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第五十一話 風は無料でも、止める仕組みは無料ではない

羽環堂の基礎見学は、羽根を回すところから始まらなかった。


止まった模型が、作業台へ六つ並んでいる。


帆車。


揚水輪。


荷運び車の補助羽。


塔の換気翼。


小型の昇降籠。


羽族の飛行練習具。


ユーノは一本の白墨で、台を六つの区画へ分けた。


受風面。


転軸。


負荷。


限速。


停止。


復位。


「風を受ければ回る。それで終わりなら、工房は要らない」


彼女は帆車の羽を指で押した。


羽が回る。


転軸が細い歯車を動かす。


その先の小槌が上下する。


「風はただ?」


「お金は払わないと思います」


「強すぎる風にも?」


「払わないです」


「壊れた軸には?」


「払います」


「飛ばされた屋根には?」


「もっと払います」


ユーノは白墨で〈風力零銭、制御有銭〉と書いた。


「無料の入力は、無料の道具を意味しない」


尽は記録帳へ写した。


地球の風車も同じだ。


風そのものへ料金は要らない。


建てる場所、羽根、軸、発電機、蓄える仕組み、保守には費用がかかる。


ただし雷姆利亚では、風へ魔力が混ざる。


赤曜の強さ。


氷山から吹き下ろす冷風。


谷を上がる温風。


羽族が飛び立つ時の翼風。


風術師が作る人工風。


同じ速さでも、法具の感応片へ違う反応を出すことがある。


「魔法の風と、普通の風は別ですか」


「別の時も、同じ時もある」


ユーノは嫌な答えをした。


「押す力だけ使う帆なら、ほぼ同じ。魔力感応翼なら、風に混じる術者の癖まで拾う。だから何を負荷へ渡すか、先に決める」


尽が触ってよいのは、無動力の帆車模型だけだった。


工房の送風管は使わない。


自分で羽へ息を吹きかける。


一枚目は回る。


二枚目は揺れるだけ。


三枚目は、逆方向へ少し動いて止まった。


羽根の角度が違う。


形も違う。


曲面の深さも違う。


「一番よく回る羽が、一番いいですか」


「何に使う?」


「まだ決めていません」


「なら、いいも悪いもない」


揚水なら、低速でも大きな力。


換気なら、軽く回り始めること。


荷車補助なら、横風で勝手に進路を変えないこと。


昇降籠なら、停止した時に落ちないこと。


目的によって、同じ羽根の評価が変わる。


次に限速器。


羽が速くなると、軸の重りが外へ開く。


開いた重りが連結棒を引き、受風面を寝かせる。


風を受けにくくする。


遅くなると、ばねが重りを戻す。


尽には遠心調速器に見えた。


「回転が速いほど、重りが外へ」


「似た物を知っている?」


「蒸気機械の調速器に。写真と模型だけです」


「蒸気機械は風を受ける?」


「受けません。蒸気の量を絞ります」


「なら同じ道具ではない。似た働きだ」


ユーノは、すぐ地球式へ置き換えなかった。


風羽の重りには、金属だけでなく羽骨が使われている。急な翼風へ柔らかく反応し、谷風の持続へは遅れて開く。


単純な回転数だけではない。


風の変わり方まで見ている。


停止器は三つあった。


手動紐。


過回転爪。


魔力返流膜。


手動紐は、人が引く。


過回転爪は、設定以上で軸へ噛む。ただし一度噛めば、点検まで再起動できない。


返流膜は、感応翼へ入った余力を横へ逃がす。故障すれば、膜自身が裂けて本体を守る。


「裂けた膜を繕えば、また使えますか」


「種類による。これは使い捨て。縫って売った工房は、三年前に営業停止」


止める仕組みは、動かす仕組みより地味だった。


交換費もかかる。


だから削られやすい。


基礎見学の後半、工房へ一台の風羽運搬車が入ってきた。


風段中継所で尽が乗った車と同じ型だ。


左右に補助羽。


車輪軸へ革帯。


横風が強くなれば、羽が自動で寝る。


依頼札には、〈収羽が早い。登坂補助不足。異常音なし〉。


持ち主は若い羽族の運搬人、カイルだった。


白い翼の先へ赤い染め模様が入っている。


「安全側に入りすぎるだけだ。少し遅らせてほしい」


ユーノは、先に積荷と経路を聞いた。


布巻き。


軽金属材。


白羽境线の登坂。


最大荷重は規定の八割。


次に、改造歴。


カイルは視線を逸らした。


「尾羽を替えた」


「誰が」


「自分で」


尾羽は車体後部の細い安定板だった。


元は幅広の灰色板。


今は細く長い赤板。


見た目は綺麗だ。


鳥の尾のように尖り、走行中なら目立つだろう。


