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第二百二話 山側の輪

朝、ナディアは白い石段を一段ずつ叩いて回った。二段目の縁だけ、木槌の音が軽い。森守が横の土を掘ると、支えにしていた細い根が腐り、石の下が空いていた。


「ここは踏まないで」


 ナディアが赤紐を張る。リュオは踏める側の幅を測り、道具袋から短い板を出した。森守が板を固定する間、ペペは石段の数を数えている。五段目で二度数え直したので、リゼッタが後ろから「六段」と教えた。


 斜面は見た目ほど高くなかった。杉の根を避け、一列で上がると、木の間に平たい石の広場が出た。崩れた壁が腰の高さだけ残り、中央に円い台座がある。壁の裏には〈三番・山側〉の字。旧道の石柱と同じ細い刻み方だった。


 セレーネが落ち葉を払った。台座には二本の弧が彫られ、壁の割れ目から落ちる二つの影が、その間を別々に通っている。中央の窪みは風晶片の箱より大きく、底には黒い金属の輪が嵌まっていた。輪の内側に土が詰まっている。何かが載っていたとしても、形は今見える部分だけでは分からない。


 保存担当は携行箱の封を読み、台座の南西側へ置いた。尽が細い風を通すと、欠片は北東へ寄る。箱を北東側へ移す。今度は南西へ動いた。ユーノは鏡板に二本の線を写し、台座を挟んで向きが変わったことを確かめた。


「真ん中へ置いてみる?」


 ペペが聞く。ナディアは周囲の石をもう一度踏み、空洞のない端を選んだ。箱は台座の上で傾かないよう、木片を噛ませて置かれる。尽が風を送っても、欠片はわずかに揺れるだけだった。


 保存担当は学校の試験室で使った普通の風晶も、別の箱で持って来ていた。同じ場所で同じ風を通すと、そちらは風下の縁まで滑る。ペペが箱を取り違えぬよう、二つの封の番号を声に出して読んだ。普通の風晶を下ろしてから、尽の欠片をもう一度試す。やはり中央で止まった。


 尽の胸元では、指輪がまた温かい。昨日の石柱の下よりはっきりしている。リゼッタが紐の結び目を見たが、肌へ擦れて赤くなった跡はない。指輪を台座へ近づける試験はしなかった。保存担当は、欠片がここで静かになったことと、尽が熱を感じたことを別の行へ書く。


「この下に何があるんだろう」


 ペペが土の詰まった輪を見る。ナディアは掘らず、棒で周りを軽く叩いた。西側だけ、音が低く返る。古い排水溝か、石の下の空間か。足場の悪い場所で台座を外すわけにはいかない。


 記録を終え、二つの携行箱を台座から下ろした頃、雲が切れた。赤い陽が作る壁の影が短い弧へ入り、少し遅れて碧の陽の影が長い弧を横切った。二つが重なった一瞬、黒い輪の縁に細い青光が走る。


「いま、見た?」


 尽が顔を上げた時には、光は消えていた。ユーノの鏡板には、輪の内側から外へ伸びる一本の線が残る。偶然差した光を拾ったのか、台座の中で何かが応じたのか。ナディアは時刻を読み上げ、誰にも輪へ触れさせなかった。


 帰りの石段で、尽は赤紐の横を一歩ずつ下りた。胸元の熱はまだ薄く残っている。森守が最後に台座を見上げ、二つの弧へ落ち葉が戻る前に、広場の入口へ見張り札を立てた。


   *


 石工は台座を外さなかった。西側の低い音がした場所で土を払い、崩れた壁の下から横向きの石蓋を見つけた。蓋の上に残る古い留め金は二本とも錆びている。まず壁を木材で支え、それから細い隙間へ鏡を差し込んだ。


「人は入れない。灯だけなら届く」


 ナディアが頷く。リュオと森守は斜面側で支えを押さえ、尽たちは赤紐の外から見た。ペペが竿の先へ小さな灯を結び、ユーノが鏡板を斜めに立てる。石蓋が指二本分開いたところで、冷たい空気が足元へ流れた。


 灯の光は、台座の真下で青緑の塊に当たった。丼ほどの大きさがある風晶の母材らしい。上面を黒い輪が囲み、輪から細い銅の道が二本、石の中へ伸びている。片方は東で切れ、もう片方は西の壁へ消えていた。


「あれが引いてたのかな」


 ペペは持参した風晶片の携行箱を見る。保存担当が首を振る。母材の近くで欠片が静かになったことは確かだが、下にある塊がその原因とは、まだ言えない。石の中には見えない術具も残っているかもしれなかった。


 ユーノが鏡板を少し下げた。母材の端に、三角に欠けたところがある。尽の欠片も片側が鋭い形をしていた。二つを持ち寄って嵌める話が出る前に、保存担当が長さを測る透明板を出した。欠けの幅だけなら近い。割れた面の細かな筋は、灯の角度が足りず読めなかった。


「ここで比べたら、落とす」


 リゼッタが言う。ペペは珍しく言い返さず、竿を握る手を持ち替えた。台座の上では雲が動き、二つの陽の影がそれぞれの弧へ近づいている。


 青い光が、母材の上を走った。昨夕より長い。黒い輪を一周した後、西へ延びる銅の道に太く、東の道にも細く流れた。ペペの灯が風もないのに揺れ、彼は竿を引いた。石蓋の隙間から細かな土が吹き出す。


「下がって!」


 ナディアの声で皆が二歩退く。尽は風を外へ広げず、舞い上がった土だけを石蓋の内側へ押し返した。支えの木材は動かない。光は東へ切れた銅の道の先で一度跳ね、すぐに弱まった。


 尽の指輪も熱を帯びた。胸元から引き離すと、皮膚に赤い跡はない。熱は数呼吸で引いたが、ユーノの鏡板には西へ流れた青線と、東端で折れた短い線が残っている。二つの陽の影が弧から外れると、台座の下はまた暗くなった。


 石工は蓋を元へ戻し、留め金には触れず、新しい支えを残した。ナディアは東の切れた道と、母材の欠けを別々に描かせる。誰かがこの装置を壊したのか、古い道が沈んで切れたのか。ここで分かるのは、光が今も輪を通ることだけだ。


 下山前、保存担当は携行箱の封を見た。尽の欠片は透明な壁の中で、台座の方へ寄ったままになっている。持ち帰って割れ面を図と照らすため、箱を水平に抱え直した。ペペは空になった灯の竿を肩へ載せ、石段の赤紐をまたがずに下り始めた。


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