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第二百六話 影を隠した日

エルナは古い観測帳を四冊、地図室の窓辺へ運んだ。尽たちが山で測った二つの影の時刻を告げると、一冊目を飛ばし、薄い革紐の挟まった頁を開く。そこには赤い陽と碧の陽の高さが、二十日分、違う色の点で描かれていた。


「この時期は、毎年ほぼ同じ場所を通ります」


 点の並びをユーノが写し、台座の弧を描いた板に重ねる。最初の日に二つの影が端で触れ、その後少しずつ重なる時間が長くなる。彼らが初めて台座へ行ったのは、観測帳の最初の日に当たっていた。


 ペペは革紐を指で持ち上げた。「なら、俺たちが箱を置かなくても鐘は鳴った?」


「去年の帳面には、鐘の記録がないわ」


 エルナが別の頁を示す。学院は陽の位置を測ったが、廃れた山の鐘まで見張ってはいなかった。鐘が鳴り始めた日と、二つの影が重なり始めた日が一致する。携行箱を台座へ載せた日とも一致する。ここから一つだけを原因には選べない。


 セレーネは観測帳を閉じず、端に残った汚れを見た。昔の学生が濡れた手で押さえたのか、薄い指の形がある。帳面の欄外には、数年前の短い書き込みがあった。〈東路の鐘、整備済。鳴動なし〉。整備した年にも影は重なったらしい。


「あの年は静かだったのね」


 尽は二つの日付を写した。風晶片が欠けたままでも、今年は装置が動く。鐘が長く眠っていた理由は、陽の位置だけでは片づかなかった。


   *


 翌朝の広場で、ペペは布を高く掲げた。台座には近づかず、崩れた壁の外に立てた木枠へ掛ける。赤い陽から落ちる影の通り道だけを布で遮るつもりだったが、風を受けた布が碧の陽の影まで覆いそうになる。


「これじゃ両方隠れる」


 リゼッタが枠の脚を押さえ、尽は布の下辺へ小石を結んだ。ペペは一つ余計に結んで右側を垂らし、結び直す。ユーノは板を台座から離れた地面へ立て、影が別々に動くのを映した。二本の細い紐が木枠から伸び、十分に離れた岩の裏で布を上げ下げできる。


 ナディアは道の見張りと鐘小屋のリュオへ伝声を送った。西の逃がし口には昨日の木枠が残り、紙の印も付けてある。石段には誰も近づけない。石工は支え材のねじを確かめ、広場の赤紐の外へ戻った。


 尽は胸元の指輪を布越しに押さえた。広場へ着いた時は冷たい。自分の風も、風晶片も、試験には入れない。ユーノの合図でペペが紐を引き、赤い陽の影だけが台座の短い弧へ落ちないようにする。


 碧の影が長い弧を横切った。


 輪は暗い。鐘小屋からも音は届かず、リュオの鏡板に線は出ない。一方、西の逃がし口に結んだ紙は谷側へ伸び、石管から昨日と同じ湿った空気が抜けた。ペペは紐を握る指を白くし、ナディアの声を待つ。


「赤を戻して」


 布が上がる。短い弧へ赤い影が入り、二つが交わると、黒い輪に青い光が走った。西へ向かう銅帯にも細い線が延びる。鐘小屋の木片が舌を押さえたまま、金具だけが震えたとリュオが知らせる。西の紙の傾きは、布を上げる前と大きく変わらなかった。


「影で鐘が動いた」


 ユーノが時刻を書き込む。リゼッタは別の行を指した。西の管は赤い影を隠している間も吹いていた。台座の光を止めても、斜面の下で空気を押すものは止まらない。


 尽の指輪が温かくなった。赤い影を戻した後ではある。彼は申告の時刻をユーノへ伝え、そこで自分から結論を足さなかった。


   *


 学院へ戻ると、ペペが食堂の皿を四人分取って来た。尽の前に置かれた豆の煮込みから湯気が上がる。彼は匙を持ったまま、今日の鏡板の線を思い出していた。


「俺が欠片をあそこへ持って行った日に、鐘が鳴った」


 リゼッタはパンを割り、半分を彼の皿の脇へ置いた。「今日、欠片は保管室にあった。それでも西の管は吹いたわ」


「でも、最初の一回は」


「分かってない。分かった振りして、安心させる気もない」


 尽はようやく匙を動かした。煮込みは少し冷めている。ペペが向かいでパンを汁に沈めすぎ、指先まで濡らしたので、ユーノが布巾を渡す。その横でセレーネは、明日の遮影試験に使う二本目の紐を測っていた。ナディアから届いた返事には、東路の閉鎖と西口の支えを続けること、碧の影を遮る位置は石工が先に確かめることが記されている。


 食べ終えてから、尽は保存室の前を通った。風晶片の箱は棚の奥にあり、封の番号も今朝と同じだ。彼はガラス越しに一度見て、扉を閉めた。


 翌日、碧の陽の道だけを布で遮った。昨日より風が弱く、枠は静かだ。短い弧には赤い影が入るが、輪は光らない。森守の持つ紙は西の逃がし口でまた谷へ向く。ナディアが合図して碧の布を上げると、輪から鐘へ青線が走った。


「両方の影が要る」


 ユーノは板を伏せた。二日に分けた試験で、片方ずつ隠した時は光も鐘の動きも出ず、戻すと出た。西の管の風は両日とも続いた。台座の輪は陽の影で働き、斜面の空気は、輪を暗くしても押し出されていた。


 ペペが昨日と同じ場所へ来て、尽の顔を覗く。「指輪、今日は?」


「布を上げる前から熱い」


 尽は紐を襟の外へ引いた。指輪は手のひらに載せても温かい。リゼッタが首の肌を確かめ、擦れた跡のないことを見てから、ユーノへ知らせる。昨日は申告が遅れた。今日は碧の影を隠していた間に温まり始めた時刻が、鏡板の記録と並んだ。


 セレーネは指輪に触れず、尽の手の下へ白い布を差した。昔、地球の社で受け取った物だと彼から聞いている。その出自と、今ここで熱を帯びる理由は別に調べなければならない。けれど少なくとも、台座の青い光を指輪が受けて温まった、という説明だけでは足りない。


 遠くで閉鎖札を打ち直す槌音がした。ナディアは西の出風と鐘の記録を二枚に分け、影を隠した時刻を太く囲む。次に見るのは台座の下の石管の分かれ目だ。石工が西から測った線は、母材の真下よりさらに奥で一本に寄っていた。そこへ入る道は、まだ見つかっていない。


 ペペは布を畳み、下辺に結んだ小石を二つともほどいて腰袋へしまった。尽は指輪を襟の中へ戻す。布を外した台座の弧は、もう陽の影から外れていた。

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