↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
204/219

第二百四話 閉じられた東路

翌朝、リュオは鐘小屋の柱に水を少し含ませた布を当てた。昨夕の拓本では擦れていた字が、斜めの日差しで影を作る。ユーノが紙を押さえ、尽が読み上げた。


〈次受、第二〉。


「次に受ける所が二番、か」


 ペペは鐘の吊り金具を見上げる。床下の銅帯はそこで終わっていた。音を聞いた者が次の鐘を鳴らす仕組みなら、西へ延びる銅線は要らない。だが第二の位置は、今の森守の地図には載っていない。


 小屋の裏で薪を束ねていた古参の森守が、ペペの声に振り向いた。昨日は谷の見回りへ出ていて、ここへ戻ったばかりだという。柱の字を見せると、彼は薪を置き、鐘の舌を押さえる木片を指した。


「それ、私が挟んだ。二日前だ」


 四日前の昼、鐘がいきなり一つ鳴った。小屋の前につないでいた荷馬が暴れ、薪の束を崖下へ落としかけた。森守は翌日も同じ音を聞き、その次の日に、屋根を直した時に残した木片を挟んだという。


「ずっと壊れていた鐘が?」


 リゼッタが聞く。古参は頷いた。少なくとも去年の修理から今月初めまで、陽が重なる頃にここを通っても鳴らなかった。四日前の正確な時刻は覚えている。荷馬の昼餌をやり終えたところだった。


 尽はユーノの試験票を受け取った。四日前。山側の台座へ初めて携行箱を載せ、二つの陽の影が黒い輪で重なった日だ。鐘がいつから再び動いていたかは、それより前に誰も確かめていない。ただ、同じ日に台座の光と鐘の音が記録された。


「箱を置いたせいかな」


 ペペの口調から冗談が消えた。尽も答えを持っていない。あの日、箱は光る前に下ろした。それでも母材のすぐ上に置いた事実は残る。セレーネは古参へ、木片はしばらくそのままにしてほしいと頼んだ。黙らせた理由と、鐘に力が届いていることを別々に書いておく。


 古参は荷馬の綱を結び直しながら、第二の話を思い出した。昔、森の西の尾根に火の見台があり、第一の鐘が鳴ると、そこにいる番人がもう一つの鐘を二度打ったという。尾根の台は落雷で焼け、石の足元だけ残っている。


「何の知らせだったんですか」


「道を閉める知らせだと教わった。どの道かは、祖父に聞きそびれたな」


 ペペが「一度目の鐘で馬を放す、とか?」と口を挟むと、古参は真顔で「お前なら先に蹴られる」と返した。昨日の泥がまだ靴に残っていて、ペペは反論の代わりにそれを草でこする。


 リュオの案内で尾根へ登った。火の見台の跡は、杉の間に四角く残る石組みだった。鐘も柱もなく、床に敷いた石だけが雨で黒い。端に刻まれた〈第二受〉の字をユーノが見つける。古参の記憶どおりの場所だ。


 石組みの内側には浅い溝があり、三方へ伸びていた。銅帯は入っていない。鐘の音を聞いて人が使った道の目印らしい。西へ向かう一本には苔の下から古い矢印が現れ、北の一本は倒木で塞がっていた。南の溝の先で、リゼッタが足を止める。


「こっち、山側の石段が見える」


 木の切れ間から、台座のある斜面が小さく覗いた。火の見台からなら、人が石段へ入るのを見張れたはずだ。尽は初めて上った日を思い返す。赤紐を張ったのは彼らで、それ以前、あの道を止める者はいなかった。


 石組みの隅に、割れた板札が半分埋まっていた。リュオが抜き、泥を落とす。文字は二行。上は〈第一鳴動時、東路を閉鎖〉。下の行は端が欠け、〈山側〉までしか残っていない。


 ナディアは板札を布に包ませた。古い規則が今も必要なのかは、この鐘が何を知らせるものだったか調べなければ分からない。けれど四日前に鳴り、昨日も木片の下で舌が動いた。彼女は森守に、東路三番の石柱と山側の石段へ見張りを置くよう頼んだ。ペペが前に出かけると、リゼッタが昨日と同じように襟をつかむ。


