第五十三話 灰色の尾羽は、賞札より先に荷を届ける
競演搬送の朝、カイルの運搬車には灰色の尾羽が付いていた。
赤い染め羽ではない。
先端も尖っていない。
昨日までの擦り傷が残り、補修した箇所だけ色が少し濃い。
観客通りへ並ぶ車の中では、明らかに地味だった。
隣の車は、補助羽へ銀箔を貼っている。もう一台は、走ると三色の細布が螺旋を描く仕掛けだった。
ただし、どちらも検査済みだ。
銀箔は羽根の曲面から離れた非受風部だけ。細布は車輪へ届かない長さで、切れても停止索へ絡まない。
華やかな車が、全部危険なわけではない。
カイルの赤尾も、赤いことが悪かったのではない。
変更後の形を、変更前の索と安全機構へ、試験せず繋いだことが問題だった。
出走前、羽環堂の検査役が札を読む。
「原尾羽。規定荷重八割。白環第二路。競演後再検査」
カイルが復唱する。
積荷は、染料瓶十二本と白布六巻。
瓶には水が入っていた。割れれば失格。栓が緩み、布へ色水が付いても減点になる。
本物の商品を壊す競技ではないが、重さと積み方は実務に近い。
尽は観客区画へ入る前に、競演札を一枚買った。
採点欄は五つ。
車体装飾、三十点。
操車姿勢、二十五点。
到着時間、二十点。
積荷状態、十五点。
停止位置、十点。
安全検査は出走条件なので、点数には入らない。
そこまでは分かる。
けれど、荷を運ぶ競演で、荷の状態は十五点しかない。
尽は欄外へ、採点配分をそのまま写した。
開始鐘が鳴る。
一台ずつ、風除壁の間から坂路へ出る。
最初の車は銀箔羽。
操車人が翼を二度広げ、車体の補助羽と同じ角度へ揃えた。観客席から歓声が上がる。
急坂へ入る直前、翼を畳む。
補助羽が谷風を受け、車輪へ力を渡す。
速い。
停止線の手前で、受風面が綺麗に寝た。
車体は線を半輪だけ越えたが、瓶は無事。
次は三色細布の車。
見た目は派手でも、操車は慎重だった。横風区間では自分から速度を落とし、細布を車体側へ巻き取る。
観客の一部は残念そうな声を出した。
それでも操車人は見せ場より安全を選んだ。
三台目で、風が変わった。
氷山側から冷たい横風が一本落ち、赤曜側の上昇風とぶつかる。
風向旗が半回転した。
競技係が黄札を上げる。
中止ではない。
速度制限。
三台目の操車人は補助羽を一段寝かせ、規定通り通過した。
観客席の拍手は小さい。
だが、運搬組合の老人たちは頷いている。
カイルは五台目だった。
灰色の尾羽。
白い車体。
赤い翼端だけが、本人の色として残っている。
開始鐘。
カイルは飛ばなかった。
翼を半開きにして車体の横を走り、発進時だけ手押しする。補助羽が風を掴むと、取っ手から手を離した。
第一直線。
車輪の回転は銀箔車より遅い。
坂へ入る。
灰色尾羽が風へ向き、補助羽の角度が安定する。
昨日のような早すぎる収羽はない。
横風区間。
カイルの右肩が下がった。
赤い翼端が開きかける。
見せるための旋回へ入るのかと思った観客が声を上げた。
カイルは開かなかった。
黄札が出たままだ。
両手を取っ手へ戻し、車体を風上へ半歩だけ向ける。
尾羽が追随する。
補助索は震えない。
限速重りが開き、受風面が一段寝た。
速度は落ちたが、瓶は鳴らない。
最後の下り。
停止紐を引く。
一回転。
二回転。
三、四、五。
車輪は停止線の手前、掌一枚分で止まった。
固定台試験と同じ五回転だった。
カイルはすぐ観客へ向かなかった。
先に荷台の封を確かめる。
瓶十二本。
破損なし。
栓の浮きなし。
白布に水染みなし。
そこでようやく、片翼を上げた。
大歓声ではなかった。
けれど荷主席の染物商が、一番長く拍手していた。
結果は四位。
装飾、十二点。
操車姿勢、十七点。
到着時間、十五点。
積荷状態、十五点。
停止位置、十点。
合計六十九点。
優勝した銀箔車は八十四点。積荷も無事で、停止線を越えた分だけ二点落としている。
正当に上手かった。
問題は優勝者ではない。
積荷の栓を一つ浮かせた別の車が、装飾と飛行姿勢で七十四点を取り、カイルより上へ入ったことだった。
競演後、染物商がカイルへ声を掛けた。
「次の六潮、北倉から色瓶を運べるか」
