第五十話 今度の切符は、赤かった
出発鐘の二鐘前、尽は商旅厅へ着いた。
早すぎるほどだった。
前回は列を離れたくなくて、地図をその場で回し、似た名へ頷いた。
今回は、列へ並ぶ前に確認台を使う。
地図を上向き矢印へ合わせる。
赤縁大隧道口が上。
碧縁黒枝が下。
目的地はセレノ渡り。
太陽域、赤。
経由地、風段中継所。
受取人、風法具工房主ユーノ・フェザリア。
紹介状の宛先も同じ。
尽は三つの欄へ指を置いた。
後ろに誰も並んでいない。
急かす声もない。
それでも、全部を確認した。
次に受付列。
係員は前回と別の人物だった。
尽は目的地名だけを言わない。
「赤縁のセレノ渡り。風段中継所経由。風法具工房へ行きます」
係員が試用図の三欄を復唱する。
「赤縁。風段中継所。受取人ユーノ・フェザリア」
尽は頷く前に、客側の図を見る。
係員側と同じ上向き矢印。
地図は反転していない。
「はい」
紹介状は開かず、封番号だけ旅札と照合する。
一致。
発行された切符は赤札だった。
前回の碧札とは違う。
だが色だけで決めない。
文字。
経由印。
荷台区分。
出発門。
四つを見る。
〈セレノ渡り〉
〈風段経由〉
〈赤縁第五荷台〉
〈赤一門〉
正しい。
尽は列を離れ、再確認台でもう一度見る。
間違いなし。
切符裏へ、自分で確認時刻を書いた。
受付係が尋ねる。
「前にも赤縁へ?」
「行く予定でした」
「予定?」
「碧縁へ行きました」
係員は試用図と尽の顔を見比べた。
「この改善報告を出した人?」
「はい」
「使いにくいところは」
「確認に時間がかかります。混雑時に三欄全部を読むか、どの人へ必要かを十潮測っています」
「自分では?」
「全部使いました」
係員は試用記録へ一件加えた。
〈改善提案者本人。三欄使用。所要長め。発券修正なし。〉
成功とは書かない。
正しく発券できた一件だけだった。
荷物検査。
工具袋は赤白の旅工具紐。
錐、短いやすり、小槌、測角片、細い量規。
工房見学用。
武器用途なし。
白頁は私物紙として防水袋番号を登録するが、中身は開かない。
止まった腕時計も申告する。
戒指は身体装具。
未知反応履歴あり。
術具へ近づける試験禁止。
薯片なし。
人員札へ、左膝の条件が写される。
禁走行。
禁荷積み。
到着後一潮、軽作業。
第五荷台へ向かう。
赤い旗。
赤白の冷蔵荷札。
白羽境站へ運ぶ布巻きと軽金属材。
乗客には人間、羽族、矮人、角族もいる。
種族だけで行先は分からない。
尽は車掌へ切符を見せる。
「セレノ渡り。第五荷台」
車掌が読む。
「赤縁セレノ渡り。第五荷台。正しい」
乗る。
まだ出発ではない。
席番号。
荷物棚。
途中休止札。
帰路予約控え。
紹介状。
全部を確かめる。
地図は窓枠へ留めない。
胸の袋へ入れ、必要な時だけ机で開く。
羽風で裏返る場所へ置かない。
出発鐘が鳴った。
商旅が赤一門を通る。
誰も尽を見送りに来なかったわけではない。
グランドーガは工房の開始鐘がある。
メルダは診療所。
ティムたちは朝番。
工房の出発札には、それぞれ確認印があった。
見送りのために仕事を止めるのではなく、戻る場所を動かし続ける。
尽には、その方がありがたかった。
大隧道へ入る。
赤白灯が続く。
前回は途中から碧い光へ向かった。
今回は、赤い導光溝を追う。
境界札で案内役が交代する必要もない。
赤側の管轄内を進み、氷山の別出口へ向かう。
一度目の休止台。
膝、異常なし。
切符、セレノ渡り。
進行札、赤縁。
二度目。
膝、異常なし。
風段中継所まで半潮。
車掌が途中名を読み上げる。
似た音はない。
風段中継所は、氷山の赤縁斜面に張り付いた小さな站だった。
外へ出ると、赤曜の光が強い。
空気は乾き、風が絶えず吹く。
羽族の作業員が、荷台の布巻きを翼で押さえながら移す。
ここで商旅は二台に分かれる。
一台は赤縁低地。
一台は白羽諸邦境线。
尽の切符には白い羽印。
車掌と中継係が二人で確認する。
「セレノ渡り、白羽境线」
「本人、確認」
尽は地図を机で開く。
受取人の工房はセレノ渡り。
白羽印も合う。
乗り換える。
赤曜の下へ出た商旅は、氷風城側の重い荷車と違った。
車体が細い。
車輪は大きい。
側面に羽根板が並び、横風を受けるたび角度が変わる。牽引獣だけでなく、風を補助力へ使っている。
尽は仕組みを見たくなった。
席を立たない。
走行中である。
記録帳へ外から見える範囲だけを描く。
羽根板の角度。
連結棒。
車輪軸へ続く細い革帯。
風が強すぎる時、羽根板は自動で寝る。
ばねか。
重りか。
魔法か。
まだ分からない。
これから行く風法具工房で、聞けばいい。
赤曜は高いまま。
夜は来ない。
