第六十九話 鬼門の税関では、嘘より荷札の方がよく喋る
鬼門国との境に門はなかった。
代わりに、山道の両側へ二体の石像が立っていた。
赤鬼と青鬼。
どちらも高さは三丈ほどあり、片手に金棒、もう片方に巨大な算盤を持っている。尽たちが間を通ろうとすると、青鬼の目が光った。
「止マレ。人、六。獣、一。荷、二十三」
「七人いるわ」とリゼッタ。
カルナ、ロウ、ミゼル、若い斥候二人、尽、リゼッタ。
確かに七人だ。
石像は返事をしない。
見えないシグが、道の脇で身を固くしていた。
「古い門番傀儡だ」とミゼル。「たまに数え間違える」
「直した方がいいんじゃないですか」
尽が近づこうとすると、赤鬼の金棒が地面へ落ちた。
石畳が割れる。
「未登録ノ分解行為、禁ズ」
「触っていません」
「顔ガ、触ル者ノ顔ダ」
機械にまで見抜かれた。
青鬼の胸が開き、木札が七枚吐き出された。最後の一枚だけ何も書かれていない。シグの分かもしれないが、誰も気づかず、予備札だと思って荷へ結んだ。
山道を下ると、灰色の瓦屋根が谷一面へ広がっていた。
鬼門国の国境都市、鈴鋳町だった。
町の入口には工房が並び、あちこちから槌音が響いている。道を歩く者の多くは額やこめかみに小さな角を持っていた。鬼族以外にも、狐耳の商人、人族の旅僧、背の低い土精族が行き交う。
家々の軒先には白い紙札が吊られていた。
風もないのに、札だけが揺れている。
尽は足を止めた。
一枚の紙札が、誰も触れていない箒を持ち上げ、店先の鉄粉を掃いている。別の札は木箱へ貼りつき、自分で荷を運んでいた。
式神。
その言葉が、説明より先に頭へ浮かんだ。
見たことがある気がする。
神社で売っていた御札ではない。もっと近い。紙の折り目、墨の置き方、命令を書き込む余白まで知っているような感覚があった。
「どうしたの?」
リゼッタに聞かれ、尽は紙札から目を離した。
「いえ。少し、懐かしいような」
「来たことがあるの?」
「ないはずです」
記憶は出てこない。
胸の奥だけが、先に知っている。
尽は制服の下にある指輪へ触れた。神社の老神官からもらった、古びた指輪。雷に打たれ、この世界へ来てから時折、熱を持つ。
今は冷たいままだった。
国境役所では、旅札より先に荷を調べられた。
夜牙の祭場から回収した採掘具を机へ置くと、役人の顔色が変わる。柄には鬼門国の工房印が刻まれていた。
丸の中へ三本の釘を並べた印。
「鋳爪組の物だ」
役人はすぐ奥へ人を走らせた。
ほどなく、頭に布を巻いた鬼族の親方が現れた。採掘具を見るなり、太い眉を寄せる。
「うちの品じゃねえ」
「印がある」とミゼル。
「印なら似せられる。この柄は山樫だ。うちは十年前から黒鋼木しか使ってねえ」
親方は刃を爪で弾いた。
鈍い音がする。
「鉄も違う。うちの月掘り鍬は、塩脈を傷めねえよう刃先へ軟鉄を混ぜる。こいつは全部硬鋼だ。採れるだけ削る盗人の道具だ」
偽造品だった。
月脈塩を受け取る側が鬼門国にいる可能性は消えない。だが、鋳爪組が直接関わった証拠にはならなくなった。
親方は採掘具を役所の検査台へ運ばせた。
台の上には、鋳爪組が作った本物の月掘り鍬も置かれる。
並べると違いがよく分かった。本物は刃先だけが鈍い灰色で、根元へ近づくほど黒い。硬さの異なる鉄を重ね、塩脈へ当たる部分だけを柔らかくしている。偽物は全体が同じ色だった。
「刃が硬い方が、よく削れるんじゃないの?」
リゼッタが尋ねた。
「一度で採るならな」と親方。「硬すぎる刃は塩の奥へ亀裂を入れる。次に掘る時、脈ごと崩れる。盗人は明日の採掘を考えねえ」
リゼッタは本物と偽物を一本ずつ持ち上げ、柄の太さを比べた。
「偽物の方が軽い。材料を減らしているわね」
「そのくせ値は本物の七割ってところだ。印を信じた買い手なら、安いと喜ぶ」
「粗悪品でも、壊れる前に使い捨てれば密輸には足りる。売った側は材料費を抑えられる」
王女と鍛冶親方が、偽物を作った者の利益まで計算し始めた。
