第二十二話 八枚の銅貨に、魔王はいなかった
集荷所の帳面は、尽が出向く前に氷風城へ届いた。
荷改め所が原本を封印箱へ入れ、工房には写しだけを持ってくる。
集荷所の責任者も同行していた。
名はソラム。
白輪を二重にした上着。
再生輪業組合の三重輪ではない。
白輪集荷所は組合の加盟店だが、同じ組織ではなかった。
印が似ていた理由は、加盟を示す内輪二つ。
外側の三つ目が、組合直営。
最初に別番号を付けた判断は正しかった。
ソラムは、青縁布の処理札を机へ並べた。
碧暮側の小鉱山。
鉱石包布として使用。
国境倉庫で中古布へ売却。
雪解け水で元札の一部が剥離。
中継倉庫が〈厚織緩衝布〉として札を作り直す。
白輪集荷所が仕入れる。
洗浄場へ表洗いを依頼。
第三昇降口へ〈洗浄済み緩衝布〉として販売。
用途情報が消えた場所は、一箇所ではなかった。
鉱山を出た時点では残っている。
雪解けで一部が失われる。
中継倉庫が短い品名へまとめる。
集荷所が洗浄区分をまとめる。
二度の省略で、鉱石包布が普通布になった。
問題の八銅貨も、帳面に載っていた。
運搬、三。
選別、二。
一時保管、一。
品質保証積立、二。
洗浄場へ払った四銅貨とは別に、集荷所が八を上乗せした。
十二のうち八を盗んだ、という単純な話ではない。
第三昇降口は、布一束ごとに合計十二を支払った。
洗浄四。
集荷所業務八。
帳尻は合う。
では、なぜ購入記録では十二全部が〈洗浄済み〉の料金に見えたのか。
集荷所の伝票には、料金項目が分かれている。
第三昇降口の購入台帳には、一行しかない。
〈洗浄済み緩衝布、十二〉
転記するとき、運搬も選別も保証も商品名の中へ吸収された。
差額八の行方は、見つかった。
横領の証拠はない。
それでも問題が消えたわけではない。
品質保証積立の二銅貨。
何を保証したのか。
ソラムは、破れ、寸法、乾燥、異臭なしを示す札を出した。
緑粉の残留検査はない。
鉱石包布だと知らなかったため、危険粉の項目を使わなかった。
洗浄場の〈表洗い〉札を、集荷所では〈洗浄済み〉へ変えた。
集荷所の区分が、未洗浄と洗浄済みの二つしかなかったからだ。
表面だけ。
主槽。
危険洗浄。
その違いを記録する欄がない。
ソラムは、規則通り処理したと主張する。
嘘ではない。
規則が粗かった。
しかし、青縁布の束を開いた選別人は、内側に光る緑粒を見ていた。
帳面の端に、小さな記述がある。
〈碧砂少量、払落済〉
ソラムは、それを普通の碧暮砂と判断した。
粉を払った。
表洗いへ送った。
危険検査は依頼しなかった。
理由は、検査に一束三銅貨、結果まで一双曜潮掛かるから。
第三昇降口は急いでいた。
集荷所は納期を守りたかった。
利益も減らしたくなかった。
悪意がなければ責任がない、とはならない。
見慣れない粉を見た。
鉱石由来の可能性がある。
それでも普通砂として払った。
その判断を、購入者へ知らせていない。
荷改め官は、ソラムの権限札を確認する。
危険検査を省略する権限はある。
省略した事実を商品札へ残す義務もある。
記録はない。
ここで初めて、具体的な規定違反が一つ確定した。
鉱石包布だと知っていたか。
緑粉の危険性を知っていたか。
故意に汚染品を売ったか。
それは確定しない。
検査省略を記載しなかった。
これは帳面と札で確認できる。
処分も分けられた。
青縁布の同批次を回収。
第三昇降口へ代金返還。
故障車軸の検査費を、品質保証積立から負担。
市場で汚染した容器の清掃費は、原因割合が確定するまで集荷所と昇降口が半分ずつ仮負担。
ソラムの危険検査省略権限を一時停止。
刑罰や営業停止は、組合聴聞で別途決める。
回収札は、市場の商人へ一斉に出された。
青い縁。
白輪集荷所の批次刻線。
販売された双曜潮。
三つが揃う布だけを対象にする。
青い布を全部危険物にすれば、無関係な穀物袋や防寒幕まで止まる。
最初の十二店のうち、九店は返した。
