第二百八話 石切場の内縁
地図室の床に置いた巻き図を、ペペが端から押さえた。昨日、風井の十五番目の結び目で見えた横穴は北東へ向いている。ユーノがその線を地上の等高線に重ねると、使われなくなった石切場の下へ入った。
「この印、今の地図にはないよ」
ペペが丸い刻みを指す。エルナは棚から一世代古い森道図を出した。石切場は山腹を削った後、南の壁が落ちて閉じられたとある。道を引き直した時に入口の印も消えたらしい。ユーノは二枚をずらし、閉鎖された道と横穴の線が交わる場所へ細い紙片を挟んだ。
廊下から車輪の軋む音がした。先日、東路三番で引き返した若い炭焼きが、納める炭を別の道で運んで来たのだ。学院の裏門まで回ったため、空の車を置いて帰る頃には夕方になるとぼやく。ペペが地図を見せると、彼は旧石切場の坂を知っていた。
「あっちは車が通らないよ。人なら、北の尾根から降りられる」
閉鎖した東路の代わりに、その尾根を荷車へ使えるかと聞く前に、炭焼きは首を振った。根の間が車輪一つ分しかない。ナディアは森守に現行の迂回路をもう一度確かめさせ、今週の炭は学院の荷受けを裏門へ変えてもらうと約束した。炭焼きは腕を組んで待ち、納入先を書いた紙を受け取ってから、ようやく顔を緩めた。
「それなら明日の分は運べる。あんたらは石を見に行くんだろ」
ペペが頷くと、炭焼きは車の柄で床を軽く叩いた。「尾根の三本目の杉から下りな。二本目は、俺でも迷う」
*
翌朝、リュオは三本目の杉に古い赤紐を見つけた。今は森守が使わない結び方で、枝の内側へ巻いてある。道の跡は細いが、崩れた南壁から離れて北へ降りられる。ナディアと石工が先に足場を調べ、尽たちは一人ずつ続いた。
石切場は大きな採掘場というより、岩肌を浅く切った棚だった。白い石の屑が雨に洗われ、窪みに溜まっている。ペペが屑を一つ拾うと、指先に粉が付いた。建物の石と同じ色だが、ここで採ったとまでは分からない。
北の壁に、手を広げた幅の四角い石が嵌められていた。周りだけ色が濃い。セレーネが近寄って苔を払うと、石の縁に鉄の留め具が二つ残っている。片方は岩へ深く入り、もう片方は錆びて外へ浮いていた。
「扉?」
「昔はね。今は石で埋めてある」
石工が横の目地を指す。後から詰めた白い石が三枚、もとの岩とは違う並び方をしていた。扉の上には〈風井内縁〉の字。昨日の蓋にあった〈外縁点検〉と対になる。ユーノは地図に二つの位置を記した。地上では杉の尾根を挟み、地下では北東の横穴の先に当たる。
リュオが細い水準器を石の棚へ置いた。風井の蓋がある広場より、この棚は十五尺ほど低い。昨日、灯の火が横へ流れた結び目も十五番目だった。ユーノは距離を測る紐を岩の端へ延ばしたが、途中の地面が盛り上がっていて、そこだけは直線で測れない。高さと向きは揃う。実際につながるかは、目地の風を見て確かめるしかなかった。
尽の指輪はまだ冷たい。彼は石の前で一度立ち止まった。耳を寄せようとすると、リゼッタが背中の布をつまむ。錆びた留め具の下には石屑が新しく落ちている。誰かが触ったのか、雨で錆が膨らんだのか、見ただけでは決められない。
「横に隙間がある」
ペペが足元を指した。埋め石の下端に、指先も入らない細い口が続く。ユーノが白い紙の短冊を糸で吊るすと、先が岩の方へ吸われた。尽が離れても変わらない。昨日、風井の中で白糸が北東の横穴から縦穴へ流れた向きと合う。
リュオは岩の上側を見た。杉の根は石の隙間まで下りていない。目地を広げれば扉の後ろが見えそうだが、留め具の片方が浮いている。ナディアは短冊を残し、石には触れないと決めた。封じた理由を知らずに開ける仕事ではない。
昼前、短冊の揺れが強くなった。紙の先が目地へ貼りつき、糸が斜めに張る。岩の向こうから低い擦れ音が聞こえ、ペペは一歩退いた。リゼッタが彼の肩を押すより先に、石工が皆を棚の外へ誘導する。南の崩れた壁とは反対側、尾根へ戻る道だ。
尽の指輪が熱を持ち始めた。台座の輪の光が走る時刻にはまだ早い。彼は白い短冊を見た。小さな紙なのに、糸が切れたらそのまま岩の中へ持って行かれそうだ。リュオが糸の端を巻き取り、短冊は石に当たらず戻った。
「向こうで吸ってる」
ペペが言う。風井では下から吹き上がる風を見た。ここでは外の空気が岩の中へ入る。途中の横穴を通るとすれば、風井へ届く分と、さらに奥へ抜ける分があるのかもしれない。だがこの石の裏は見えず、そこで道が分かれている証拠もない。
森守が閉鎖札を石切場の北の降り口へ立てた。炭焼きの教えた尾根道は残すが、この棚へは入れない。ナディアは石工へ、浮いた留め具を直せるか、外から支える図だけ作ってほしいと頼む。扉を開くかどうかは、その図と古い閉鎖記録を見てからだ。
*
帰りに炭焼きの荷車とすれ違った。裏門の受け取りが済み、車の上には空の籠が二つ重ねてある。彼は遠回りを愚痴りかけ、尽の顔を見て言葉を変えた。
「あの坂、まだ通れないんだな」
「石段の下が落ちてる。西の風は逃がしたけど、足場はそのまま」
尽が答えると、炭焼きは籠を揺らして頷いた。「じゃあ、空でもそっちは行かない」
学院へ戻ったユーノは、石切場の目地と風井の横穴を同じ板に描いた。二つの位置が合う範囲は狭い。だが地上の扉は塞がれ、地下の横穴も中を見通せない。リゼッタが板の脇に置いた短冊は、端が少し裂けていた。岩の目地に触れていないのに、引く風だけで毛羽立ったらしい。
セレーネは古い森道図を畳まず、その石切場の印の上へ紙を一枚載せた。扉が閉じられた年の欄だけ、擦れて読めない。横の欄には、別の筆跡で小さく〈風井の内側、鐘が鳴る日は点検せず〉と書かれていた。ペペは今日の短冊を見た。鐘は木片で黙っていても、石の向こうでは風が紙を引いていた。




