第二十六話 赤へ行く切符は、碧かった
氷風城の商旅厅は、中央市場の下にあった。
赤縁側と碧縁側の商隊が、同じ大空洞へ集まる。
入口は一つ。
受付も一列。
荷台は四つの層へ分かれる。
赤縁短路。
赤縁長路。
碧縁短路。
碧縁長路。
尽が乗るのは、赤縁短路のセレノ渡り行き。
紹介状。
旅費。
弟子札。
医療条件札。
荷物一覧。
全部を胸袋へ分ける。
グランドーガは工房へ残る。
ティムは入口まで送る予定だったが、朝——この世界に朝はないが、尽の出発潮鐘の直前——水量計の相手軸がまた異音を出した。
依頼人の生活水が先。
見送りは後。
ティムは工房へ残った。
フィオは別班で睡眠中。
バルクは炉壁作業。
尽は一人で受付へ行く。
一人旅ではない。
受付だけを一人で済ませる。
ここまで練習した。
できると思った。
商旅厅の入口掲示板へ、巨大な路線図がある。
尽はティムの地図を木板から外し、掲示印へ合わせる。
入口の赤導光柱は左。
地図の赤縁も左。
セレノ渡りは左上。
受付台は、長い列の先。
途中、荷車が通る。
尽は地図を胸へ抱え、道を空ける。
羽族の運搬人が横を通ったとき、翼の風で地図が裏返った。
木板から外していたため、上下も変わる。
尽は表へ戻す。
赤い丸が左下。
掲示図のセレノ渡りは左上。
向きが違う。
尽は現在地印を探す。
受付列が動く。
後ろの商人が急かす。
一度列を出て合わせ直すべきだった。
尽は、赤い丸がある側を赤縁だと決めた。
地図を半回転する。
赤丸は右上。
掲示図の左上と合わない。
もう一度回す。
受付台へ着いた。
係員が目的地を尋ねる。
尽は〈セレノ渡り〉と言った。
発音が、現地語では少し違った。
セレノ。
セレヌ。
語尾の母音を、尽はまだ聞き分けにくい。
係員は二つの地名を地図で指す。
一つは赤縁の〈セレノ渡り〉。
一つは碧縁の〈セレヌ門〉。
文字は最初の四つが似ている。
尽は自分の地図を見る。
赤い丸の近くにある方を指した。
その時、地図は上下逆だった。
係員は、碧縁のセレヌ門を復唱する。
尽には〈セレノ〉に聞こえた。
赤か碧か、係員も確認した。
尽は色名ではなく、指された方向を見た。
掲示板から見て赤導光柱と同じ側だと思った。
受付台は入口と向きが逆だった。
係員側から見る掲示小図は、客側の図と百八十度違う。
尽は頷いた。
碧縁短路。
セレヌ門。
切符が発行された。
縁は碧色だった。
しかし商旅厅の切符は、目的地の太陽色ではなく、荷台区分で縁を色分けする。尽はその規則を習っていなかった。
赤縁商路でも、冷蔵荷は碧札。
碧縁商路でも、熱石荷は赤札。
尽の切符の碧は、偶然、路線と同じ色だった。
係員は荷台番号を刻む。
第三層、七番。
尽は旅費を払い、釣銭を数える。
合っている。
切符の地名を読もうとする。
最初の四文字。
セレ。
最後。
ノに見える。
実際はヌ。
紹介状を出して照合すれば、間違いは分かった。
だが紹介状は封があり、宿駅工房の主人へ渡す物。受付係へ見せる私文書ではないと思った。
尽は胸袋へ戻す。
第三層へ降りる。
荷台七番。
認可商旅の旗。
前後に護衛橇。
中央に客車二台。
角のある商人。
人間の薬師。
矮人の鉱具売り。
耳の長い旅芸人。
種族は混ざっている。
碧縁行きだから魔族だけ、赤縁行きだから人間だけではない。
乗客を見ても、間違いに気づけない。
車掌は切符を読む。
セレヌ門。
荷台七番。
正しい。
尽を乗せる。
誰も間違っていない。
間違えたのは、尽の目的地だけだった。
出発鐘。
商旅は、氷風城の大隧道へ入る。
暗い。
壁の鉱石灯が流れる。
尽は窓から分岐札を見る。
赤縁短路の印を探す。
見えたのは、碧縁短路の三日月に似た印。
夜のない世界で、なぜ三日月なのかと思う。
碧曜の周りに出る光輪を表す印だった。
尽は切符を見る。
同じ印。
胸が冷える。
車掌を呼ぶ。
紹介状を見せる。
セレノ渡り。
赤縁。
切符。
セレヌ門。
碧縁。
車掌は二つを見比べ、長く息を吐いた。
商旅は、もう出発門を越えている。
大隧道の中央で、客一人のために全車列を反転できない。
後続商旅もいる。
途中で降ろすこともできない。