尽は刃の付け根を見た。
半月形の小さな窪みが、どの鍬にも同じ場所にある。槌で一つずつ打った痕ではない。型へ金属を押し込んだ時、欠けた部分まで写ったように見える。
「同じ型で作っています」
「なぜ分かる」と役人。
尽は窪みを順に指した。
「手で打てば、傷の位置は少しずつずれる。この五本は深さも向きも同じです。型の方に傷がある」
親方が拡大鏡を当てた。
「鋳型鍛造か。一本二本の偽造じゃねえな」
型を作るには手間が掛かる。その代わり、一度作れば同じ品を短時間で増やせる。夜牙の祭場で見つかった採掘具だけを用意したのではない。どこかの工房が、数を売るつもりで生産している。
役人は偽物を一本ずつ布へ包み、傷の位置を書き留めた。
「鈴鋳町で鋳型炉を持つ工房を調べる。だが、小さな部品だけ別の町で作り、ここで柄を付けた可能性もある」
「工具の出所だけで犯人を決められないということですね」と尽。
「そうだ。工房印一つで鋳爪組を縛らなくてよかった」
親方は鼻を鳴らした。
「縛ったら役所の床ごと持ち上げて帰るところだった」
冗談には聞こえなかった。
リゼッタは検査台の記録を一枚受け取る。
「夜牙へ写しを送りなさい。偽物の特徴が分かれば、ほかの採掘場でも見分けられる」
「なぜ、お前が役人へ命令する」と親方。
「提案よ」
「今の言い方のどこがだ」
リゼッタは一度咳をした。
「送っていただけると、たいへん助かります」
丁寧になったのは言葉だけで、声には命令が残っていた。
それでも役人は記録を二部作り、一部を夜牙の斥候へ預けた。
「この道具を売る店に心当たりは?」と尽。
「安物の採掘具なら南場にいくらでもある。だが、工房印まで偽る馬鹿は少ねえ」
親方は柄の端を嗅いだ。
「紫渋だ。鈴鋳でこれを使うのは、古物屋の半兵衛くらいだな」
役人たちは古物屋へ向かった。
半兵衛は店にいなかった。
棚には壊れた鍋、片刃の剣、欠けた魔晶灯が積まれ、奥の机には帳簿だけが残っている。リゼッタが手を伸ばすと、役人が止めた。
「外国人に捜査帳簿は見せられん」
「私たちが持ち込んだ証拠でしょう」
「鬼門の法だ」
リゼッタは不満そうだったが、引き下がった。
尽は店の床を見た。
棚の下だけ、埃が四角く途切れている。大きな箱を最近動かした跡だ。床板には白い粉が挟まっていた。
月脈塩に見える。
ミゼルが指へ取り、舐めずに匂いを嗅いだ。
「石灰だ」
「偽装用かもしれません」と尽。「塩を運んだ跡に石灰を撒けば、見分けにくくなる」
役人が床板を外した。
下から、受取札が束で出てきた。
王都仲買人ボルドの名。
黒枝近郊の回収屋の名。
半兵衛の店印。
三者を繋ぐ記録だった。
さらに、次の受け渡し場所として「鐘無し谷、第三炉」と書かれている。
「半兵衛は逃げたのか」と役人。
鋳爪組の親方が首を横へ振った。
「逃げるなら帳簿を燃やす。あいつは金には汚ねえが、字を書いた紙を置いていくほど間抜けじゃない」
机の湯呑みには、まだ薄く茶渋が湿っていた。
連れ去られた可能性がある。
その時、店の外で悲鳴が上がった。
白い紙札が数十枚、空へ舞い上がっている。
箒を動かしていた札も、荷を運んでいた札も、命令を無視して同じ方角へ飛び始めた。
町中の式札が、鐘無し谷へ向かっている。
役人が叫ぶ。
「札喰い炉が起動したぞ!」
「何ですか、それ」
「捨てた式札から命令墨を焼き落とす炉だ! 町の札まで吸ってる!」
工房の荷札が剥がれ、運搬中の鉄材が道へ落ちる。炊事札が鍋を放り出し、見張り札が門から消えた。
式神に頼る町では、札が一斉にいなくなるだけで手足を奪われる。
リゼッタは鐘無し谷の方角を見た。
「第三炉に、次の取引場所」
尽もうなずく。
証拠を消すため、密輸者が札喰い炉を暴走させた。
そして半兵衛は、その中にいるかもしれない。
「行くわよ」
リゼッタが走り出す。
「最後まで話を聞く約束は!」
「走りながら聞く!」
四つ目の条件は、鬼門国へ入って一刻も持たなかった。




