第七話 城門では全員が怪しい
氷風城の門は、一枚ではなかった。
外側の鉄格子。
岩を削った短い通路。
二つ目の格子。
その先に、荷車三台が並べるほどの広間がある。
人も荷物も、そこで一度止められていた。
尽を背負った赤茶髭の男も、列へ割り込まない。
角笛を鳴らし、門番へ負傷者を示す。それでも脇の診察口へ案内されるまで待った。
列には、尽が絵本でしか見たことのない者たちがいた。
長い耳を頭巾から出した女。
額に短い角のある商人。
全身を灰色の毛で覆われた、大きな猫に似た荷運び人。
人間らしい顔の兵士。
背丈の低い矮人。
同じ門へ入り、同じ床の線で止まり、同じ検査を受けている。
角があるから別の入口へ送られるわけではない。
逆に、高そうな衣服の人間だから検査を省かれるわけでもなかった。
門の壁に、大きな絵札が掛かっている。
抜いた剣に、赤い斜線。
殴り合う二人に、赤い斜線。
燃える杖にも斜線。
最後は、角のある者と長耳の者と髭の者が、同じ卓で杯を持つ絵。
文字は読めない。
意味は分かった。
城内で争うな。
武器も魔法も、勝手に使うな。
「中立の町、みたいなもんか」
赤茶髭の男が振り返る。
尽は門の絵を指し、両手を打ち合わせる真似をしてから首を振った。
男は頷く。
胸を張り、城門を指した。
「イシュヴァール。ドゥラ・カン」
〈氷風城〉の次の言葉だけ、指輪がかすかに温かくなる。
頭へ一つの意味が落ちた。
〈争うな〉
文章全部ではない。
単語一つ。
尽は指輪を握り、もう一度聞こうとした。
熱は消えた。
便利な通訳にはならない。
診察口から、白い前掛けの矮人女が出てきた。
髪は鉄色。左右の耳に、小さな工具を何本も差している。杖ではなく、先端が二股に分かれた金属棒を持っていた。
彼女は巡路者たちへ短く質問する。
赤茶髭が、崖を指す。若者が絵を広げる。黒髭は探測輪の赤針と緑針を見せ、最後に革袋の薯片を示した。
女の眉が上がる。
尽ではなく、まず革袋から三歩離れた。
それから床へ、三つの色の違う円盤を置く。
赤。
灰。
青。
巡路者は荷物を分け始めた。
尽の鞄は灰円。
開封済みの薯片袋は赤円。
落地した二枚を入れた小箱は、さらに離れた赤い石台。
尽自身は青円へ運ばれる。
人間まで危険物と同じ赤円へ置かない。
危険がないと決めて一緒にも置かない。
女は赤茶髭へ何か言った。
男が自分の胸を叩く。
「ボルン」
次に黒髭を指す。
「ガルド」
短髭の若者。
「ティム」
名前だ。
尽は順に指して繰り返す。
「ボルン。ガルド。ティム」
三人が頷いた。
尽は自分を指す。
「風間、尽。尽」
「カザ……マ」
ボルンが難しそうに言う。
「ジン」
ティムは正しく発音した。
ガルドは尽を指し、「ジン」と確認する。
その瞬間、指輪が温かくなった。
〈名〉
意味が一つ入る。
尽はノートを出したかった。
まだ腕は小指しか動かない。
声で覚えるしかなかった。
女は自分を指した。
「メルダ」
次に二股棒を尽の胸へ近づける。
触れる前に止める。
尽を見る。
検査してよいか尋ねているらしい。
尽は丸印を描けない。
一度頷く。
メルダは棒を胸から指二本分離して動かした。
先端の青石が光る。
腹。
両腕。
脚。
左膝で黄光。
背中で赤光。
首の指輪で、赤と緑が同時に点いた。
メルダが手を止める。
もう一度指輪へ近づけようとする。
尽は首を横へ振った。
彼女は続けなかった。
検査票らしい粘土板へ、指輪の形と赤緑二色だけを刻む。
次に濡れた制服を指し、脱ぐ仕草をした。
洗浄が必要なのだろう。
背中には魔狼の爪痕がある。爆坑の緑粉も付いているかもしれない。
尽は鞄を見た。
着替えはない。
メルダは布の上着を一枚見せ、自分の前掛けを指し、それから尽へ渡す仕草をする。
貸す。
たぶん。
尽は頷いた。
衝立のある洗浄室へ運ばれる。
ボルンたちは外へ残る。メルダと、若い助手だけが入る。
尽の身体はまだ自分で脱げない。
どこまで手伝われるか、拒否する方法を先に決める。
メルダが左腕を持ち上げる。
痛くない。
右肩。
痛くない。
左膝で尽が声を出すと、すぐ止まる。
制服の背に、三本の裂け目があった。
皮膚も浅く切れている。血は固まり、周囲に青白い粉が付いていた。
メルダの助手が粉へ布を当てようとする。
メルダが止める。
先に小さなガラス板へ一粒だけ落とす。透明な液を垂らすと、粉が緑へ変わり、液面に細い針状結晶を作った。
二人の表情が硬くなる。
緑晶に関係する物らしい。
尽の皮膚は、今のところ光っていない。
だから安全とはしない。
