第三十九話 強い火より、同じ温度
勝負の課題を決めたのは、生活術公開練習の指導者だった。
名はエルナ。
昨日、尽の白線を六回測り、二回だけ反応ありと記録した角族の女性である。
リゼが事情を話すと、エルナは二人を交互に見た。
「魔力比べなら、始める前に終わっているね」
「当然よ」
リゼが胸を張る。
「俺もそう思います」と尽が言った。
「そこで頷くの?」
「事実なので」
エルナは広場の掲示板へ、三枚の札を掛けた。
課題。
材料。
採点。
三つを開始前に公開し、途中では変えない。
課題は保温箱だった。
中へ入れるのは、薬湯に見立てた水壺一つ。温度札の第三線まで温め、半鐘の間、第二線より下げず第四線より上げない。
取っ手は第一線以下。
水を沸かさない。
容器を割らない。
終了後に残った力も測る。
使える材料は同じだった。
薄い鉄板二枚。
銅板一枚。
乾燥苔布二枚。
樹皮板四枚。
粘土一塊。
水袋一つ。
熱石一個。
熱石は透明な封筒へ入れられ、十目盛の力がある。破って自分の魔力を足せば失格。熱石から出す量は、指で術式を調整しても、支給された開閉板で機械的に調整してもよい。
尽は術式を動かせない。
開閉板を選ぶ。
リゼは板を見て鼻を鳴らした。
「そんな遅い物、要らないわ」
彼女は指で熱石を制御する。
「試作は一回。本番は一回」とエルナが言う。「試作で壊した材料は交換する。本番中は交換なし。相談なし。オルド、手を出したら両方失格」
黒衣の従者は、広場の外へ一歩下がった。
「承知しました」
足元の影も、今日は静かだった。
試作が始まる。
リゼは鉄板を箱形へ曲げ、継ぎ目を粘土で塞いだ。内側へ熱石を置き、水壺を中央に固定する。
工作は速い。
鉄板を切る必要すらない。指先から細い冷気を出し、曲げたい線だけを硬くして、残りを手早く折っていく。
「冷やすと曲げにくくなりませんか」
尽が思わず尋ねる。
「全部凍らせると思った?」
リゼは硬くした線のすぐ隣を温めた。
温度差で鉄板が狙った位置へ曲がる。
尽には真似できない。
彼女は魔力が強いだけではなかった。
温める場所と冷やす場所を、別々に扱える。
一方、尽は樹皮板で外箱を作った。
内側へ鉄板。
その間に乾燥苔布。
底だけは苔を二重にせず、樹皮片で空間を作る。空気層を残し、熱石を水壺へ直接当てない。銅板は細長く曲げ、熱を壺底の周囲へ分ける。
開閉板には、紐を付けた。
外から引けば熱石の露出面積が変わる。
箱を開けなくても調整できる。
「隙間だらけじゃない」とリゼが言う。
「隙間を作っています」
「熱が逃げるでしょう」
「全部は塞ぎます。内箱と外箱の間は、空気を動かさないための隙間です」
リゼは納得していない顔だった。
試作計測。
リゼの箱は、三呼吸で第一線。
さらに五呼吸で第二線。
十呼吸を待たず第三線へ届いた。
速い。
広場の見物人から声が上がる。
だが指先を止めた後も、鉄箱と熱石に残った熱が水へ移る。
温度札は第三線を越えた。
第四線。
その手前で、リゼが冷気を当てる。
今度は外箱まで一気に冷える。
水は第三線へ戻ったが、取っ手に霜が付いた。
取っ手は第一線以下。
条件上は安全。
けれど素手で触れば、冷たすぎる。
「第一線以下って書いてあるでしょう」
リゼが言う。
エルナは採点札へ、〈低温過多・使用者凍傷の可能性〉と書いた。
「下なら全部安全、とは書いていないよ」
「先に言って!」
「生活道具で、人の手を凍らせてよいとは誰も言わない」
リゼは口を尖らせた。
尽の試作は、遅かった。
第三線へ届くまで、リゼの三倍近い時間がかかる。
開閉板を全開にすると、底の銅板だけが先に熱くなった。水壺の下部と上部で温度差が生じる。
尽は箱を振ろうとした。
エルナが止める。
「薬湯を振る条件はない」
「混ぜる棒は」
「材料にない」
試作では、上部が第二線のまま、底だけ第四線へ近づいた。
平均なら第三線かもしれない。
だが測定札は上と下を別々に読む。
均一でなければならない。
尽は失敗理由を書いた。
熱源が底へ近すぎる。
銅板が熱を横へ広げても、上へは運ばない。
水そのものを動かす必要がある。
本番まで、一鐘。
