帯を一度見たが、外させなかった。
問題は、尽の荷物だった。
「この紙札は何だ」
鬼門国でもらった式札を掲げられる。
「未使用の道具です」
「術式武器ではないのか」
「命令を書かなければ動きません」
「何を書けば動く」
「分かりません」
「なぜ持っている」
説明するほど怪しくなった。
最終的に、式札は学院で鑑定を受けるという条件で持ち込みを許された。三連銅管は武器と判断され、門の保管所へ預けることになった。
「ただの送風具です」
「岩角獣三頭を飛ばせそうな筒を、ただの道具とは呼ばん」
「飛ばしたのは夜穿狼です」
「もっと悪い」
帝都へ入ると、カルナとロウは夜冕城へ報告を送るため宿を探した。二人は学院へ入れない。王女の身を守るには、学生寮へ一緒に住むわけにもいかなかった。
リゼッタは平然としている。
カルナの方が泣きそうだった。
「必ず毎日、宿へ連絡してください。正体を明かさない。危険な決闘をしない。知らない者から飲食物を受け取らない。夜間に一人で歩かない。それから――」
「母上より細かいわ」
「王妃様から、同じ内容を三倍申しつけられております」
「母上には、まだ学院のことを言っていないでしょうね」
カルナは空を見た。
返事をしなかった。
学院の受付広場は、人で埋まっていた。
願書を受け取る列だけで四つある。一般魔法科、治癒科、騎士魔法科、魔導工学科。尽は最後の列へ並ぼうとした。
「別々になるの?」
リゼッタが袖を掴む。
「僕は呪文を一つも使えません。一般科は無理でしょう」
「私は道具を作れないわ」
「一般科へ行ってください」
「嫌よ。知らない人ばかりじゃない」
魔族領の王女が、そこで人見知りを発揮した。
話し合った結果、二人とも一般魔法科を第一希望、魔導工学科を第二希望にした。学科が違っても共通授業は受けられるらしい。
願書を書いていると、広場の入口が急に騒がしくなった。
白馬六頭に引かれた金色の馬車が入ってくる。扉にはソラヴェイン王家の太陽紋。衛兵が受験生を左右へ下がらせ、赤い絨毯を敷いた。
馬車から、金髪の青年が降りる。
鏡のように磨いた胸当てを着け、肩には白い外套。腰の剣にも宝石が並んでいる。
青年は一歩進むたび、周囲へ笑顔を向けた。
誰かが自分を見ていないと、その者の前で一度髪をかき上げる。
「レオハルト殿下よ」
受験生の少女たちが囁いた。
「今年、学院へ入られるんだって」
「王宮教師から全部学んでいるのに?」
「首席入学して民へ勇姿を見せるためらしいわ」
リゼッタは青年を一目見て言った。
「嫌い」
「会って五秒ですよ」
「自分より目立つ服を着た男は信用できない」
判断基準がおかしい。
レオハルトは受付を素通りし、学院長らしい老人と握手した。従者が代わりに願書を出す。
列の後ろから、小さな声がした。
「王子なら試験を受けなくても入れるんだろ」
レオハルトの耳へ届いたらしい。
彼は振り返り、完璧な笑顔を作った。
「私は王子である前に、一人の魔術師だ。皆と同じ試験を受け、実力で首席を得る。どうか遠慮なく競ってくれたまえ」
拍手が起きる。
彼は満足そうに片手を上げた。
その目がリゼッタで止まる。
赤い髪帯と黒髪が目立ったのだろう。
「そこの君。初めて見る顔だね。地方から来たのかな」
「あなたに関係ある?」
広場の拍手が止まった。
レオハルトの笑顔も一瞬止まる。
「もちろん、困っている受験生を助けるのも王族の務めだ。試験で分からないことがあれば――」
「試験中に答えを教えたら不正でしょう」
リゼッタは願書を受付へ出した。
「それとも、この国では王子だけ答えを先に知っているの?」
今度こそ、広場が完全に静まり返った。
尽は顔を覆った。
学院へ入る前から、最も面倒な相手へ喧嘩を売っている。
レオハルトは笑顔を崩さなかった。
ただ、髪をかき上げる手が二度空振りした。