「競演の仕事ですか」
「商売の仕事だ。灰色の尾で来い」
賞札は取れなかった。
運搬契約は一つ取れた。
カイルは笑ってから、少し複雑な顔で採点板を見た。
「去年、二位になった車は、仕事の指名が三倍になった。だから俺も目立つ尾羽が欲しかった」
ただ格好をつけたかっただけではない。
競演順位が、仕事へ繋がる。
ならば採点で高い装飾へ金と手間を掛けるのは、若い運搬人にとって合理的でもある。
尽は採点札をユーノへ見せた。
「積荷状態を増やせばいいですか」
「誰の点を減らす?」
「装飾」
「祭りの競演へ金を出す染料屋と羽飾り屋が、賛成すると思うか」
採点表は、数字だけでできていない。
祭りの見世物。
職人の宣伝。
若者の飛行技術。
運搬人の仕事探し。
いくつもの目的が、一枚へ重なっていた。
運搬組合の老女ミレナが、二人の話へ入った。
白髪に近い羽を短く切り、腰へ三本の停止紐を巻いている。
「装飾点を消す必要はないよ。翔姿競演と実運競演を、同じ順位にするから揉める」
彼女は採点板の中央へ、縦線を一本引いた。
左に〈翔姿〉。
右に〈実運〉。
翔姿は、装飾、翼との同期、旋回の美しさ。
実運は、積荷、停止距離、横風対応、到着時刻。
安全検査は、どちらも出走前の必須条件。
さらに実運側は、瓶、卵、長尺材、薬箱で競技を分ける。
「同じ車でも、運ぶ物が違えば上手さも違う」とミレナ。
「二つとも勝つ車があってもいい」とユーノ。
「その方が本物だね」
尽は案を出す側ではなく、記録する側へ回った。
今日の五台について、もし実運だけを別配点にしたら順位がどう変わるか。
積荷三十。
停止二十五。
横風対応二十五。
時刻二十。
仮計算では、カイルは二位だった。
一位は三色細布の車。
横風で見せ場を捨て、安全に巻き取った操車が評価された。
銀箔車は三位。
どの車も、今の総合順位とは違う顔を見せる。
「次の小競演で、試験採点に使う」とミレナは言った。「正式変更じゃない。二枚の札を並べて、客と荷主がどちらを見るか確かめる」
制度も、いきなり交換しない。
旧採点を残す。
新採点を試す。
結果を比べる。
風法具と同じだった。
競演後、カイルの車は約束通り羽環堂へ戻った。
軸温、正常。
補助索、伸びなし。
返流膜、損傷なし。
灰尾の取付穴にも広がりはない。
公路一回分の結果が、固定台試験へ一行加わる。
赤い尾羽は、まだ作業台の上だった。
中央へ薄い革の減衰片を二枚。
補助索は元の長さへ戻す。
尽は尾羽先端の振れ幅を読むため、後ろの板へ指幅ごとの格子を引いた。
時間は砂時計。
風段は三つ。
記録者は尽。
送風と停止判断は羽環堂の職人。
弱風では、赤尾の振れは灰尾より大きい。
中風で、減衰片が効き始める。
強風へ上げる前、革の片方が熱を持った。
ユーノは試験を止めた。
「続ければ数字は取れます」
「焼けた数字を?」
革と尾羽の間で擦れが起きている。
振れを抑えた代わりに、熱へ変えた。
その熱を逃がせなければ、長距離では革が硬化し、また振れ方が変わる。
今日の赤尾は、合格しなかった。
失敗理由は昨日と違う。
だから記録する価値がある。
ユーノは尽へ二枚の札を出した。
一枚は、赤尾固定台試験の見学補助札。
もう一枚は、アーレンの赤縁基礎感知二回分。
期間は二潮。
作業は記録と器具清掃のみ。荷運び、高所、送風術は禁止。
食事札二枚を工房が支給する。宿代と旅札延長費は本人側。
「残るなら、内容と費用を決めて残れ」とユーノ。「面白そうだから、では受けない」
尽は炉環宿の空室、手持ち、帰りの第二候補便を確認した。
予定三潮を、二潮だけ延ばす。
赤縁旅札局へ、紹介状、工房札、宿の受入印を提出する。
八潮の保証期限は越えない。
帰路は第二候補便。
一潮の予備は残る。
氷風城の保証工房へも、赤縁中継印付きの短報を出した。
〈二潮延長。工房基礎見学及び感知授業。帰還候補第二便。追加保証なし。〉
残る理由は、書ける。
帰る日も、書ける。
尽は延長印の付いた赤札を首袋へ戻した。
賞札より先に荷を届けた灰色の尾羽は、工房の壁で静かに休んでいる。
その隣で赤い尾羽は、まだ点数表の外にいた。




