第七十一話 白羽の国では、戦う前に羽飾りを選ぶ
翼竜が白羽邦の飛行場へ降りるまでに、氷壁の獣は三つの見張り塔を壊した。
鐘が鳴っている。
それでも空では、羽族の若者たちが円を描いていた。
背中から伸びた白や灰色の翼へ色鮮やかな布を結び、二人、四人、八人と形を変える。先頭が翻れば、後ろも寸分違わず続く。赤曜を受けた羽根がきらめき、地上の見物人から歓声が上がった。
「避難しているようには見えません」と尽。
翼竜の御者は手綱を引きながら答えた。
「迎撃飛翔だ」
「祭りではなく?」
「白羽の戦士は、敵の前ほど美しく飛ぶ」
三つ目の塔が倒れた。
氷煙の中から現れたのは、四本脚の巨大な獣だった。全身を白い甲殻が覆い、頭部には平たい角が扇のように広がっている。歩くたび、足元の水分が凍って棘となった。
「氷甲犀ね」とリゼッタ。「あの大きさは初めて見るわ」
迎撃隊が一斉に急降下する。
槍の穂先へ風が集まり、細い渦となった。
隊列は美しい。
角度も揃っている。
ところが、全員が同じ軌道で突っ込んだ。
氷甲犀が頭を振る。
扇形の角から冷気が噴き出し、先頭の羽根へ霜が付いた。一人が姿勢を崩す。後ろの者たちは隊列を守ろうとして避けるのが遅れ、次々にぶつかった。
空中で十人以上が絡まり、落ちる。
「翼竜を寄せて!」
リゼッタが立ち上がった。
「飛行場へ降りるのが先だ!」と御者。
「下に子供がいる!」
落下地点には、見物へ出ていた家族が取り残されている。
翼竜は急には曲がれない。
尽は客籠の固定綱を外し、余った帆布へ結んだ。
「リゼッタ、布の下へ風を入れられますか」
「何をするの?」
「落ちる人を受けます。強く吹かせず、布を膨らませるだけで」
御者が叫ぶ。
「籠の綱を外すな!」
「片側だけです!」
「片側でも外すな!」
もう遅い。
カルナとロウが帆布の端を掴み、翼竜の背中へ広げた。リゼッタが掌を向け、下から風を入れる。布が袋のように膨らんだ。
最初の羽族が落ちてくる。
帆布へ当たり、全員の腕が引かれた。
綱が軋む。
二人目。
三人目。
四人目は翼が半分凍り、回転していた。尽は綱を一方だけ緩め、帆布を傾ける。身体が中央へ滑り込んだ。
五人目を受けたところで、翼竜そのものが高度を落とした。
「これ以上は無理だ!」
御者が怒鳴る。
残る者は地上の防風網へ落ちた。網が破れたが、民家の屋根へ直撃するよりはましだった。
翼竜が飛行場へ滑り込む。
着地というより墜落に近い。
客籠が石畳を擦り、尽たちは受け止めた羽族ごと転がった。
「生きてる?」
リゼッタが一人ずつ顔を叩く。
「痛い……」
「なら生きてるわ」
判断が乱暴だった。
救護員が駆け寄る。凍った翼へ温布を当て、折れた羽根を固定していく。
助けた五人のうち、一番若い戦士は片翼を動かせなかった。白い羽根の根元が青く腫れ、息をするたび唇を噛んでいる。
それでも彼は、折れた飾り板を探して手を伸ばした。
「演舞長に借りた物なんだ。傷を付けたら、次の祭りへ出られない」
尽は飾り板を拾った。
薄い銀板の周りへガラス玉が並び、羽根へ結ぶ革紐は水を吸って重くなっている。これだけで、片翼に小さな鞄一つ分の重さが掛かる。
「これを付けたまま戦っていたんですか」
「迎撃隊の正装だ。光を多く返した者ほど、上手い飛び手と認められる」
「落ちた時も?」
若者は答えなかった。
隣では、救護員が別の戦士の翼から長い房紐を切っている。紐は仲間の羽根へ絡み、数本を根元から抜いていた。
きれいな飾りだった。
空の上では、刃物と重りになった。
尽は銀板を若者へ返さず、救護員の荷台へ置いた。
「祭りまでに直します。今は翼を治してください」
「直せるのか」
「飾りより、外れやすい留め具を先に作ります」