背中の粉を乾いた吸着布で少しずつ取り、布は一枚ごとに陶器の蓋付き壺へ入れる。水をいきなり掛けない。反応が分からないからだろう。
粉が減ったあと、別の液で皮膚を洗う。
沁みた。
尽が声を上げる。
メルダは洗浄を止め、丸とばつの札を見せる。
続けるか。
傷を残したままにもできない。
尽は丸を見て頷く。
次は少量ずつ掛けられた。
洗浄後、背の傷へ蜂蜜に似た匂いの軟膏。左膝には冷たい布と、薄い木板の固定。
脱力については、身体の各部へ小さな石を置いて反応を見る。
赤い石では変化なし。
緑の石にも反応なし。
透明な石を右手へ置くと、指輪が一度だけ光り、石が砕けた。
メルダは驚いたが、同じ試験をしなかった。
砕けた結果だけを板へ刻む。
尽は貸し上着へ着替えさせられ、低い寝台へ移された。
制服、靴、鞄は別々の籠。
家の鍵と財布は、尽に見える小箱へ入れる。小箱を閉める前に、メルダが中身を一点ずつ見せる。
十円玉三枚。
百円未満の釣り銭。
家の鍵。
鉛筆。
消しゴム。
止まった腕時計。
白紙の頁。
尽は十円玉が一枚少ないことに気づいた。
魔狼へ投げた一枚だ。
盗まれたのではない。
自分で使った。
小箱の中身は合っている。
最後に、薯片を数える。
メルダは赤円から動かさず、ティムを呼んだ。ティムが長い木箸で袋を広げる。
尽が一枚使った。
地面へ二枚落ちた。
袋内には、形の大きなもの二十七枚。半分以下の破片をどう数えるかで変わる。
ティムは完全な一枚を二十七。
大破片を六。
細かな欠片を、別の小紙へ集める。
落地二枚は袋へ戻さない。
包装袋も、食物の容器というより別の道具として扱う。
尽は数字を見て、青ざめた。
二十七回も撃てる、とは思わない。
二十七回しかない。
しかも、次も同じ壁になる保証はない。
ティムが一枚を木箸で持ち上げ、試す仕草をした。
尽は強く首を振る。
全員が止まる。
メルダは粘土板へ、大きなばつを刻んだ。
実験しない。
尽の同意がないからだけではない。城門のそばで崖を削る出力を再現すれば、規則違反どころではない。
薯片の袋は赤い陶箱へ。
落地二枚は別の小箱。
細片は三つ目。
銀色の包装袋は、口を閉じず、木枠へ挟んで隔離。
四つの保管先には、ティムと門衛とメルダがそれぞれ違う印を付けた。
尽に文字は読めない。
それでも、全部を一箱へまとめなかったことは分かる。
隔離が終わると、今度は門衛が薄い石板を持ってきた。
人の横顔、家、道、剣、荷箱。文字を読めない相手にも通じるよう、質問は絵で並んでいる。
どこから来た。
どこへ行く。
武器を持っているか。
何を売るつもりか。
尽は最初の二つで止まった。地球も神戸も、相手の地図にはない。電話ボックスを描き、稲妻を描き、次に崖と二つの太陽を描いた。
門衛は笑わなかった。
分からないものを、分かったことにもしなかった。
石板の出身欄へ、稲妻と四角い箱の印をそのまま写す。行き先の欄には、負傷者区を示す青印。滞在期限らしい欄は空白のまま、メルダの治療札を重ねた。
武器の質問で、尽は十円玉を見た。
あれで魔狼の注意を逸らしたが、武器とは言いにくい。
薯片を見た。
こちらは食べ物のはずなのに、壁を削った。
尽は迷った末、硬貨と薯片の両方を指す。
門衛は薯片の欄へ、剣ではなく赤い不明物の印を押した。硬貨には印を付けない。用途を勝手に決めず、起きた現象だけを記録するらしい。
最後に門衛は、禁闘絵札の小版を尽へ見せた。
人、角のある者、長耳の者、獣人、矮人。五人が同じ屋根の下に立ち、中央の折れた剣を囲んでいる。
次の絵では、先に剣を抜いた一人だけでなく、殴り返した一人も鎖を掛けられていた。
誰が正しいかを、門前の喧嘩で決めない。
反撃まで一律に禁じるのか、逃げ場のない場合はどうするのか。細則は読めない。それでも、この都市が中立を看板だけで維持していないことは伝わった。
尽は札を受け取り、胸元へ置く。
指輪が一瞬だけ熱を帯びた。
〈客〉
囚人でも救世主でもない。
身元不明で、危険物を持ち、治療を必要とする一人の客。
今の尽には、それで十分だった。
安心したところで、腹が鳴った。
薯片は食べられない。
メルダが穀物を煮た粥を出した。
匙で一口。
塩気がない。
二口。
やはりない。
尽は、赤い陶箱を見た。
食料として買った塩味薯片が、城門を吹き飛ばしかねない危険物として封じられている。
「異世界、厳しすぎるやろ」
メルダには通じなかった。
ただ、粥がまずいという顔だけは伝わったらしい。
彼女は塩壺を一つ、寝台の横へ置いた。




