第四十七話 王女の招待状には、断る欄がある
リゼが尽へ話したいと言ったのは、氷風城滞在最後の活動鐘だった。
場所は王都使者の部屋ではない。
工房の会議室でもない。
炉環議事所の小面談室。
扉の外には記録係。
室内には尽、リゼ、オルド、グランドーガ。
メルダは医療条件の確認者として、最初の一鐘だけ同席する。
「どうして、こんなに人がいるんですか」
尽が尋ねる。
リゼはいつもの赤い外套を着ていた。
別送荷がようやく届いたらしい。
ただし剣には、まだ青い封印紐がある。
「私がこれから言うことが、普通の旅人同士の話では済まないから」
「星環文庫の返事が来たんですか」
「来ていないわ」
それを最初に分けた。
新しい資料はない。
閲覧許可もない。
王都へ向かう通行札も発行されていない。
リゼは立ち上がった。
深く礼をするわけではない。
胸元へ右手を置き、名前を名乗る王都式の姿勢を取る。
「リゼは旅名よ。本名は、リゼッタ・ノクティア。黒角王国国王ガルゼオンの第二王女」
尽は返事をしなかった。
聞き取れなかったわけではない。
言葉の意味が、今までの出来事へ一つずつ戻っていく。
高価な外套。
王都金貨。
訓練相手が傷つければ処罰された話。
オルドの「お嬢様」。
黒い伝書札の銀角冠。
星環文庫の審査に詳しいこと。
全部が繋がる。
「魔王の娘、という意味ですか」
「王都の外では、父を魔王と呼ぶ者もいるわ。国内の正式称号は黒角国王」
「リゼッタさん」
「今までどおり、リゼでいい」
「それは旅名ですよね」
彼女は一瞬、答えに詰まった。
「私が呼んでいいと言っているから、いいの」
尽は頷かなかった。
先に確かめることがある。
「黒枝で会った時から、王女だったんですか」
「途中で王女になったように見えた?」
「質問に答えてください」
「……最初から」
「セレヌ門の勝負も?」
「王女として命じていない。材料も採点も同じだった」
グランドーガが補足する。
「採点記録は変更されていない。工房の保温箱記録も旅名リゼの作業として、そのまま有効だ」
「罰金は」
「費用負担よ」とリゼが訂正する。
「王女だから消えましたか」
「消えていないわ。払った」
「安全講習は」
「受けた。解除札も本物」
「大部屋に泊まったのも?」
「そこまで疑うの?」
「どこからが普通で、どこからが王女なのか分からないので」
リゼは反論せず、椅子へ戻った。
「宿も、切符も、仕事も普通の手続き。オルドの護衛だけは、最初から王家のもの」
尽はオルドを見る。
「影が動いたのは、魔法ですか」
「はい」
オルドは初めて明言した。
「私は王家影衛です。影を用いた遮蔽、移動、拘束、緊急退避を行えます」
「僕を監視していましたか」
「殿下の周囲にいる者として観察しました。あなたの私物、白頁、戒指を無断で調べてはいません。宿の寝台や荷物棚へも入りませんでした」
「記録は王都へ送りましたか」
「殿下の行程、接触した主要人物、事故、王都資料に関わる発言は報告しました。あなたの境落ち申述全文は送っていません」
「どうして全文は送らなかったんですか」
「私に取得権限がなかったからです」
尽は、誰がいつから王女の身分を知っていたかも確認した。
黒枝とセレヌ門の一般係員は知らない。
夜牙のヴァルガとロッカも旅名だけ。
氷風城では、昨日の責任会議以後、議事所境界担当、旅札局長、グランドーガ、ボルン、メルダだけ。ガルドや共同室の学徒は知らない。
一覧には確認時刻と根拠文書が付いていた。
「後から知っていた人を増やさないでください」
「増やす場合は、目的と時刻を内札へ残す」とグランドーガが答えた。
秘密だから記録しないのではない。
秘密だからこそ、知る者の範囲を記録する。
答えは短い。
尽には、その短さが必要だった。
リゼの身分を知れば、今までの親切も勝負も、全部が仕組まれていたように感じられる。
一つずつ分ければ、違う。
彼女が乳瓶を温めたこと。
保温箱を作ったこと。
講習へ並んだこと。