「競演車みたいでしょう」


カイルは少し誇らしそうに言う。


ユーノは褒めなかった。


否定もしない。


「元の尾羽は?」


「倉庫」


「持ってこい。今日は送風試験だけ」


尽は見学線の外から、車体を測る許可を得た。


補助羽の角度。


限速重りの位置。


収羽連結棒の長さ。


左右差。


どれも図面の許容内だった。


「尾羽を細くしたら、収羽が早くなりますか」


「決めるな」とユーノ。「試す」


車を固定台へ載せる。


車輪は空転できる。


送風は、工房の風術師が担当する。


尽は魔力を使わない。


弱風。


補助羽が開く。


車輪へ力が伝わる。


中風。


回転が上がる。


尾羽が車体を風へ合わせる。


少し強くする。


収羽が始まった。


規定より一段早い。


限速重りは、まだ設定位置へ達していない。


過回転爪も動いていない。


収羽連結棒が引かれた原因は、別だった。


赤い尾羽が横へ震え、その振動が細い補助索を通じて収羽棒へ入っている。


「尾羽が命令している?」


尽が言う。


「命令ではない。揺れが、命令と同じ方向へ引いた」とユーノ。


形を美しくした結果、板の固有の揺れ方が変わった。


安全機構は、その揺れを強風の兆候として受け取る。


収羽が早くなる。


だが尾羽だけを元へ戻せば終わり、とも決めない。


赤板を付けた後、補助索も短い物へ交換されている。細い板が車輪へ触れないよう、カイルが張りを強くしたからだ。


尾羽形状。


索の長さ。


張力。


三つが重なった。


カイルは言う。


「収羽の重りを重くすれば、遅らせられる」


「強風でも遅れる」とユーノ。


「登りで使いたいだけだ」


「下りと横風でも同じ重りを使う」


一つの不便だけを直すと、安全側の別場面が壊れる。


その日は改造しなかった。


元の尾羽を取り寄せる。


赤板を残したい場合は、補助索を元長へ戻し、尾羽の中央へ小さな減衰片を付けた試験案を作る。


固定台で三段風。


荷重八割。


横風。


停止紐。


全部を試してから、路上許可。


尽は寸法記録だけを担当した。


減衰片の材質も、風術の強さも、許可判断もユーノたちの仕事だ。


カイルは不満そうだった。


「明日の競演搬送に間に合わない」


「元の尾羽なら出せる」とユーノ。


「格好が悪い」


「荷を届ける競技か、尾羽を見せる競技か」


「両方」


「なら両方の基準を通せ」


華やかさを捨てろとは言わない。


安全試験を通った華やかさにしろ、と言っている。


カイルは元尾羽を使う仮復旧を選んだ。


倉庫から届いた灰色尾羽は、赤板より幅が指二本分広かった。


表面には傷がある。


見た目は新しい赤板に負ける。


それでも取付穴、補助索長、重心印が元図と一致した。


復装後、固定台試験を最初から行う。


弱風。


補助羽、正常展開。


中風。


車輪補助、基準内。


横風。


尾羽が車体を追随させ、収羽棒へ不要入力なし。


強風。


限速重りが設定位置へ開き、その後に補助羽が寝る。


最後に手動停止紐。


引いてから車輪停止まで五回転。


規定の六回転以内。


止まった後、復位爪を検査する。欠けなし。返流膜にも裂けなし。


「これなら競演へ出せる」とユーノ。


許可は車体全部への永久保証ではない。


元尾羽へ戻した状態、荷重八割、明日の指定路だけ。


競演後に軸温と補助索を再検査する条件が付いた。


カイルは赤い細尾羽を抱える。


「こっちは捨てない」


「捨てろとは言っていない」とユーノ。「固定台で、揺れを減らす方法を探す。見た目を残したまま基準を通せ」


尽は赤板と灰板の寸法差を記録した。


赤板が悪いのではない。


元の索と安全機構へ、そのまま繋いだことが悪かった。


新しい形には、新しい測定と調整が要る。


競演後、赤板の試験へ戻る。


記録札には、〈原形復帰・改良案継続〉。


失敗した意匠を捨てたわけではない。


使える形にするまで、公道へ出さないだけだった。


見学が終わると、ユーノは尽へ六区画の模型を指した。


「今日、覚えたのは?」


「風を受ける形より、負荷と止め方を先に決める」


「半分」


「復位して、もう一度安全に使えるかも」


「それで六つだ」


受風。


転軸。


負荷。


限速。


停止。


復位。


飛ぶ装置の話は、一つもしていない。


それでも尽には、飛行器を考える前に必要な頁が六枚増えた。


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