地面には赤茶の草原。
遠くに白い翼の集落。
空には、荷を吊った大きな鳥影が何列も飛んでいる。
碧暮の黒い森とは違う世界だった。
半潮後、白い石塔が見えた。
塔の周囲を、何十枚もの風羽根が回っている。
その下に赤白の城壁。
門札。
〈セレノ渡り〉
尽は何度も読んだ。
セレヌ門ではない。
セレノ渡り。
商旅は入城列へ並ぶ。
切符、正しい。
紹介状、正しい。
受取人、正しい。
到着門、正しい。
間違えなかった。
だからといって、旅が成功したわけではない。
まだ工房主へ会っていない。
宿も、教師も、現地の規則も知らない。
ただ、最初に選んだ場所へ着いた。
それだけで十分だった。
門が開く。
赤曜の風が、車内へ吹き込む。
尽は地図を胸袋へ戻し、紹介状を取り出した。
今度は間違いの先ではない。
自分で確認し、選び直した先へ降り立った。
セレノ渡りの入城口では、羽族の門吏が荷物より先に風除け紐を渡した。
帽子、地図、封書袋。
軽い物は、門内で飛ばされる。
尽は紹介状の防水袋を胸紐へ結び、地図は開かない。
旅札には赤縁到着印。
保証期限、残り七潮。
医療条件、禁走行、禁荷積み。
工具袋は赤白紐のまま。
刃物は短いやすりと錐だけで、工房見学用と登録される。
白頁の袋番号も一致。
戒指の未知反応歴について、門吏は新しい試験を求めなかった。
「術具市場では、許可なく品へ近づけないこと。試着札も断れる」
「はい」
セレノ渡りは、風の音が多い町だった。
屋根の上で羽根板が回る。
壁の細穴が笛のように鳴る。
荷車は帆を畳み、曲がり角ごとに風向札を確かめる。
住民の半分ほどは羽族だが、人間、矮人、角族もいる。翼を持たない者のため、通路には腰高の風除け壁が設けられていた。
羽族には邪魔に見える高さ。
尽には助かる高さだった。
最初に炉環宿へ行く。
予約番号、三潮。
工具棚あり。
一階寝台。
水と食事は別料金。
帰路候補便も宿帳へ写す。
部屋へ荷物を置いても、紹介状は棚へ入れない。
本人携行のまま、風法具工房へ向かった。
道は門吏の案内図と宿主の説明を照合する。
白い三枚羽根の塔。
赤石の水槽。
音の鳴らない風車。
三つ目の目印が、目的地だった。
風法具工房〈羽環堂〉。
入口には、大小の羽根板、帆布、細い軸、風圧札が並んでいる。セレヌ門で見た保温箱とは、使う力も形も違う。
尽は受付で、いきなり封書を渡さなかった。
「工房主ユーノ・フェザリアさんに、グランドーガ工房から紹介状があります。ご本人か、登録された受取人はいますか」
受付の羽族女性は、工房札を出した。
工房主ユーノ。
副工房主ラナ。
文書受取係ケイ。
三名。
今いるのは、副工房主ラナ。
ユーノは外風塔の点検で、次の休息鐘に戻る予定。
尽は封番号だけを見せる。
受付記録へ到着時刻を残す。
封書は渡さない。
「本人を待ちます」
「一鐘ほどかかるよ」
「宿は取りました」
「なら、見習い待機席を使いな。作業床へは入らないこと」
尽は黄色い待機札を受け取った。
工房の入口脇に座る。
目の前では、羽根板の角度を測る職人がいる。
同じ形に見える板を、風へ一枚ずつ当てる。
曲がり方。
戻る速さ。
鳴る音。
見た目だけで材料を決めない。
氷風城と同じだった。
休息鐘の少し前、外から大きな翼音がした。
白灰の翼を持つ女性が、工具帯を下げて入ってくる。髪には風で解けないよう、何本もの細紐が編み込まれていた。
「グランドーガの紹介状を持った子は?」
尽は立ち上がる。
走らない。
「風間尽です」
「ユーノ・フェザリア。封番号を」
彼女は名札と工房主印を見せる。
尽の旅札に記された受取人と一致。
互いに番号を読む。
初めて、紹介状を渡した。
ユーノはその場で封を切らない。
文書台へ置き、受付係と二人で開封記録を取る。
中身を読み終えると、尽の工具袋、膝の医療札、戒指の布覆いを順に見た。
「機械を知っている。魔力は弱い。未知の物を持っている。走らせるな。勝手に触らせるな。分からないと言った時は、嘘を埋めさせるな」
グランドーガの紹介文らしい。
「だいたい合っています」と尽。
「だいたい?」
「機械も、全部は知りません」
ユーノは笑った。
「そこまで書いてあるよ。明日の活動鐘、基礎見学。今日は宿へ戻りな」
「作業を見ていても?」
「待機席からなら、休息鐘まで。質問は明日」
許可範囲が決まる。
工房主へ会えた。
紹介状も正しく渡った。
それでも、今日から弟子になったわけではない。
尽は待機席へ戻った。
回る羽根板を見ながら、記録帳の最初の頁へ書く。
〈セレノ渡り到着。羽環堂、受取人照合済み。明日、基礎見学。〉
その下へ、もう一行。
〈セレヌ門ではない。〉
念のためだった。