二店はすでに荷車の当て布へ切っている。
一店は返却を拒んだ。
洗えば使える物を、なぜ渡さなければならないのか。
門衛は没収しなかった。
所有者へ、既知の事故、未確定の危険、検査費負担、返却補償を別々に説明する。拒否したまま使うなら、城内公共設備と食品貨物には使用不可。自家用の乾いた倉庫で隔離し、転売禁止札を付ける。
店主は補償額を聞き、最終的に返却を選んだ。
危険を理解して自発的に協力したのか、銅貨で決めたのかは分からない。
それでも、説明なしの強制回収にはならなかった。
切られた二店分は、散った布片の枚数が合わない。
荷車、床、工具棚を乾式清掃し、回収できない細片は場所を記録する。完全に取り戻したとは書かない。
回収率は、十二店すべて連絡済み、布量は九割弱。
人の数と物の量を、同じ〈全部〉へまとめなかった。
エドリクとヴェズラの貨物損害も、同じではない。
エドリクの油缶は底面汚染だけ。
中身は未汚染と確認された。
清掃費と遅延分。
ヴェズラの樽は木底へ粉が入り、交換が必要。
樽代と詰め替え作業。
二人へ同額を払えば公平、とはならない。
それぞれの損失を数える。
ソラムは、全部を認めたわけではない。
危険粉だと知らなかった。
急ぎの注文だった。
緑粒は碧暮側の布なら珍しくない。
反論は聴聞記録へ残された。
荷改め官も、その場で彼を悪人と呼ばない。
尽は、帳面の端へ小さく書いた。
〈魔王なし〉
ティムが覗き込む。
「いや、こっちの話や」
集荷所の帳面から、世界を操る秘密結社は出なかった。
出たのは、短い納期。
検査費。
粗い分類。
転記で消える内訳。
利益を減らしたくない責任者。
そして、見慣れない粉を〈いつもの砂〉と決めた一つの省略だった。
地味だった。
だからこそ、同じことが他でも起きる。
新しい札を作る会議が始まる。
未洗浄。
表洗い。
主槽洗浄。
危険洗浄。
検査済み。
検査省略。
用途既知。
用途不明。
項目を増やせば正確になる。
札は大きくなる。
作業も遅くなる。
文字が読めない者は使えない。
フィオは色と形を提案する。
バルクは触って分かる凹凸。
ティムは、荷役人が一目で扱える数に減らす。
尽は、全部を一枚へ載せようとして止められた。
情報が多過ぎれば、誰も読まない。
最終的に、貨物本体へ付ける札は三項目だけになった。
用途。
処理段階。
危険検査。
料金内訳と作業者体調は、同じ批次番号の別札。
必要な人が、必要な情報へ辿れるようにする。
すべてを一枚へ詰めない。
青縁布の元鉱山は、碧暮側にあった。
名は〈グラウネ鉱坑〉。
小さな民営坑。
採っていたのは、青灰色の耐熱鉱。
緑晶鉱山として登録されていない。
では、なぜ包布へ赤光で褪せる緑粒が付いたのか。
副鉱として混じるのか。
近くの別鉱脈から風で来たのか。
登録が古いのか。
次の確認先ができた。
グラウネ鉱坑は、氷風城の城外碧縁側。
集荷所よりさらに遠い。
尽が地図を手に取る。
グランドーガが取り上げた。
「分かってる。まだ行かへん」
今回は本当に分かっていた。
その直後、工房へ別の依頼札が届く。
赤縁側の旧測鉱所。
積雪で外部風向計が止まり、巡路隊が修理人を求めている。
城門から遠くない。
危険区域の手前。
工房弟子の現場見習いに使う場所でもある。
ティムは自分を指す。
次に尽を指す。
二人で行く。
尽は依頼札を読む。
赤縁。
城外。
測定器。
監督者必要。
グランドーガは三つの札を机へ置いた。
メルダの歩行許可。
ボルンの城外同行許可。
地図試験。
全部揃えば、見習いとして参加できる。
尽は地図を正しい向きへ置いた。
赤縁は右。
旧測鉱所も右。
ティムが地図を回そうとする。
尽はその手を止めた。
今度は合っていた。
たぶん。
念のため掲示印を確認すると、本当に合っていた。
異世界へ来てから初めて、地図に勝った。
魔力はまだ出ない。
膝も完全ではない。
それでも、城壁の外へ戻る準備が始まった。