それは王女の命令で作られた結果ではない。
オルドの報告があったこと。
王都が旅を追認していたこと。
星環文庫を知る立場だったこと。
こちらは普通の旅人ではない。
「僕の白頁の比較記録を、王家が保証すると聞きました」
「まだ保証していない」とリゼは言う。「私は個人で、将来許可された封書の移送費と封印違反時の補償を担保すると申し出た。父上へ王家保証を申請する。でも資料が正しいことも、あなたが境落ちだということも保証できない」
「星環文庫へ圧力をかけますか」
「かけない。審査を早めるよう命じない。昨日、そう書いた」
グランドーガが密封条件の写しを尽へ渡した。
王都側の輸送責任。
国境までの封印。
炉環閉鎖書庫での受取。
尽本人を含む三者開封。
本人の同意なしに工房や王家が読まない。
まだ発効していない。
文庫が移送を認めた場合の予定だけだった。
尽は最後まで読む。
「僕が断ったら?」
「移送しない」とグランドーガ。
「王都へ来ることも?」
リゼが答える。
「断れる。だから今日、先に名乗ったの」
彼女は招待札を机へ置いた。
豪華な金縁ではない。
炉環と王都の両形式で作られた、項目の多い書類だった。
目的。
星環文庫の照会結果が、現地閲覧を要すると判断された場合の訪問申請。
時期。
文庫の正式回答後。
経路。
氷風城から碧暮正規商路、黒角王都外環まで。
保証。
王都側宿泊、文庫までの護送、資料閲覧中の封閉室。
保証しない事項。
資料の内容、帰還方法の存在、閲覧許可、地球への帰還成功。
拒否欄。
延期欄。
条件変更要求欄。
「断る欄が、本当にあります」
「あなたが付けろと言ったようなものよ」
「僕は、招待状を作れとは言っていません」
「条件を紙にしろとは、何度も言ったでしょう」
そこは否定できない。
尽は署名しなかった。
拒否欄にも印を付けない。
延期欄へ、〈星環文庫の正式回答まで保留〉と書いた。
さらに条件変更要求欄へ二つ。
氷風城の保証人へ回答写しを送ること。
王都訪問と、赤縁セレノ渡り行きを互いの条件にしないこと。
「赤縁へ行くの?」
リゼの声が少し尖る。
「まだ計画を作り直している途中です。でも、風法具と基礎魔法を学ぶ目的は残っています」
「王都にも先生はいる」
「だから、どちらかを先に選ぶ時に、王女の招待を断ったら文庫を見せない、という形にはしたくありません」
リゼは招待札を見る。
「そんなこと、しないわ」
「しないと書いてください」
彼女は黒芯を取り、条件を追記した。
〈赤縁行程の選択を理由に、王都訪問申請を不利益変更しない〉
サーヴァンが後で王都形式へ書き直す必要はある。
今はリゼ本人の署名を付ける。
「これで?」
「考えられます」
「喜ばないの?」
「帰れるかもしれない資料を読むための手続きが、一つ増えました」
「普通、王女に招かれたら、もう少し」
「王女と知らない時に、一緒に豆を食べました」
「それが何?」
「今さら急に跪く方が変です」
グランドーガが咳払いした。
笑いを隠している。
リゼは怒るかと思った。
しばらく尽を見てから、肩の力を抜いた。
「そうね。跪かれたくなくて、旅名を使ったんだった」
「でも、名前を隠したまま僕を試すのは困ります」
「グランドーガにも言われた」
「今後は?」
「王女として何か頼む前に名乗る。あなたの選択へ影響する時も」
「勝負は?」
「あれはリゼとして再戦する」
「再戦は決まっていません」
「そこから?」
面談室の空気が、少しだけ戻った。
メルダは退席前に、尽の次の赤縁計画について釘を刺した。
膝の再評価が先。
長距離訓練を一度。
出発日はその後。
王都招待があっても、医療条件は変わらない。
リゼの帰還は次の碧縁便。
二人の道は、氷風城で一度分かれる。
尽は招待札の写しを受け取った。
表には、黒角王国第二王女リゼッタ・ノクティア。
裏には、保留と二つの条件。
名前が増えても、答えはまだ増えなかった。
ただ、誰の言葉を検討しているのかは、初めて明らかになった。