「今日は道を閉める側」


 尾根を下りる間、尽の胸元の指輪は冷たいままだった。山側の石段の方から、森守が赤紐を引き直す音だけが聞こえた。


   *


 山側の石段へ着くと、ナディアが二段目の板を指した。初めに見つけた空洞を避けるため、森守が渡した板だ。昨日まで端が地面に接していたのに、今は指一本分浮いている。下の土が痩せたらしい。


「風でめくれたんじゃない?」


 ペペが膝をつく。リゼッタは彼の襟を引く代わりに、赤紐の外へ足先を戻させた。板の裏には乾いた土の線が何本も付き、どれも石段の内側から外へ伸びている。風が上から吹いた跡とは向きが違った。


 石工は板を外さず、横の草を短く切った。二段目の脇に、小指が入るほどの穴がある。鏡を差し込むと、古い石の管が斜面の奥へ続いていた。管の口には根と落ち葉が詰まり、手前の泥だけが新しく割れている。


「昨日、あそこが鳴った時か」


 ペペが鐘小屋の方を振り向く。台座の下で土が吹き出した時と同じ空気が、石段まで届いているのかもしれない。ナディアは木の細い札を穴の前に立てた。押す力を見るだけで、根には触れない。


 昼が近づくと、閉鎖した東路に荷車の音がした。若い炭焼きが空の車を引き、石柱の前で森守に止められている。彼は迂回路を聞いて大きく頷き、車を返した。ペペは札より荷車が気になり、「あの車輪、この道なら絶対はまる」と呟く。


 赤い陽の影が台座の壁へ掛かる。尽たちは石段から十分に離れた木陰へ移った。携行箱は学院の保管室にある。今日は風晶片も普通の風晶も持ち出していない。ユーノは離れた場所に鏡板を据え、ナディアが時刻を読む。


 穴の前の札が揺れた。


 すぐに真横へ倒れ、二段目の板が短く跳ねた。石の管から湿った葉が一枚飛び、赤紐に引っかかる。先ほど炭焼きの車がいた場所まで、細かな砂が走った。森守が帽子を押さえ、ペペは思わず一歩前へ出る。


「そこまで」


 リゼッタの声で止まった時、足元の土が小さく沈んだ。彼女がペペの腕を引き、尽は狭い風を使って舞った砂だけを横へ寄せる。石段には力を掛けない。二段目の下で鈍い音がして、支え板の片側が外れた。


 動きは数呼吸で収まった。鐘小屋で見張っていたリュオが、吊り金具に青い光が走ったと伝声で知らせる。木片が入ったままなので、鐘は鳴らない。森守が東路の見張りを続ける間、石工は落ちた板を拾わず、その場で空洞の広がりを測った。


「二段目の下が、さらに指二本分落ちてる」


 ナディアは道の閉鎖線を石柱のさらに手前へ移した。板札に残る〈第一鳴動時、東路を閉鎖〉は、鐘の音を聞いてからの手順だ。今の鐘は木片で黙っている。だから彼女たちは、陽の影と時刻を見て先に道を止めた。空の荷車も、ここを通さずに済んだ。


 セレーネは穴の前に落ちた葉を見た。片面には石の粉、もう片面には黒い湿り気がある。根が塞いでいるのは出口で、管は台座の空洞へ通じているらしい。石工は管の角度を測ってから、今は掘らないと言った。奥の壁が薄ければ、出口だけ広げても斜面が崩れる。


 尽が赤紐越しに二段目を見る。風見塔で拾った欠片を山へ持ち込んだ日に、鐘が再び鳴り始めた。だが今日は欠片が学院にあっても、札は倒れた。山側の装置が動いていることは確かで、欠片が起動の理由かどうかはまだ残る。


「明日はここへ来ない方がいい?」


 ペペが土の沈んだ自分の足跡を見て尋ねた。ナディアは即答した。


「石段には来ない。台座の西から管の先を探す」


 帰る前に、ペペは炭焼きが引き返した轍へ行き、落ちていた小さな炭を拾った。指が真っ黒になり、地図の端まで汚しかける。ユーノが紙を取り上げると、ペペは炭を道の端へ戻した。石柱の方で、森守が新しい閉鎖札を杭へ打ち付ける音がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。