若者は困った顔をしたあと、ようやく目を閉じた。
飛行場の責任者らしい男が飛んできた。
金色の羽飾りを頭へ付け、胸元には鏡を何枚も並べている。
「勝手に飛行経路へ入ったのは誰だ!」
最初に出たのは礼ではなかった。
リゼッタの眉が上がる。
「落ちた者を助けたのよ」
「迎撃飛翔の隊列が乱れたのは、翼竜が横切ったからだ!」
「横切る前から落ちていたでしょう!」
「部外者に白羽の戦法が分かるものか」
尽は空を指した。
氷甲犀へ二陣目が向かっている。
今度は三列の螺旋を描き、赤曜を反射する飾り板を一斉に開いた。光が花のように広がる。
氷甲犀は眩しがりもしない。
冷気を吐く。
隊列はまた同じ側へ避け、翼同士をぶつけた。
「あれが戦法ですか」
「白羽三環陣だ。敵を美で威圧し、戦意を奪う」
「獣にも美しさが分かるんですか」
男は答えなかった。
氷甲犀が町へ近づく。
飛行場脇の倉庫から、細長い投槍が運び出された。羽族の戦士は一人三本ずつ持つ。どれも羽根飾りと房紐が付き、見た目は華やかだった。
尽は一本を借りた。
重心が後ろに寄りすぎている。飾りが空気を受け、真っ直ぐ飛ばない。
「この房を外してください」
責任者が槍を奪い返した。
「これは勝利を招く風房だぞ!」
「抵抗を招いています」
「代々受け継がれた形だ!」
「代々、氷甲犀に負けているんですか」
周囲の羽族が息を呑む。
リゼッタが小声で言った。
「あなた、王女へ旅費を聞いた時より失礼よ」
「町が壊されているので」
「それなら仕方ないわね」
責任者の顔が赤くなった。
彼が反論する前に、北側から別の鐘が鳴った。
氷甲犀が用水路を踏み壊したのだ。溢れた水が冷気に触れ、地面へ厚い氷を作る。避難しようとした住民が滑り、進めなくなった。
「迎撃隊を下げてください」と尽。「今のままでは、落ちた人を増やします」
「部外者が指図するな!」
「では、避難路だけ作ります」
尽は返事を待たず、飛行場の荷車へ向かった。
積まれているのは、翼へ塗る樹脂、補修布、細い竹骨。空で姿勢を整えるための風晶石もある。
氷の上を歩くなら、足裏の面積と摩擦を増やせばいい。
靴へ短い爪を付ける時間はない。竹骨を格子に組み、縄で靴の下へ縛る。雪靴に近い形だが、氷面では滑り止めが必要になる。折れた槍先を下へ向け、四隅へ固定した。
「これを履いて、一列で歩いてください!」
住民は見慣れない道具を警戒した。
リゼッタが最初に履く。
「私が試すわ」
一歩目で足を取られ、両腕を回した。
転ぶ寸前で耐える。
「……滑らないわ」
「今の動きで説得力が減りました」
「結果は立ってるでしょう!」
子供を抱いた者から順に、即席の氷靴を使って避難する。数が足りないため、渡り終えた者が脱ぎ、後ろへ回した。
カルナとロウは氷甲犀を牽制する。
迎撃隊の中にも、隊列を離れて加わる者が現れた。華麗な旋回を捨て、低空から短く飛び込み、すぐ離れる。
効いてはいない。
それでも、獣の向きを避難路から逸らせた。
責任者は飛行場で立ち尽くしていた。
自分の命令を待たず、若い戦士たちが動き始めている。
「隊長!」
空から声が飛ぶ。
「飾りを外していいですか!」
男は答えられなかった。
氷甲犀が吠える。
扇角に冷気が集まり、避難中の住民へ向いた。
隊長は自分の胸に並ぶ鏡を見た。
一枚ずつ引き剥がす。
頭の金飾りも投げ捨て、翼を広げた。
「全員、風房を外せ! 三環陣を解く! 四人一組、互いの翼が触れない距離を取れ!」
命令が空へ走る。
白羽の戦士たちは初めて、美しさではなく、生き残るための隊列へ組み直した。
だが、倒す方法はまだなかった。
氷甲犀の角から、町を覆うほどの白い息が放たれた。




