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第二百十二話 塔から来た二枚

雷の翌日、尽の指輪は朝までに冷えた。ユーノは机に残した時刻を読んで、最後の欄に「夜の間」と書いた。眠っていた時間まで正確な数字にしようとしないのを見て、尽は少し安心する。


 雨が止んで三日目、西口の木枠を石工が外側から調べた。横木は健全で、枠の奥にも新しい割れは見えない。ただ、落葉を受け止めた隙間に湿った土が残っている。取り除くのは木枠を支える足場を組んでからだ。ナディアは東路と石切場の閉鎖札を動かさなかった。


 学院の裏門には木炭の荷車が二台並んだ。山道の遠回りで到着が遅れ、炊事場の火が先に弱くなっている。ペペと尽が袋を運ぶと、料理番のエダが二人の手を見て首を振った。


「その黒い手で、今夜のパンには触らないでね」


「分かってる。俺たちの分だけ焦がす?」


「そんな手間は掛けません」


 ペペが笑う。尽は炭袋を下ろしてから、手の甲に細い傷を見つけた。石切場で付けたものではない。袋の荒い縄が擦れただけだ。それでも傷を見た瞬間、雷の日、木枠へ伸びたペペの手を思い出す。ペペも黙って同じ縄を巻き直していた。


 荷車の御者は裏門の段差を見て、「次は小さい車輪で来る」とぼやいた。山道が使えた頃は、炊事場の横まで一度で運べたという。セレーネは門番に、次の便だけ到着前に板を渡して段差を覆うよう頼んだ。道を開けるまでの間、荷を運ぶ人の負担は消えない。尽は空になった袋を畳みながら、東路の閉鎖札が守っているものを思った。


 昼過ぎ、正門の番がセレーネを呼びに来た。ソラヴェイン風見塔から、封の違う二通が届いている。王家の使者ではなく、境の定期便に乗せた返書だった。セレーネは保存担当とフィオナを呼び、尽たちも工作室の机を空けた。


 一通目は受領簿の写し。風晶の端片は、工事簿にある日付で塔へ届き、照合用の保管棚に置かれた。後年、授業用の標本に移されている。棚を移した職員の署名まである。尽が風見塔で見つけた場所は、その標本棚の近くに当たる。


「盗まれて、隠されてたわけじゃなかったんだ」


 ペペが封を裏返す。箱がなぜ棚から出ていたかまでは、記録にない。塔の担当者も、そこは推測しないでほしいと書いていた。尽は自分が手に取った時の埃を思い出す。扉の壊れた時期も、箱が落ちた日も分からない。ただ、山から塔へ渡った後の道筋が、途中までは繋がった。


「塔の棚を、もう一度見られたらな」


 尽が言うと、セレーネは返書に添えられた小さな図を指した。塔の担当者が、箱のあった棚と扉の位置を描いてくれている。これ以上確かめるなら現場へ行くことになるが、尽たちの通行証はすでに使い終えた。新しい申請には理由と日数が要る。今はこの図を受け取り、分からない点を次の便で尋ねる方が早い。尽は図を手元へ寄せ、埃を被った棚の高さを指で辿った。


 二通目は、セレーネが頼んだ品目の照会だった。塔には端片一つの受領印があり、東路三番の〈予備片〉という名の品は受け取っていない。塔の記録にないことは、予備片そのものが作られなかった証拠にはならない。フィオナは二つの欄を並べ、「ここまでは別々に扱える」と言った。


 写しの最後に、保存棚の点検票が付いていた。古い字で、端片の箱について二つの短い記載がある。一つは「強雨の後、封は乾燥」。もう一つには「遠雷、蓋の内側温む」とあった。日付は昨日の雷から何年も前で、風見塔の機械を動かした記録はその日にない。


「温むって、誰が触ったの」


 リゼッタが尋ねる。保存担当は署名を指した。当時の当番だ。温度を測る道具の名も、どれほど温かかったかも書かれていない。木箱の蓋が陽に当たった可能性も、帳面だけでは消せなかった。


 尽は胸元の指輪を押さえた。雷の夜に熱を残したのはこれだ。塔の箱は別の場所、別の時代の記録であり、指輪と同じ働きをすると言える材料はない。彼は何か言いかけてやめ、代わりに保存担当へ尋ねた。


「昨日、学院の箱は見ましたか」


「封の巡回は朝だけ。雷が鳴った時刻には、誰も温度を確かめていない」


 保存担当は席を立った。全員が付いて行く必要はないと言われたが、ペペが先に戸を開ける。棚の箱は封番号も紐も変わっていない。ガラス越しでは内側の温度は分からず、保存担当は開封しなかった。


「次に雷が来たら、ここへ人を置けますか」


 セレーネの問いに、保存担当は少し考えた。雷を待つために端片を移すことはできない。箱の外側と室内の温度を同時に記すだけなら、封を傷めずにできる。ユーノは小さな測温板を二枚借り、同じ棚の左右に置いた。指輪の方は尽が持ったまま、場所と時刻を別に記録する。どれも一度の雷で答えが出る試験ではなかった。


   *


 夕方、ペペは二通の写しを机へ戻し、東路三番の古い修理票を広げた。


「塔にないなら、予備片はどこだろうな」


 フィオナが修理票の下を指す。配達先は東路三番とあるが、差出元の欄が薄く擦れている。紙を斜めにすると、文字ではなく、小さな四角い印の半分だけが見えた。王家の印でも、風見塔の印でもない。保存担当は拡大鏡を置き、無理に読もうとするペペの手を止めた。


「擦れた紙に何度も指を乗せると、残っている線まで消えます」


「俺、触ってない。まだ」


「『まだ』なら、今のうちに離して」


 ユーノは透明な薄紙へ印の輪郭を写した。角の一つに欠けがあり、中央に縦線が一本ある。見覚えのある人は誰もいない。フィオナは学院の工事印と、王家から届いた修理関係の印を翌日比べると約束した。印が読めても、予備片の所在までは分からないかもしれない。それでも差出元を一つ絞れれば、探す帳面が変わる。


 尽は塔の返書を畳んだ。端片が辿った道には、日付と人の名が残っていた。予備片には、半分の印だけがある。窓の外で荷車が裏門から出て行く音がし、ペペが炭で黒くなった指を見て、今度こそ洗いに行った。

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