二人は同じ材料を新しく受け取った。
リゼは、先ほどより箱を大きくした。
鉄板の外側に樹皮板を置き、取っ手との間へ苔布を巻く。熱石は水壺から離し、強い熱を短く入れるのではなく、細い熱を続ける。
一度見ただけで、過熱と取っ手の問題を修正している。
尽は銅板を筒状にした。
壺底の中央から側面へ沿わせ、上部で少し開く。熱が上がれば、筒の中の水も上へ動く。温まった水が上がり、冷たい水が下へ入る。
地球で学んだ対流。
ただし雷姆利亚の銅板は、地球の銅と同じ熱の伝わり方をするとは限らない。
試作結果から、長さを半分にした。
本番。
開始鐘。
リゼの箱は、やはり速かった。
けれど今度は第三線の手前で出力を落とす。指先の光は、最初の十分の一ほど細い。
温度札が第三線へ触れる。
止まる。
二呼吸。
三呼吸。
第四線へ上がらない。
見物人が静かになった。
派手な炎より、動かない温度の方が難しいと分かる。
尽の箱は、また遅い。
開閉板を全開。
第二線へ着いたところで、三分の二。
第三線の手前で半分。
筒状の銅板に沿って、水がゆっくり回る。上と下の温度差は、試作の半分以下。
第三線へ届いた。
二つの砂時計が返される。
半鐘の維持。
リゼは自分の魔力を足せない。熱石の封は閉じたまま。指先で石の出口を細く調整し続ける。
尽は温度札を見て、開閉板の紐を一目盛ずつ引く。
第三線より少し上。
閉じる。
少し下。
開く。
人が操作している限り、完全な一定にはならない。
途中、広場へ冷たい風が吹いた。
リゼの鉄箱は外気の影響を受け、温度札が下がる。
彼女は即座に出力を上げた。
尽の外箱は、ほとんど変わらない。
樹皮と苔と空気層が、熱を逃がしにくくしている。
その代わり、尽の調整は遅れる。
一度開けすぎると、第三線より上へじわじわ進む。
終了五呼吸前。
リゼの熱石が、一度だけ強く光った。
指が疲れたらしい。
温度札が第四線へ近づく。
彼女は冷気を使わなかった。
試作の失敗を覚えている。
熱石の出口を完全に閉じ、箱の上部に設けた小さな隙間を開ける。
温度は第四線の手前で止まった。
終了鐘。
全員、箱から手を離す。
採点は五項目だった。
目標到達時間。
温度の平均誤差。
上下差。
取っ手の安全。
残力。
リゼは到達時間で圧勝。
上下差も小さい。
取っ手は苔布のおかげで適温。
平均誤差は、終盤の上昇で少し増えた。
残力は十目盛のうち二。
尽は到達時間で負けた。
上下差はリゼより、ほんのわずかに大きい。
平均誤差は小さい。
取っ手も安全。
残力は五目盛。
合計。
リゼ、十六点。
尽、十七点。
広場がどよめいた。
リゼは採点札を奪うように見た。
「一点?」
「一点だね」とエルナ。
「誤差なら、私の方が途中まで小さいわ」
「途中までの勝負ではない。半鐘維持」
「上下差も私が勝った」
「到達時間と上下差は、あなた。平均、取っ手、残力は尽」
「三対二だから負け?」
「点数は開始前に出した」
リゼは尽を見る。
尽は勝ち誇らなかった。
彼女が試作一回で、出力を十分の一まで落とし、放熱口まで作ったことの方が気になっている。
「リゼさん、二回目は全然違いました」
「慰め?」
「事実です。僕は自分で熱を出せません。箱の構造で石の力を節約しただけです」
「だけ、ではないよ」とエルナが言った。「生活術では、使わずに済ませた力も成果だ」
リゼは黙った。
やがて、採点札を机へ戻す。
「もう一回」
「同じ課題なら、今度はリゼさんが勝つと思います」
「やる前から決めないで」
「僕の仕組みを見たから、同じ保温箱を作れて、魔法でも調整できます」
「あなたも私のやり方を見たでしょう」
「魔法が出ません」
リゼは反論できなかった。
エルナが試合終了札を掛ける。
「再戦は別の課題。今日は終わり。二人とも本番材料を片づけるまでが競技だよ」
見物人が散り始める。
尽は残った水を排水桶へ運び、鉄板と樹皮を分ける。
リゼはその場を去りかけた。
オルドが無言で、彼女の箱を指す。
「分かっているわよ」
彼女も鉄板を持ち上げた。
一番高貴に見えたのは、魔法を使った時ではない。
負けた後、自分の散らかした材料を黙って片づけた時だった。




