第二百五話 西の逃がし口
石工が持って来た細い棒は、先端だけ赤く塗ってあった。山側の台座の西へ回り込み、崩れた壁の下から見つけた石管の口へ差す。力は入れない。棒を引き戻すと、赤い塗料が半分ほど濡れていた。
「奥は水か」
ペペが覗こうとして、リュオに肩をつかまれた。足元は旧水路の縁で、昨日の雨に緩んだ土が靴の下で細かく落ちる。ナディアが広い方の岩へ全員を戻し、石工だけが腰に縄を結んで管を見た。
「水だけじゃない。空気が返ってる」
棒に結んだ細い糸が、口の外と中を交互に向く。風が通るなら出口は別にある。ユーノは昨日の二段目の穴を描いた紙を広げ、石管の高さを書き足した。西の口は台座より一段低く、石段の穴よりは高い。両方が同じ空洞につながると決めるには、まだ曲がり方が見えなかった。
森守が水路の底から声を上げた。倒れた杉の根の間に、丸い石枠が埋まっている。土に隠れていた半周を木のへらで払うと、上側へ風を逃がす細い溝が何本も刻まれていた。石枠の外には〈西逃〉の二字。ペペが息を吹きかけると、溝の端に溜まった灰が、ふっと谷へ散った。
「吹かなくても試せるから」
リゼッタが灰を払う。ペペは両手を上げたが、今度は本当に手を出していない。溝の奥から、土と濡れた木の匂いがした。石工が板を渡し、森守は杉の根元を足で固めず、縄で囲った。
石枠の中央は根に塞がれていた。太い一本が格子をまたぎ、細い根が隙間へ潜り込んでいる。切れば格子を引くかもしれない。ナディアは根の外側に残った葉だけを拾わせ、石枠の下へ鏡を入れた。鏡の中に、西から来た石管の内壁が映る。管は格子の直前で口を広げ、薄い銅の網を抱いていた。
「昨日の穴には、銅は見えなかった」
ユーノが言う。鐘へ向かった銅帯とも太さが違う。西の網は葉を止めるためのものか、風の流れを整えるためのものか。尽は管の口へ手を近づけたが、魔法は使わなかった。自分の風を入れれば、内側の糸の動きが読めなくなる。
セレーネが台座の図を地面に並べた。西へ伸びる銅帯は鐘小屋へ、石管はこの逃がし口へ通る。二本は台座から同じ方へ出るが、途中で別れる。石段へ向かう東側の管は、もう一つの細い線として描かれた。
「鐘が知らせて、こっちが吐くのね」
「たぶん。石段の穴から吹いた分が、ここで出るはずだったのかも」
尽が答える。リゼッタは石管の位置を測り直した。昨日の落ち葉は東の穴から外へ飛んだ。西の口が根で塞がれれば、空気が東へ回る筋はある。ただし、管の中を直接見通した者はいない。
昼を待つ間、ペペは縄の外で小さな枯れ枝を二本拾い、葉のない方を下にして立てた。一本は西の格子から離れた土、もう一本は東の石段が見える場所。どちらが先に倒れるか賭けようと言うと、ユーノに「同じ太さじゃない」と返される。結局、ユーノが紙を二枚切り、同じ長さの印をそれぞれの枝へ結んだ。ペペは自分の枝の方がまっすぐだと言い張った。
二つの陽の影が弧に入った頃、西の紙が先に震えた。根の間から、土を含んだ息のような風が一度漏れる。続いて東の紙も揺れ、遠くの石段に留めた札が倒れたと森守の伝声が届いた。音が遅れて、台座の下から短い唸りが返る。西の格子は押し上がらず、根も動かない。
石工は西の石枠から離れた。今日はこれ以上触らない。根を外して圧を逃がすには、格子を別の木枠で支え、土の重みを先に受ける必要がある。今すぐ根を切れば、石枠ごと落ちる。
ナディアが昼の記録をまとめる間、尽は東へ続く道を見た。閉鎖札の向こうで炭焼きの車輪跡が引き返し、今朝の雨で輪郭を失い始めている。あの道を再開するには、西の格子を直すだけでは足りない。石段の空洞も調べ直さなければならなかった。
*
午後、学院の工作室を借りて、石工は格子の外へ掛ける木枠を組んだ。ペペが釘箱を引き寄せると、リゼッタは一本を選んで端へ置く。
「それ、曲がってる」
「今から曲がる予定だった」
「曲がってるのを使う予定はない」
尽は二人の横で、石枠の幅を紙へ写した。西の出口は大人の手を広げたほど。木枠の脚を土に打ち込む場所だけは、明朝もう一度現地で測る。根を支えにしていた石を抜かず、枠で先に重みを受ける。作業の順を石工が声に出して確かめ、ペペはようやく真っすぐな釘を渡した。
保存担当が風晶片の箱を持って通りかかった。尽は中身に目を向けたが、封は開いていない。明日の現場にも持って行かない。母材の欠けを埋める話は、今ここで進める作業と別だ。保存担当は保管票を脇へ抱え直し、試験室へ向かった。
翌朝、森守が西の格子の周りへ板を渡し、石工が木枠を固定した。根は根元から切らない。格子へ潜った細い先だけを少しずつ外し、葉と土を木の匙で掬う。十数分かけて、鏡一枚分の隙間が開いた。石管の奥から冷えた風が抜け、ペペの前髪が額へ張りついた。
「今のは、俺、吹いてないぞ」
リゼッタが黙って彼の両手を見た。ペペは匙を持っている。ユーノは二つの紙の印を、昨日と同じ場所へ結び直した。西はまだ広げられるが、これで昼の動きを比べられる。
陽の影が重なった時、西の紙が大きく開いて谷側へ伸びた。東の森守からは、石段の札が揺れたが倒れず、二段目の板にも動きがなかったと伝声が入る。ユーノは二日分の線を重ねた。西の出口を少し通しただけで、東の吹き出しは弱まった。
尽は嬉しくなって二段目へ行きかけた。ナディアが肩を押さえる。
「昨日、下の土が落ちた場所よ」
彼は頷き、足を戻した。通気は改善した。石段そのものが直ったわけではない。森守は閉鎖札を残し、石工は木枠の留め具をもう一度締めた。風が谷へ抜けるたび、紙の端が小さく鳴った。