次の安全停留所は、碧縁側の〈黒枝休息所〉。
引き返せる商旅は、三潮後。
氷風城から徒歩で戻る道はない。
尽の選択肢は二つ。
黒枝で三潮待ち、氷風城へ戻る。
一つ先のセレヌ門まで進み、より多い帰路便を探す。
どちらも、今すぐ赤縁へは行けない。
車掌は、間違い乗車の記録札を作る。
受付での復唱。
切符発行。
乗車確認。
紹介状未照合。
本人の言語理解。
どこで止められたかを分ける。
尽だけの責任と決めない。
受付係は地名を復唱した。
尽が頷いた。
車掌は切符通り乗せた。
紹介状の目的地を確認する規則はない。
制度上は全部正しい。
結果だけが間違っている。
尽は、ティムの地図を広げる。
今度こそ掲示印なしで向きを確かめる。
大隧道内には赤導光柱がない。
車窓の鉱脈。
進行方向。
切符の光輪印。
地図を回す。
赤い丸が、後ろへ行く。
大きなばつが、前へ来る。
ティムは、碧縁へ大きなばつを書いていた。
尽はそのばつの中心へ向かっている。
「あいつ、予言者か」
笑えなかった。
商旅の乗客には、尽の事情は関係ない。
角の商人は帳面を続ける。
人間の薬師は眠る。
矮人は工具箱を枕にする。
旅芸人は弦を調整する。
世界は、尽が道を間違えても止まらない。
それでも、車掌とのやり取りを聞いた二人が声を掛けてきた。
角の商人はザハル。
黒枝とセレヌ門の間で乾燥香草と革を扱い、氷風城にも何度も来ている。
人間の薬師はエマ。
碧暮側の湿地薬を仕入れ、赤縁の診療所へ売るという。
魔族らしい外見の者が碧暮へ帰り、人間が碧暮へ仕事に行く。行き先だけで善悪も所属も決まらない。
ザハルは黒枝休息所の札を描いた。
認可商旅組合が共同運営する城壁、宿、水場、食堂、伝書翼便、武器封印所。三潮待つには安全な場所だという。
エマは別の三角を描く。
宿代は氷風城より高い。
赤縁貨幣の両替率が悪い。
外の林へ一人で出ない。
碧暮の薬草を食物と思って口へ入れない。
黒枝そのものが危険なのではない。知らない土地で氷風城と同じつもりになることが危険だった。
尽が保証旅札を見せると、ザハルは期限を読む。黒枝で三潮待てば、セレノ渡りで使える残りは三潮。帰路が遅れれば期限を越える。
エマは、黒枝の炉環連絡所で誤乗を記録し、待機期間だけ期限停止を申請できると教えた。自動延長ではなく、商旅厅の誤乗確認が必要になる。
二人は同行を約束したわけではない。
ザハルは帳面へ戻り、エマはまた目を閉じた。
知っている範囲を教えただけだった。
尽には、それで十分だった。
大隧道を抜けるまで、一潮の半分。
引き返せない時間を、何もしないで過ごすわけにもいかない。
尽は車掌へ、黒枝休息所の規則を尋ねる。
宿代。
帰り便。
連絡札。
工房紹介状の期限。
氷風城へ誤乗連絡を送れるか。
黒枝には伝書翼便がある。
氷風城へ一潮。
返事も一潮。
三潮待つ間には届く。
尽は、まず黒枝で止まると決めた。
碧縁奥へ進むとは決めない。
戻るとも、まだ決めない。
安全な場所で、費用と便を確認してから選ぶ。
車掌は、途中下車札を発行する。
セレヌ門までの未使用区間は、一部返金。
誤乗だから全額返金、とはならない。
受付の発音確認にも、尽は頷いている。
ただし地名の類似と対面図の向きについて、商旅厅へ改善報告を送る。
尽は記録板へ、間違いが起きた順を書いた。
地図が翼風で裏返る。
列を出ずに回す。
似た地名。
係員側と客側で図が逆。
色ではなく方向へ頷く。
紹介状を照合しない。
一つだけなら止まれた。
六つ重なって、碧縁行きになった。
大隧道の出口が近づく。
鉱石灯の色が、少しずつ緑へ変わる。
空気も冷たく、湿る。
出口の先に、碧い太陽の輪。
赤曜は背後の氷山へ隠れ、光が細い。
黒い針葉樹。
青緑の苔。
遠くを飛ぶ、翼の大きな影。
尽が初めて見る碧暮域だった。
怖い。
同時に、目を離せない。
人族へ行く予定だった。
赤い地図も用意した。
紹介状もある。
それでも商旅は、碧い空の下へ進む。
尽は地図を正しい向きへ直し、赤い丸を背後へ置いた。
今度は間違えない。
間違えた先で、次に何を選ぶか。
そこからは、まだ自分で決められた。




